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映画 「子どもたちをよろしく」 と渋谷デモ

元文部科学省の寺脇研と前川喜平が企画した映画「子どもたちをよろしく」を観た。

室井佑月のイベントに行った時に「前川喜平さんて、ちょっと地面から5㎝ぐらい宙に浮いているんじゃないかと思うくらい気品がある人なの!」
と言うのを聞いて、チェックしていたら「この人は信頼できる!」とファンになってしまった。


映画はどこにでもいるようなありふれた中学生とその家族の闇を描いたものだった。
何となくいじめ、虐待、貧困等衝撃的なシーンを寄せ集めた映画かな?と予想していたが、まったく違った。

子どもたちの親は揃いも揃って毒親なのだが、どうしてそうなってしまったのかも丁寧に描かれていて、
「こういう所、私にもあるな」
と全員に感情移入できた。

一人だけギャンブル依存症で、子どもの修学旅行費も払えない父親には、感情移入できなかったが、そうなるしかない理由は理解できた。

人間誰でも得意な分野と苦手な分野があり、苦手な分野が子育てに著しい弊害がある場合には、子どもを救済する施策を充実させないといけないな、と思った。

この子たちに誰か一人でも、真摯に話を聞いてあげる大人がいたら、こんなに悲惨な結末は迎えなかっただろう。

現実の日本社会は、この映画の通りに子どもの権利は蔑ろにされ、親の所有物としか見做されない。
明らかに虐待を受けているのが分かっていても、誰もが見て見ぬ振りをする子どもに冷たい社会だ。

日本の大人の自殺数は微減しているらしいが、子どもの自殺率は過去最高を更新しているという。

善良な大人は虐待やいじめで亡くなったニュースが流れると、
「かわいそうに」「酷い!」「何て親だ!」「母ではなく女に成り下がった!」
といきりたつが、どこか遠い話ではなく身近に溢れていることだし、その人も程度の差はあれやってきたことなのだ。
ひとしきり優越感に浸ると、次の日には忘れている。

私たち大人は現状を認めて、少しでも未来を担う子どもたちによりよい社会を渡せるように努力するべきではないのか。

映画を見終わって渋谷駅に向かうと、東京都知事選の街頭演説でヘイトスピーチを垂れ流している団体と、
「ヘイトスピーチは許さない」とカウンターデモを行っている光景に出くわした。

これは逆さに見てね。

ヘイトスピーチをしている人達より、カウンターデモをしている人達が圧倒的に多く、新しい時代の到来を予感した。

私は写真や動画だけ撮るつもりだったが、我慢できなくなりカウンターデモに連なって大声を出していた。

東京では良心に従って声を上げる人が増えてきている。
どこの所属でなくても、連帯できれば大きな風が起こせるかも知れない。

そんな希望を感じた日だった。

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