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自己肯定感を取り戻す

ここしばらく、仕事関係と友人関係両方でいろいろあって、自己肯定感と尊厳ががっさり削られまして。
無茶苦茶失礼な事されて、無茶苦茶無礼な態度を取られて、無茶苦茶失礼な事を言われて、無茶苦茶いい加減に扱われると、それで受けるダメージってわりとシャレにならないくらいでかい。
失礼な事していい人間、足蹴にしてもよい、いい加減に扱ってもいいし、何を言ってもいいんですよで石つぶて投げられたと認識しております。
通常、そういうのへの耐性はわりと高くて、むしろ逆に「ナメとんのか」とグレネードランチャーぶっぱなすくらいの事はやる方なんですが、今回は立場とか状況とかもあって、それも叶わず。
いっこならともかく、束になってそういうのが続いたので、ぼろくそになりました。

私、なまじ記憶力がよいのもあって、嫌な事や失敗してしまった事など、牛の反芻みたいに何度も何度も思い返してはのたうちまわるという性質を持ち合わせておりまして、今回も、ふとした時にそれが自動的にスイッチがはいっちゃったりして、「ぬおおおおお!」となっておりました。
嫌な事がミルフィーユ状態なので、次から次へと襲ってくる。
仕事してる時はそっちに集中してるからスイッチ完全オフですが、気を抜いた瞬間、さくっとスイッチオンになるからやばい。
どうしたらこの状態から抜け出せるんだろうか、と悶々としておりました。

最初の突破口は同僚。
いっしょにランチを取っている時、仕事の方の事を話してみたら、さらりと「相手がただの失礼な奴」と一刀両断。
「そういう事を言ったりやったりする人はいる。自分も経験がある。そりゃもう傷つくし、嫌な気分になるし引きずるけど、時間の無駄だとはっきり割り切ったほうがいい。それにそっち関係、私の知ってる範囲で、あなたが一番わかっていて出来る人だから、全然心配する必要ない」

私、女性によくある同情や共鳴、慰撫を求めるってのは全然なくて、とりあえずこの状態から脱却したいんで、脱却方法もしくは解決策のアドバイスをください、です。
なので、話す事に脚色演出はいっさいなし。事実は事実として話す。
その一件も、明らかに相手の方がアドバンテージとってる側だったし、その人が指摘した部分は私自身、自分のウィークポイントだとわかっていた部分でした。
ただ、その相手の比較が、ハーバード大学でMBAとった人と今の私ってなレベルだったので、「そりゃ違うんでないかい?」とはわかっていたけど凹んでた。
もちろん、そのレベルが必要な場合もあるわけで、じゃあそれがそういう状況だったかというと、問題もミスもなくやっていたので、同僚いはく「どこを見て判断、評価するかはその人次第だから仕方ない」でした。

ちょっと元気になった私。
そっか、と思いました。
ごたくさ言ってきた相手の事、これっぽっちも信頼していなかったし、信用欠片もありませんでした。
失礼な事は失礼な事以外の何物でもなく。
プライベートでいろいろあった事も、結局はそこにいきつくのではなかろうか。
んでもって、そういう人たちがぶつけてきた言葉で壊れたものは、信頼できる人を頼って修復するしかないって事なのかも。

ちょうどどこへ、今度は元同僚からとヨガ友から「元気?」と連絡がはいりまして。
いろんな話で盛り上がり、その中で「自尊心と自己肯定感ががっさり削られまして。よろしければ、修復案をおうかがいしてもよろしいでしょうか?」と話してみたら、それぞれ、これまたしっかりご意見をいただきました。
ヨガ友の方は、私に失礼ぶっこきまくった相手をある程度は知っていて、それに関わるもろもろの事、関係者もすべて知っている人なので、彼女なりにそれを見ていたって立場にあります。
最初に言われたのが、「あの人のこと、あなたは大事に想っていたのね」でした。
ここで私、はっとしまして。
そうだ、私はその失礼ぶっこきまくってきた相手の事、かなり大事に想っていました。長年の友人でもあったし、お互い、いろんな事も知っている間柄だったので。
ヨガ友、「相手がやった事は正直、いい歳して何やってるってレベルで、なのにそういう事をしてきたのなら、あの人はもう、”そういうことをする人”になったって事で、あなたは”そういう事をしてもかまわない人間”ってなったって事だよ」でした。
もう一件あった事ついては、「それ、ただのヒステリーと八つ当たりみたいなものなんじゃないの?」と失笑しておりました。
元同僚とは、彼女の仕事や任天関係の事も聞きつつ、お互いのいろんな話をしました。
それによって、自分が何をどう考えているか、どういう気持ちなのか、どういう立場にあり、自分に出来る事は何か、だいぶ整理できた。

私は同僚、友人、元同僚に、相手を罵倒してもらいたいわけでもなく、あなたが正しいと言ってほしかったわけでもありませんで。
ただ、ぼろきれみたいになっちゃった自己肯定感と自尊心の修復をしたかった。
なので、そこんとこはっきりと伝えて話を聞いてもらいました。
結局、相手をきちんとリスペクトしない、こちらを大事に想っていない相手とは関わらないのがいちばんって事なわけで。
わかっている事ではあるけれど、そうとはわからないまま地雷踏む事もあるし、つきあいが長い人でもお互い変化はあるわけで。
ただはっきり言えるのは、人間関係はナマモノなので、それなりにきちんとメンテナンスしていかなければならないし、失礼無礼があったらもうそこで終了です。
そして、生きてる世界が違ったら、吸う空気もかわるので、同じ場所にはいられない。

久しぶりに会ったヨガ友と元同僚とは、もちろんそれ以外の話の方がメインで、楽しい時間をすごして別れました。
彼女たちもそれぞれ今、いろんな事があって、思う事もあって、仕事や友人関係、その他もろもろ話を聞きました。
話を聞く事で、私自身、いろんな事を考える良い機会になります。
同僚は話を聞いてくれた次の日の朝、「どう?今日は元気?」とチャットがきました。
自己肯定感と自尊心、完全修復とはいかないまでも、だいぶ戻ってきた感じ。
切り替えは大変だけど大事。
そして、自分を守る事も大事。
だから、静かに黙って、かちりとスイッチをかえましょう。


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