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【YOHAKU】自分を大事にする働き方

みなさんが初めて「働いてお金を稼ぐ」ことを経験したのは、いつでしょうか。

働いて、時間や成果によって報酬をもらう。
働くことに見出す価値は人それぞれで、働く意味や理由もまた人によって違います。
そして、自分自身や周囲が変わることで、今まで見えていた「働く」の形が変わることも。

こんにちは、YOHAKUです。

今回は、大学生になってから2年半ずっとインターンをしていた会社を辞めて、新しい道を進み出した男の子の話です。

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2年半、走り続けた

ーまずは、今のあなたのことを教えてください。

最近2年半働いていたところを辞めて、前より貧乏な生活をしてる。
友達とビデオ通話したり、収入がなくなったからすぐ使えるクーポンを探したり、スーパーとか100円ローソン回って割引されてるものを探したり。
あとは、自分のケータイに入ってるあらゆる電子ペイの残高把握して、自分が出せるお金を全部把握したり、っていう生活。
ヒッチハイクで旅したりもした。

ー2年半ってすごく長いですよね、いつから働いていたんですか。

大学生になるとき、高校の同じクラスの同級生に誘われて。
田舎の高校やったから、名の通ってる大学行けたらすごいって思われてて、自分の進路もいい感じだと思ってたんよ。
けどその同級生がもっとすごい人になってて、ちょっと焦って、そんでワクワクした
だからその会社の分野とかもなんも知らんかったけど、その同級生の紹介で連絡してみた。

ー初めての「働く」だったんですね。始めた頃はどうでしたか?

大学入ってすぐの5月に、もう辞めようかと思った。(笑)
俺採用面接受けてから2ヶ月くらい放置されてたんよ。研修も何もなく。
そしたら急に呼び出されて、「やる気ないの?」みたいな。
人事の人とかも俺に連絡してきて、
「何頑張るの?」「どうなりたいの?」とかめっちゃ詰められて。
そのときほぼ高校生やったから「わかんないけど、とりあえず頑張ります」みたいなことを言ってんけど、「とりあえずって姿勢が気に入らないな」とか言われて。
けど、ここでやめたら紹介してくれた同級生の顔が立たんな〜と思って、踏ん張った。

「何のレースに本気になってたんだろう」

ーそれからずっとフルスピードで働いていたんですね。当時の自分を今思い返すとどうですか?

今思い返すと「自分ってなんであんなに頑張ってたんだろう」って考えるようになって。
アレ?って。
多分当時働く理由を聞かれても、「周りの人が好きだから」「みんな頑張ってるから、俺も働かないと」とか言ってただろうなって。
それって、どこか自分のためではなかった気がする。
そのときはその職場、仕事っていう一本の道だけにどっぷりで周りのことは何も見えなくなってたんよな。

ー考え方が変わったんですね。

上司が餞別でくれた本にすごく良い一文があって。

「その一つの道だけにどっぷり使って、何も見えなくなってしまった時、それ以外の全ての選択肢を諦めているのと一緒だ」

その文を読んで、当時の自分って他の選択肢を探しもせずに、盲目になってたなって思った。
だから、どっかで自分の「ここまでやったら辞める」みたいな見切りをつける境界線を持っとかないと、今後の人生も選択肢を生かせないまま終わっちゃうなって。

で、その見切りのポイントだけど、一つ仮の答えが、実質的にやる気を人に強要されたとき。
自分の胸から「よっしゃやろう!」が出てこなくなったときかな、って。
もちろん体調によってやる気の波は多少あるけど、もし自分の胸の奥から何も出てこない状態が何日も続いたら、俺の中でやる意味はないんだろうなって。
俺が実際辞めたときもそんな感じだったなって、後付けかもしれないけど経験も踏まえて、ひとまずそう思う。

ーでは、当時に辞めるって決めた理由には、何がありましたか?

いろいろあるけど、一つは納得のいかない形で給料が何回も下がってたこと
スキルは上がってるはずなのに、それが評価されてないことに納得いかなくって。
あとは、色々あってお世話になっている人と一緒に仕事をしなくなったこともかなり大きかった。

それで、自分が提供している労働の価値と、働いて学べること/ お金/福利厚生/その人と働けることっていうのを天秤にかけて、その人と仕事をしなくなったときバランス取れないなって。
だから、俺はもっとすごいって、ほぼ1ヶ月丸々働いてもらった額面分の価値の男じゃないなって思って、辞めた。

自分にとっての働く理由は「ワクワクするか」

ーなるほど……今は、どんな心境ですか?

今はダラダラしすぎて、逆にこんなにダラダラしてていいんかなってくらい。
けど、頑張ってた当時のことを振り返ると、逆になんであんなに頑張ってたのかもやっぱり分からなくて。

今はお金もないし、収入源もないし仕送りで生きてるけど、そんな不幸じゃない。
働いていたときと比べると定期的に関わる人が減ったからちょっと寂しいけど、連絡したらありがたいことにみんな返してくれる。
だったら、現状そんなに不幸じゃないのに、なんで働いてたんだろう?っていう疑問に、今となれば答えは出せなくなったな。
まあ、そのとき出会えた仲間のことはお客さんも含め全員愛してたし、それも原動力になってた。
けど、それが答えとは言えないと思ってる。

働く理由として、自分の成長とかっていうのも考えてたけど、今となっては後付けな気がする。
結局は、ただ楽しいが先行していただけなのかもしれない。
自分でもわかるくらい、イキイキはしてた。


ー今持っている「仕事観」について教えてください。

軸は、ワクワクするかどうかかな。
働き始めたときもそうやったし、今でもそれは変わってない。
多分、俺、仕事辞めてから良くも悪くも楽観的になったんよね。
で、お金なくても大学卒業するまでは、親に家賃払ってもらって5万円仕送りもあるし、絶対生きていける。

