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「小さなお家に4人の使用人」の謎:階級社会考察①

「風にのってきたメアリー・ポピンズ」は、「メアリー・ポピンズ」シリーズの第一作であり、`ロンドンに暮らすバンクス家にやってきたナニー(子守)のメアリーが主人公です。イギリスでは1934年に「Gerald Howe Ltd」で出版されました。

↑ 1934年、「Gerald Howe Ltd」からの初版本。

X @First Edition

ロンドンを舞台にした物語で、作者のP.Lトラバースが1934年当時ロンドン在住だったことから、世界で最初にこの物語を出版した国はイギリスだと思いますが、同年にアメリカ版も出版されています(各国の正確な出版日が分かったら、またここに追記します)。

↑ NYの出版社「Reynal & Hitchcock」から1934年に出版された「Mary Poppins」初版本。紙の表紙は茶色、その下の本体の表紙は青だったようです。

https://twitter.com/LaLangelliere/status/561045060545171456

1934年はイギリスがまだ戦争に突入する前の平和な時代でした。第一次大戦は1914~1918年、第二次世界大戦は1939~1945年に起こりましたが、
「風にのったメアリー・ポピンズ」に戦争のきな臭さは感じません。

この物語は、第二次世界大戦前のイギリスの階級社会がよく分かる作品です。イギリスの階級社会(Social Class SystemまたはClass System)は第二次世界大戦の終結とともに大きく変わるので、この物語はヴィクトリア時代(19世紀)の延長上にある階級社会を反映したものです。

現在は昔のようにはっきりした形での階級/階級社会は存在しませんが、しかしまったくないわけではありません。現代社会にも影響を与えています。

階級社会については今後何回もふれることになると思います。イギリスの戦前以前の物語を語る時、この部分を素通りすることは難しいからです。

■たくさん使用人がいる「小さなお家」の謎

物語の舞台となる「バンクス家」について、子ども時代の私には大きな謎がありました。そもそもナニーを雇える家なのですから、豊かな家庭のはずなのです。しかし物語の1p目、こんな記述があるのです。

もし、あなたが、その通りで、十七番地の家をさがしているんだとしたら― このお話は、みんな、その家のことなのですから、そうにちがいないと思うのですが― わけなく見つかります。第一に、その家は、桜町通りで一ばん小さい家なのです。それに、その一軒だけが古ぼけていて、ペンキを塗りなおしたほうがいいような家なのです。

岩波少年文庫「風にのってきたメアリーポピンズ」p5 (林容吉訳)

通りで1番小さい、ペンキがはげた家が舞台…となると、あまりお金持ちではないのかしら? さらに下記のように続きます。

けれども、その家のご主人のバンクスさんは、りっぱできれいな住みよい家と、四人の子どもと、どっちがいいかと、おくさんにきいたことがあるのです。両方にしてあげたいけど、そうはゆかないからです。

岩波少年文庫「風にのってきたメアリーポピンズ」p5~6 (林容吉訳)

上記の問いに対し、バンクス夫人は「四人の子ども」を選んだので、この家にはジェイン(第1子・長女)、マイケル(第2子・長男)`、ふたごのジョンとバーバラの4人がいる、という設定です。

子どもだった私には、この段階でかなり疑問でした。①「小さな家に4人の子ども?」②「子どもは4人と最初から決まっていたの?」等、文字をそのまま読み取るとなんだか不自然に感じました。でも戦前、日本でも子だくさんは普通でしたし(私の父は7人きょうだい、母は5人きょうだい。そのぐらいは普通でした)、②の部分は「ふ~ん」と思いつつも読み飛ばせばよいことなので、次に進んだわけなのでが、その次にさらに不可解な記述があるのです。

そうして、バンクスさんの一家は、桜町通り十七番地に住むようになったのです。料理番はブリルばあやで、食卓の用意をする役はエレン、そして、もうひとり、芝を刈ったり、ほうちょうをといだり、くつをみがいたりするほかに、バンクスさんのことばによると「時間つぶしをしてお給金のただ取り」をする、ロバートソン・アイがいっしょにます。もっとも、この人たちのほかに、子どものせわをするケティーばあやがいたのですが、ほんとはこの本の中にでてくる資格はないのです。どうしてかというと、ケティーが十七番地の家からいなくなったところから、このお話ははじまるのですから。

岩波少年文庫「風にのってきたメアリーポピンズ」p6 (林容吉訳)

バンクス家には料理人、給仕係、雑用引き受け係、(たぶん住み込みと思われる)ナニー、と合計4人もの使用人がいるのです。これってどう考えても「大金持ち」の家庭です。

小さな家ペンキのはげた家に住む一家の暮らしとは思えないのだけど…。

メアリー・ポピンズが物語に登場するのはこの数ページ後のこと。バンクス夫人は急に出ていってしまったケティ―ばあやの代わりのナニーを募集すべく新聞に広告を出し、応募してきたのがメアリー・ポピンズです。彼女が登場した後は、引きこまれるように読んでしまうので「大きな謎」はそのままに読み進めましたが、謎は解決しないまま長い時が経過しました。

この謎は、イギリスにおける階級社会をある程度理解しないと読み解けないことなのだと、ロンドンに来てからやっとわかりました。

■3つの階級

メアリー・ポピンズが出版された当時のイギリスには、階級制度がしっかり存在していました。階級は大きくわけて下記の3つです。

*Upper Class:上流階級
*Middle Class:中流階級
*Working Class:労働者階級

しかし3つにかっきり区分される…というわけではないのが複雑です。特に特に「中流階級」は「Upper Middle」と「Lower Middle」の2つに分けられる場合があったり、「Upper Middle」「Middle」「Lower Middle」の3つに分けられる場合もあります。この辺の線引きは大変曖昧です。

