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「やさしさ」とは何か(1)〜「やさしさ」と「おもいやり」の違い〜

※この記事は、以前別サイトで掲載していたものです。サイトの閉鎖にともない、推敲し直してこちらに再掲することにしました。

子供の頃、周囲にいる大人(両親、祖父母、幼稚園や学校の先生など)に、よく言われた言葉があります。

それは、「自分がされて嫌だと思うことを人にするな」です。

でも、私が嫌だと思うことを周囲の人々からよくされていましたし、私がしてほしい事や、されても平気なことを周囲の人々にすると嫌がられるので、いつも不思議に思っていました。
 
私は物心ついた頃からずっと、家族や世間の人たちとの感覚のズレに悩まされてきました。

心が病んでいる時期が長かったので、ほとんどの場合「私の方が頭がおかしいのだろうな」と考えていましたし、実際家族やクラスメイトなどからそのように言われることが多かったです。

ずっと苦悩していたところに、ここ数年webやテレビなどで「発達障害」と言うキーワードを頻繁にみるようになりました。

興味を持った私は、手始めに「発達障害」の提唱者を調べ、次のような本を図書館で探して読みました。

・ローナ・ウィング著『自閉症スペクトル―親と専門家のためのガイドブック』Lorna Wing "Autistic Children: a Guide for Parents"
・ハンス・アスペルガー著『治療教育学』Hans Asperger "HEILPAEDAGOGIK"

そして、発達障害とは異なるようですが、関連書籍としてHighly Sensitive Person(HSP)に関する次のような本も読んでみました。

・エレイン・N.アーロン著『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』 Elaine N. Aron "The Highly Sensitive Person: How to Thrive When the World Overwhelms You"

また、脳の発達傾向に関連して、
・サイコパシー
・放火癖
・性的マイノリティ
などにも興味を持ち、様々な書籍や記事や論文を読みました。
 
そして、SNSで発達障害を公表している人達の日常のつぶやきを見たり、今まで出会ってきた人達の言動を思い出したり、現在仕事でやりとりのある人たちを観察しているうちに、むくむくと一つの考えが思い浮かびました。

感覚は人によって違うのだから、「自分がされて嫌だと思うことを人にするな」という教えは間違いなのでは?

「自分が感じることを、人も同じように感じる」ことが前提となっているこの教えには、欠陥があると思いました。

「やさしさ」を教えているようで、ほんとうは、自分とは感覚の違う人を排除する、冷酷な考えかもしれないと思いました。
 
そもそも「やさしさ」とは何でしょうか。

なんとなく理解しているようで、でも、うまく説明できないので、本当はよくわかっていないのかもしれません。

そこで、「やさしさ」についてちゃんと説明できるように、一度自分なりに真剣に考えてみようと思いました。

その答えの先に、感覚が違う人同士でも、良い関係を築くヒントがあるかもしれないと思ったからです。
 
このテーマは何回かに分けて投稿する予定です。

前置きが長くなりましたが、それでは、本題に入っていきます。

「やさしさ」とは何か


「やさしさ」について、考える手がかりを得るために、まずは近い言葉である「おもいやり」との違いから考えてみることにしました。

「やさしさ」と「おもいやり」の違い


「やさしさ」は、「さ」で終わる言葉なので、「強さ」や「賢さ」と同じように人の見えない部分を評価するための、尺度を表す言葉であるようです。

つまり、「どれくらいやさしいか」という、やさしい行動をとるための潜在能力の高さ(ポテンシャル)のことだと思いました。

やさしさ = 潜在能力

では、「やさしい行動」とは何か、という疑問が出てきますが、これは後で徐々に深堀していきます。

次に「おもいやり」ですが、これは漢字で「思い」を「遣る」と書くので、「相手のことを大切に考える具体的な心の動き」つまり、はっきりと自覚された意思と想像力のことだろうと思いました。

おもいやり = 意思と想像力

「やさしさ」と「おもいやり」の位置関係を図解すると、次のようになります。

「やさしさ」をベースに、誰かに「思いを遣る」気持ちが生まれ、アクションが起こされます。

「やさしさ」は潜在意識であり、「おもいやり」はやさしさが顕在化された意識です。

そして、「おもいやり」をベースに、人や動物や物のために何らかのアクションが起こされます。

やさしさ(潜在意識)

おもいやり(顕在意識)

アクション(表現)

「おもいやり」の発信と受信


次は、「おもいやり」を受ける側についても考えていきます。

人にはそれぞれ、五感や価値観などのフィルターがあります。

・例えば、目に不自由のある人なら、耳や肌などからアクションを受け取ることができますが、視覚的なアクションを受け取るのは困難です。(フィルター1)

・例えば、ヴィーガンにA5ランクの高級牛肉の贈り物をしても喜ばれません。(フィルター2)

フィルター2は、バイアス(思いこみ・思考の偏り)も差しています。

これらのフィルターを通過することによって、人物Aの「おもいやり」がそのままの形では人物Bに伝わらず、変化したり、増幅したり、減衰したりすることがわかります。

そして、人物Bの潜在意識に届くと「望んでいること」との照合が行われます。

フィルター1(身体)

フィルター2(顕在意識)

望んでいること(潜在意識)

照合結果を受けて、顕在意識に「喜び」や「悲しみ」や「困惑」などの感情が生まれます。

その感情が、表情筋や身振り手振りや声色などによって、そのままリアクションに反映されることもありますし、理性によって考え練られた演技や文章や作品などのリアクションによって変化して伝えられることもあります。

望んでいることとの照合(潜在意識)

喜び・悲しみ(顕在意識)

リアクション(表現)

そして、そのリアクションを受け取った人物Aにもフィルター1とフィルター2があります。

人物Aと人物Bのフィルターには違いがあるので、それぞれ相手のアクションやリアクションに対して好き嫌いが生まれます。

相性が良ければ仲良くできるでしょうし、相性が悪ければ良い関係を築くことが難しくなります。
 
ちなみに、人物Aの主観だけにフォーカスして全体を見渡すと、次のような図になります。

これは、認知心理学における「行為の7段階サイクル」からヒントを得て、今回のテーマに合わせてアレンジしたものです。

「行為の7段階サイクル」を先ほどの図に当てはめると、次のようになります。

1.プラン

2.詳細化

3.実行

4.外界

5.知覚

6.解釈

7.比較

「行為の7段階サイクル」についてより詳しく知りたい方は、

D.A.ノーマン著『誰のためのデザイン?』D.A.Norman "The Design of Everyday Things Revised and Expanded Edition"

がおすすめです。

第1回目は以上です。

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