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「あ」 と声を上げたときには、もう遅かった。 3個入りパックの豆腐が私の手から滑り落ち、固い床に落ちてしまったのだ。慌てて拾い上げると、1つのパックから、うっすら豆腐が漏れ出ている。 あーあ、やっちゃった。 周囲の目がそう言っているのが聞こえるようだった。 消え入るような羞恥心を感じつつ、私は落としてしまった豆腐をレジカゴに入れた。 落下の衝撃で、豆腐は開封してしまったが、端っこからほんの少し、豆腐が漏れる程度で済んだ。買って帰ってすぐに食べれば問題ない。
やるせない新年だった。 大きな災害や事故が立て続けに起こり、紅白の蒲鉾も、たたきごぼうも、お雑煮も、何もかもが色を失ったような味になった。 ただ揺れただけの地域に住む私は、この震災について、何かを思い、感じることすら、咎を負うような気持ちになった。生々しい重たさが胸の底に沈む。ただでさえぼんやりとした頭が、更にぼんやりとして使い物にならなくなった。 私はこのとき、正月を放棄した。 今年の正月はもういいや、と思った。 被災した人たちの嘆きを聞きながら、紅い蒲鉾を
つい先日、こんな記事を投稿しました。 数年前から抱いていた悩みで、実はこの記事も書いてから随分長いこと下書きに眠っていたのです。 こういった日本語にまつわる記事の投稿は、正直、ハードルが高いです。知識が浅く、辞書片手におろおろと書いている身としては、日本語についての記事を投稿することに怖気づいてしまいます。いつまで経っても、おっかなびっくりな性分です。 ですが、こうして物を書いていますと、様々な疑問が浮かび、思うことは、 皆さん、どうしているんだろう。
調子よくキーボードを叩いていて、ふと私の手が止まった。 目の前のモニタには、こんな文章が浮かんでいる。 私にとって、罪悪感は実に身近な感情だ。 太宰治に負けないくらいの「生まれてすみません」思考で生きてきたせいか、文章を書いていても、罪悪感の連想させる熟語や表現を使うことが多い。そんなとき、私はつい、 罪悪感を感じる。 と書いてしまう。 罪悪感だけではなく、違和感、抵抗感、にもいえることだが、 《罪悪感を感じる》 は、文面にすると、どうもおさまりが悪い。
駅前を歩いていたら、 「どんぐりころころ、どんぐりこ♪」 声を揃えて歌う少女たちの声が聞こえてきた。 それとなく視線を向けると、紺色の制服を着ている。ツインテールとポニーテール。どうやら近くの中学校に通う女の子のようだ。 こちらとしては、続きの 「お池にはまってさぁ大変♪」 を待ち構えていたのだが、突然、歌は中断してしまった。 「あれ? どんぐりこだっけ、どんぶりこだっけ?」 ツインテールの子がそう言って空中を見る。ポニーテールの子は『何を今更……』といった様子
男の人が顔にそんなの塗りたくってどうすんのかなぁ。 男性のスキンケア商品の売り上げが好調だというニュースを聞いたとき、私はついそんなことを思い、イカンイカンと首を振った。 私が情報番組のコメンテーターだったら大炎上である。 私の中には沢山の老害が眠っている。何かのきっかけでそれがむっくりと起き出したとき、ちょっとした自己嫌悪に陥ってしまう。 まだ私が十代の頃のことだ。 新宿の地下街を歩いていたとき、スラリと背の高い女性に声を掛けられた。 「スキンケアに興味あ
あー、大地震でも起こらないかなぁ。 あー、宇宙人が襲来しないかなぁ。 あー、地球が滅亡しないかなぁ。 8月31日になると、子供の頃の私はそんな不謹慎な想像ばかりしていた。 私にとって、夏休みはただの休みではなく、朝が来ることに気を揉まないでいられる、心の休暇だった。 カレンダーに目をやりながら、あと三週間、まだ二週間、もう一週間。目減りしていく夏休みを眺める。日を追うごとに、心の中は空気でも入れたように圧迫し、小さな棘一つで破裂してしまいそうになった。 そ