■「階級の差」は財産・資産の差ではない

「階級」についていくつか誤解を招きやすい点を説明すると、まず「財産(お金)をどのぐらいもっているか」の区別ではなく「その家(=家庭。Household)の生活スタイル」と「親世代の出身階級によって決まる」と言う点です。

後者について書くと大変ながくなるので、今回はまず前者「生活スタイルの差」であることのみ記述します。

Upper Classは王室や貴族(+1870年頃に激減した「ジェントリ」と呼ばれる地主層)を指しますが、「Upper=お金持ち」と言う意味ではありません。「貧乏な上流階級」も存在したわけです。貴族の称号を持っていても経済的に回らない場合は、「貧乏貴族」なわけですが、たとえ貧乏でも条件がそろっていれば「Upper Class」なのです。

Middle Classはある程度教育を受けたいわゆる「ホワイトカラー(嫌な言葉ですね)」の家庭を指し、この階級の多くが使用人を雇っていました。

Working Classはいわゆる「ブルーカラー」の家庭です。

階級の違いを差別的に言うこともなくはないのですが、しかし本来の意味は「区別」ではあるものの「差別」ではないとされています。

でも実際には…差別があったはずですし、今もないわけではありません。この辺が階級社会の根深さと功罪です。

それぞれの階級に果たすべき役割があるので、「役割の違い」という考え方です。人々は自分の階級に誇りをもって生きています。これはある程度は正しい解釈ですが、「階級を越えたい」と思う人がいない(いかなかった)訳ではないののも事実です。どの時代もどの社会も、線引きされればその枠で生きづらさを感じる人も多々います。「階級制度」を語る時、それはイギリスの文化ではあるものの、批判的な目線で語られるのは当然の事だと思います。

■バンクス家の階級は?

長々階級社会について書いてきましたが、わたくしの長年の謎は「バンクス家は使用人もいるしお金持ちそうなのに、そうではないの?」ということ。

その答えが「階級」にあるのです。

バンクスさん(夫、4人の子どもたちの父)は銀行員であると書いてあるので、「大きく分けた3つの階級」の「Middle Class」であることは決定です。しかし「Middle Class」を2つ、または3つに区別した場合のどこに属しているのかを考えると、「中流階級の中でも真ん中ぐらい(Middle)」なのかなと私には思えます。

銀行員にはUpper Middle Classに分類される人もいたでしょう。親世代が何らか資産をもっていて(例えば大きな家や土地、株など副収入を得られるもの)、本業以外にも収入が入り、ラグジュアリーな生活スタイルを維持できるレべルの資産がある人がこれにあたります。

バンクスさんの場合は「小さな家」なので「Upper Classどんぴしゃり」ではないはずです。しかし使用人を4人雇うだけの資金力はあるものの、家をきれいに手入れするほどの財力はないようです。ペンキは塗りなおさなくても「使用人を雇う」生活スタイルは曲げることなく暮らしているので、「ややUpper寄りの志向を持つMiddle」なのだと思います。

「ペンキを塗りかえるお金がないのであれば、そんなに使用人を雇わなければいいのに」と、私は子ども心に思いました。でもそういうことではないのです。きっとバンクスさん夫妻は使用人を雇っていた家庭で育ち、そういう風に暮らしを営むのがあたりまえに暮らしてきた人たちなのです。そして「そのぐらいの階級にいる人」として生きるためには、2人にとって最低4人の使用人が必要で、それは大きな家に住むことや、はげたペンキを塗りなおすことよりも大事なことなのです。

↑ ディズニーが1964年に製作したジュリー・アンドリュース主演の映画「メリー・ポインズ」は原作と違う部分が多々ありますが、この映像を見る限り、バンクス一家のお家はすご~く大きいし、とても豪華な暮らしをしています。イギリス社会を少し垣間見た上で、私には原作版は、映画版よりもう少し控えめな家庭が描かれているとは思いますが、同じ「Middle Class」を描いていることに変わりはありません。

https://www.youtube.com/watch?v=YfkEQDPlb8g

■「Middle Classという名の『上流階級』なのよ」ー 友人のことば

一度、私の「長年の謎」について、イギリス人の友人と話したことがあります。彼女は原作も読み、ディズニー版の映画も見ている人です。

彼女は「『Middle Class』と言う言葉が誤解を与えるのよ。Middle Classって、文字面どおりの『中流』ではないの。Middleって言う名の『上流』なのよ。今の感覚でいったら、断然お金持ちなの」と語り、バンクス家のこの層にあたると解説しました。

また「使用人を雇うレベルの家庭」と「労働者階級」の家庭との間の「ぼんやりした階層」に多くの人が属していること、階級を3つだけにかっちりと線引きできない事などを説明してくれました。

「バンクス一家」の謎は、イギリス特有の社会システムと、それにともなう生活スタイルを理解してはじめて解ける謎だったのです。

これからも「メアリー・ポピンズ」の物語に潜む、イギリス社会や生活を深追いしていきます。

ちなみに… 「メアリー・ポピンズ」は、住み込みでナニーをしている…といるのですから労働者階級です。気高く凛々しく、自分の役割を果たす、独立した女性です。物語にはえんとつ掃除屋さんやマッチ売り等、たくさんの労働者階級の人たちが登場します。







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