「くもをさがす」を読んだ
作家の西加奈子さんが21年のコロナ禍に、カナダで乳がんに罹患した経験を綴った本。
この本はKindleではなくどうしても書籍で読みたかったので、Amazonで購入しようと思った矢先、ふらっと入った書店で見つけたので購入した。
カナダに移住してすぐコロナ禍になり、そんな状況の中で西さん自身のがんがわかる。
慣れない異国の地、さらにコロナ禍という過酷な状況の中、さらに4歳のお子さんの育児がある中、抗がん剤治療と手術、放射線治療を経て回復するまでの記録である。
今回、読書感想のマガジンで書こうかと思ったのだけど、辞めた。
わたしが今治療中だと言うことと、西さんの綴る文章にあまりに共感することが多く、読書感想的なアプローチではなく、感じたことを書こうと思った。
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わたしは、西さんと同い年の1977年生まれ。
そのせいなのか、性格的なものや時代的な感性に似ているところがあるからなのかわからないのだけど、とにかくこの本を読んでいる間は抗がん剤の治療中でありながら、ずっと安心感に満たされて、癒されていた。
「同い年の友達が同じ病に向き合って、一緒に乗り越えようとしている。」
ひとりじゃない、そんな気がした。
人の想いや考えに共感を覚えるというのはこれほどまでに人間を癒すんだと西さんの言葉の中に感じ続けていた。
「わかる。わたしも一緒。」
ただ、共感というのは難しい。
心理学的なツールとしての共感は、時に人を傷つけることもある。
嘘は簡単にバレるし、とってつけたような共感にも人は敏感だ。
わたしは「共感」というのが簡単なようで実は難しいものだと経験から感じていたけれど、西さんが感じたカナダでの医療経験や、海外と日本での感性の違い、そういったものに対して綴られる西さんの気持ちに、文字通り、とても共感した。
海外の医療経験を読んでいると、日本がどれだけ恵まれた環境なのかを痛感する。
様々な不便や伝達のニアミス、両胸切除の手術が日帰りだと言うのも驚きだった。
そういった海外の事情の中で感じた経験や、看護師や医師たちとのエピソードひとつとっても日本しか知らないわたしには驚きと共に新鮮だった。
カナダでの生活は仕事や人間関係においても大らかで、よく言えば寛容、悪く言えば雑、というような様々なシチュエーションも、西さんの目線でその価値観の違いを淡々と受け入れていく。
医療機関で邪険にされる経験や、言葉不足によるコミュニケーションの齟齬、思い通りにならない過酷な状況で西さんが涙するシーンはわたしも一緒に泣いた。
抗がん剤治療の中で、友人に付き添ってもらって美容室にウィッグのカットに行くエピソード。
病はどうしようもなく人を孤独にする。
病の前と後で、できていたことができなくなった寂しさ。
失ったものの大きさ、それを受け入れていこうと前を向く時の孤独感。
これまでの人生に何かキリをつけるような諦めは、一人荒野に立った時のようだ。
どうしたってがんを経験したら以前の自分と同じではいられない。
強制リセットがかかり、今後の方向性を否が応でも模索せざるを得なくなる。
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本の中では、現地の日本人をはじめとした友人達のサポートが本当にあたたかく人との助け合いの美しさを感じた。
カナダの看護師のおちゃめな魅力もそうだし、医療従事者のあたたかい強さや思いやりには、心がほっとなるエピソードもあった。
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ところで、本の後半、日本の「見せ」に対する西さんの見解にも共感した。
年齢を重ねていくことは美しいことであるのに、日本的な価値観は、「誰かからどう見えるか」に重点を置く。
アラフォー向け女性誌などでよく見る、「NGコーデ」「若見え」「イタ見え」などのキャッチ。
プチプラのバックや洋服をいかに高そうに見せる「高見え」というワード、ある雑誌の「幸せそうって思われたい」というタイトル。
そこに本人が幸せか、心地よく納得しているかという概念はない。
たぶん、今の日本人って周りからどう見られるか?という感覚が自分を苦しめる要因なんじゃないかと思う。
今のわたし自身がどう見えるか?
自分が本当に幸せなものに気づくのは後回しで、人からどのように見られるかの方が重要。
そのために自身の内観ではなく、周りの価値観ばかり見てしまうから、本当の等身大の、ありのままの自分の良さや、気持ちに気付けない。
「自分が思う幸せ」が、外的基準や世間が良しとする価値観と合わないとモヤモヤしてしまう。
本当は自分の価値基準は、周囲にいる誰とも違って当然なのに。
そして等身大の、ありのままの、もっと言えば弱いままの自分を受け入れることができたら、心の鎖は外れて自由になれるのに、だ。
読書後、西さんの他の本を読もうと思ってネットで検索をしていたら、下記の記事を見つけた。
自分は弱い存在である。その事実を受け入れる。
と西さんは言っている。
「それだけ」でいいような気がする。
他には何もいらないのではないか。
自分の価値や目標を探そうとする必要はない。
そのままであること、社会や周囲や時代が作った“理想像”に自分を無理やりあてはめようとしなければ、軽やかになれる。
「こうありたい自分」と、「本来のそのままの自分」があまりにもかけ離れすぎていると、苦しみを生む。
モヤモヤ苦しい、自分がわからない、目標ややりたいことが見つからない、ビジョンが見えないのは、あなたが他者を見ているから。
誰かにとってのカッコ良さの基準に、自分をあてはめなくていい。
人と比べなくていい。
「人よりも/もっと/多く/」と求められる競争のレールから抜けて、本来生まれ持った自分の良さや得意なことを活かして、不得意なものは人を頼って相互にそれぞれの得意を生かし、助け合いながら生きていくことじゃないか。
誰かに自分の価値観や意見、考えをわからせる必要もない。
あなたがわかってもらえないと切実に苦しみ、なんとか変えたいと思っているその相手もまた、自分と同じように違った価値観のもと、時代にのまれながら苦しんでいる。
国の違い、性別の違い、価値観の違い、そういうもので相手を変えたい、どうにかして理解させたい、自分を受け入れて欲しい。
そう思えば思うほどに、相手(自分以外の他、社会)の存在は大きくなる。
だとするならば、わたし達は圧倒的に自分を受け入れていくことなんだと思う。
そして弱さを、何もない自分を受け入れること。
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本の中に登場する、数々の小説や芸術の一文も深くて尊い。
西さんががんと向き合いながら読んだ書籍の中に、時代、国、性別などの様々な隔たりを、美しい文章によって垣間みることができる。
がんと向き合った季節の中に、ご自身の先祖から祖父母のエピソードもどこか懐かしさを感じながら読んだ。
そしてカナダという国と向き合った関西人の西さんの軽快な関西弁に時に笑い、癒されながら、読書時間を過ごした。
お盆の夕暮れ、通り雨が過ぎた後の風が心地よかった。
そして子供の頃、近所の友だちと遊んでいる時に夕方のチャイムがなって帰らなくてはいけなくなった時の、寂しさのような気持ちを思い出していた。
最後のページを繰る時、「まだ終わらないで」と思いながら。
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