2011年3月10日の夜。 私は夫と珍しく喧嘩をした。 それは物を投げつけ合うような喧嘩ではなく、ボタンの掛け違いの気持ち悪さが、互いを苛立たせたような喧嘩だった。 翌朝、私は昨夜の腹立たしさを引きずったままだった。夫は仕事に出掛け、私は感情に引きずられたまま何もする気が起きず、 「もういい!何もしないで寝てやる!」 と決め込み、布団をかぶったまま、ふて寝していた。 午後になっても布団から出ようとしない。起きて家事の一つでもしようものなら、負けのような気がした
以前、友達がこんな話をしていた。 「テレビをつけたとき、飲食店を紹介する番組をやってたんだけど、その店の厨房で、リポーターと料理人が楽しそうに話してたんだ。目の前に、煮込んだソースや料理とかが並んでるのに、そんなのお構いなしに手を叩いて笑ってるの見て、うわぁ、汚いなぁって思っちゃったんだよね」 リポーターと料理人の口許にマスクはなかった。どうやらその番組は、再放送だったらしい。 「前はそんなこと気にしないでいられたのにね」 コロナ前なら、そんな映像を見ても何も思
私ってダメだなぁ、と思うことがある。 昨日もちょっとだけそんなことを思ったし、おとといも気づけば自分の粗探しをしていた。私はつい、自分のことをダメな人間だと思ってしまう性分らしい。 随分昔のことになるが、あまりにも自分をダメだと思い過ぎて、献血に行ったことがある。 どんな人間にも、一応血液は流れている。初めて献血に行ったとき、採血してくれたスタッフの方に、 「あなたの血は素晴らしく良い血です! あなたなら400ccいけます!」 そう褒めてもらったことがあった
私は「塩味」のことを、今まで「しおあじ」と言ってきた。そして、これからも、「しおあじ」と言い続けるものだと思っていた。 しかし今、この「塩味」を「えんみ」と言う人が増えている。その激増ぶりに、「しおあじ」勢が、かなり劣勢に立たされているのではないかと感じることさえある。 料理の味付けにおいて塩味を語るとき、これまでは「塩気」と言うのが一般的だった気がする。 「塩気を感じますね」 と言ってきたものが、今では 「塩味を感じますね」 と言われるようになったのだ。 い
私は食べるのが好きだ。 好物を目の前にすると一人前では我慢ができない。できることなら、たっぷり食べたいと思ってしまう。とはいえ、私も四十代。以前より食べる量が少なくなってきた。 しかし残念なことに、私自身はそれをきちんと認識できていないらしい。先日、以前と同じ感覚で料理をしたら、かなりの量を残してしまった。冷凍保存できたからよかったものの、生ものだったら、ゴミ箱行きになってしまっただろう。 食べるのが好きだからこそ、きちんと食べきることを心掛けたい。そう思うのだ
中身のないものほど、大きな音が鳴るものだ。 たらいや一斗缶なんかも、中身のない方が大きな音が鳴る。その音は、結構耳についてうるさい。 人と話していて、時折、 中身、どこにやったの? そう思えるような言葉を投げかけられることがある。そんな言葉にモヤモヤしてしまうのはバカバカしいと思いつつも、バカバカしいからこそ、どうしようもなくイライラしてしまう。 上っ面だけで、良いことを言った気になっている人というのは本当に厄介だ。それを良い言葉のように勘違いする人もいるのか
私は、過去を思い返していた。 その頃は二月の上旬で、バレンタインデーの話題が多くみられた時期だった。私もその雰囲気につられ、中学時代に好きだった同級生の男の子のことを、何となく思い出していたのである。 その男の子を好きだった頃から30年が経つ。なぜ彼を好きだったのだろう。そんなことをあれこれ考えてみて出た答えは、顔と雰囲気が好みだった、という身も蓋もないものだった。やはり性格とか、趣味が同じだとか、そういった理屈で恋に至るわけではないらしい。今の私なら、彼を好きになっ