だからもうほんまにワクワクすることしかやらんとこうって思って、サイクリングしたり、旅したり音楽聴き続けたりしてみてる。
将来作詞家になろっかな〜って、そんなこと思うくらいには楽観的になってて。
作詞家って、作詞家本人の経験からのみ生み出された言葉で、めちゃくちゃたくさんの人の心を動かせてる。ほんまにすごいことやなあっと思って。俺も自分の経験が詰まった、俺にしか生み出せない言葉で人の心を動かせるくらいの人間でありたいなって思いだして。
だから、辛いことも楽しいことも、色んな経験を重ねて、本当の意味での優しさを持った人間になりたいなあって思ってる。でも別に作詞家になるために逆算して一生懸命になるつもりはない。

なんか、多くの人はある一つのコミュニティに入って、その中で一生懸命仕事してると思うんだけど、俺はその人たちが特定のコミュニティの中で頑張ってる間、足の向いた方向に、思うがままに挑戦できる状態にあるってことやん。あ、もちろん、どちらが正解だとか言うつもりは全くない。

でも俺は、コミュニティの枠を度外視して足の向いた方向に向かって過ごし続けていれば、結果としてきっと多くの人たちとは違う視点を持てるし、俺はずっと楽しいし。
自分が感じたことは自分にしかわからないから、今みたいな何にでも挑戦できるときに生み出された感情ってすごい大事だなって思う。
今はいっぱい本読んでみたり映画見たり、思うままにしてるけど、それで考えたことや感じたことに対して、誰かがこんな考え方もあるんだとか思ってくれれば、ラッキーだなって。
多分そうやって人は、より本気になれるものを見つけるんだと思ってる。

「どうなるか」より「どうありたいか」

数年後、自分で家賃払って食べていかなきゃいけないってなったとき、焦ってるかもしれないし、逆になにか好きなことで食べていけてるかもしれない。
ただ、卒業するまでは今の価値観のままでいいんじゃないかなって。
どっかで頑張らないとなってうずうずしてる自分もいるけど。

働いていたところではずっと「目的を持っておけ」って言われたんよ。
それで俺すごい悩んで。
それで色んな人の言葉聞いてしっくりきたのが、どうなりたいかはどうでもいいけど、どうありたいかは考えとけってこと。
DoじゃなくてBeで考える。
ここに就職したいとか、こういうことやりたいっていうよりも、自分が幸せだなって思う状態を目指すのがいいって、今すごく納得できる。

うーん、このどうありたいかっていうのも、最終的な答えって見つからんのんかなって思う。選択肢は死ぬほどあると思うし、価値観って塗り替えられていくものだと思うから。
だからいっぱい挑戦して、楽しんで、違うって思ったときには見切りをつけてやめて。
そうやって諦めた選択肢の数が自分を豊かにするはずだし、その積み重ねで自分の世界を広げたいって思ってる。

ー諦めるって、一般的には良くないこととして捉えられがちですが、「諦めた数だけ世界が見えるようになる」って面白いですね。

うん。
自分がいる一本の道をどこまで進み続けるか、その見切りをどこにするかっていうので、自分がやってきたことが無駄になるか糧になって残るかって変わるから、そこの基準はしっかりしないと、多分いつまでも何者にもなれないと思うけど。
だから、その基準は自分でしっかり持っておいたほうがいいと思う。
でも、その上で挑戦しまくって、その分諦めることができれば、どっかで必ず自分の大切にしたい何かが見つかるんじゃないかなって思う。

お金・居場所・自分の価値

ー記事を読んでくれた人に伝えたいことはありますか?

まず、みんなは絶対にもっとすごいよってこと。
なんのために働くか、人それぞれ理由はなんでもいいんだけど、それでもお金は絶対大事だよって。
俺は働く中で関わる人が好きだったし、得られるものもあった気がしたから働いてた。どっかでお金じゃないって思ってた。
でも、やっぱり給料って自分が一ヶ月で出した価値を数字で出されたもので、すごい大事なもの。
その数字が自分の労働に見合っていると思えるのなら全然問題ないんだけど。
でも、いくつも会社がある中で、たった一つの会社が取り決めたものさしで測られた給料のみで自分自身の価値を信じ込んで、自分ってこうなんだって決めつけるのは少し気をつけたほうがいいと思ってる。
 
もし今の場所で自分が全然活躍できてない気がするって思ったとき、活躍を測るものさしって色んなのがあるから、その場所を見つけるために他の選択肢を探してみてほしい。
自分の可能性を今いる場所だけで測ってほしくないし、お金なんかいいからここで働きたいっていう気持ちもすごくわかるけど、自分のことを給料という形で他人に認めてもらえる場所って、思っている何倍も心地いいんじゃないかなって思う。
働いてお金をいっぱいもらえたら「俺の価値認めてもらえてるんだな」って思えるし、その方が絶対幸せだから。

そうやって自分を本当の意味で大切にできたとき、そこが、あなたのいるべき場所なんだと思う。

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今回は、大学生ながらの「働く観」をお話ししてもらいました。

諦めることが時には自分の選択肢を豊かにするということ、

お金について考えるのは自分を大切にするためにも必要だということ。

働く中で見失ってしまいがちな自分の価値や、大切にしたい生き方について考えられるような、頭の中の余白を作ってくれるお話でした。

今回インタビューした彼が、新しくnoteを始めたそうです!
ここでは書けなかったエピソードや彼自身の言葉が読めます。
こちらも是非一緒に読んでいただけると、嬉しいです。

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YOHAKUは、誰もがそっと抱えているけれど、他人から見えづらい事情にスポットを当てて、それが読んだ人の優しい想像力の余白となることを目指しています。

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文責:小林華


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