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【適応障害体験記⑩】適応障害になって良かったことは、無いわけでもない。かも。


適応障害になってnoteを始めて、初期の方から書き溜めている適応障害体験記ですが、今回で10本目になります。


だからといって特に何もないんですけど・・・


気づけばもう今日と明日で6月が終わりますね。2021年も折り返し地点だなんて・・・時の流れは早いです。


転勤先の東京に移ってきたのが2021年の1月。2ヶ月後、自分が適応障害になって休職するなんて考えてもいなかったです・・・


適応障害になってしまって、休職が決まったとき、苦しいながら「この苦しい期間があって良かったって、きっと思う日が来る。だから耐えよう。」と思っていました。


その日から3ヶ月半の月日が過ぎました。その期間を経て、果たして私は「適応障害になって良かった」と思えるようになったか・・・答えは「良かったことは、無いわけでもない。かも。」くらいですかね笑


正直、適応障害になって休職してしまって失ったものは多かったです。ボーナスとかボーナスとかボーナスとか・・・笑


あとはやっぱり薬なしでは生活できなくなってしまった(もう少し良くなれば薬なしでも大丈夫になるかもだけど)ことも大変ですし、あとはやっぱり、今もそうですけど気持ちや身体がしんどいです。ひどい時は本当に死にたいと思っていたし、いまだに体調が悪い日は消えたいとか思いますし、身体も心も重過ぎて辛いですし、意味もなく泣きますしね笑


こう書くと、最悪やんって感じですね笑 まあ実際、最悪なのかもしれない。


けど最近は、「適応障害になって良かったのかもな」って思えることも少しずつ見つけられるようになってきた。


まず一番大きいのは「自分のペースで歩こう」と思えるようになったこと。これが一番デカい。


適応障害になる前から、「マイペースに生きたい」とは思っていたんですが、やっぱりなかなか実行はできなくて。でもこの適応障害→休職の経験を経て、自分のペースで生きないとマズいなってやっと分かりました笑

あとは、「自分のペース」がどんなペースなのかも具体的に分かってきた気がします。こんくらいやったら自分は壊れるんだな、これ以上無理しないでおこう、って笑 自分が自分のペースで生きることを、やっと許せた気がします。


あとはそれに伴って、「他人のペース」もちょっと理解できるようになった気がしてます。


私、結構考え方が俗に言う体育会系?で、根性論系の人間だったんですよね。というか、学生時代もそういうグループに属していたし、今もそういう会社に属しているから、それが普通だと思ってた。


もちろん「他人には他人のペースがある」って、表向きでは言ってました。でも今思うと、なんかそれも薄っぺらかったなって。


そんなことを表では言いながら、正直言うとだらけている人を見て「こう言う人にはなりたくない」って心の中で思ってる、みたいなことはあったし。嗚呼、過去の自分、未熟すぎて恥ずかしい。穴があったら隠れたい。



けど「自分のペース」が分かったことで、「他人には他人のペースがある」ってことも、しっかりと本当の意味で納得できるようになった気がします。


人間には、頑張れないタイミングがある。ここでは頑張れないって場所がある。そのタイミングや場所は人それぞれ違う。というか、まず頑張るかどうかは自分が決める。別に頑張りたくないのに頑張らなくてもいい。・・・etcってことが、なんとなーくですが分かってきた気がする。まだまだだとは思いますが。


そんな感じで、「自分のペース」、「他人のペース」について考えられるようになったし、過去に比べるとちょっとは理解できるようになったかな。それが適応障害になって初めて得られたな、ってことです。



まあまだ3ヶ月半だし完治もしていないので、これからどうなるかは分かりませんが・・・どうせなら「まあ、適応障害になって悪いこともあったけど、良かったことも0ではないわ。」って思える感じになったらいいなって、思います。


まあ「苦い思い出は無理に美化する必要はない」というモットーで生きてるので、「苦い思い出」で終わってしまってもいいとは思うのですが!


まあとりあえずこれからも自分のペースでゆるく毎日を過ごしていきます〜







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