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【映画鑑賞記録】ドライブ・マイ・カー

村上春樹の小説に夢中になっていた学生時代、
大学の通学鞄にはいつも彼の小説が入っていて、時間があると開いて読んだ。

最初の出会いは、実家の本棚。
兄の本棚に「ノルウェイの森」を見つけて、こっそり拝借して読んだ。
当時まだ10代だったわたしには、作品の世界観は刺激が強かったのだけど、
登場人物たちの心情になぜかとても惹かれたのだ。
それを皮切りに、村上作品を次から次へと読んだ。

少し前、「寝ても覚めても」を観た時、濱口監督が映像の中で描こうとしている空気はわたしの感覚に寄り添うようで、すっかり作品のファンになった。
「この監督の作品は観たい」、そう思っていた。

今回、わたしが村上春樹の中でも好きな短編「女のいない男たち」の中の「ドライブ・マイ・カー」が濱口監督によって映画化されるということで、否が応でも期待は膨らんだ。

暗いベットで女の"語り"からはじまる冒頭、その言葉を聞く男、一気に作品に引き込まれ、物語がある程度進むまでこの場にいることを忘れるほどの一体感となる。長い白昼夢のようなアバンタイトル。映画を観ていたことさえ忘れてしまっていたような感覚で、タイトルではっと我にかえった時、
「ここは村上春樹の世界なんだ」と胸が熱くなるようだった。

***
以前、ヒプノセラピーという前世療法のセッションを受けた時、
わたしは中世ヨーロッパのような時代に、馬車を走らせる男性だった。
隣には妻のような女性が座り、わたしたちは塞ぎ込んでいた。
セラピストの誘導で、自分がどこへ向かっているのか、これから何をするのか、わたしは深い瞑想状態の中、訥々(とつとつ)と語り出した。
「病院に向かっている…、これから、自分達の幼い子どもが入院している病院に…、まだ5歳なのに病気で…、手遅れのよう。」
その後見たわたしの過去世は、子どもを幼くして亡くし、妻にも早いうちに先立たれ、比較的若いうちから一人で生きた男性だった。
家族に先立たれ、孤独を感じながらも学問に傾倒し生業としている男性で、窓から美しいヨーロッパの街並みが見えるシンプルで落ち着いた美しい部屋で静かに暮らしていた。
セラピストの誘導で、自分が死ぬ瞬間に立ち会った。
そこはあの世と言われる場所で、気がつくと家族がそこにいて、
幼い子どもと妻は言った。

「先に死んでしまって、寂しい想いをさせてごめんなさい」と。
***

映画の中で物語が進むうち、主人公の家福と前世療法で観た過去世の自分が見事にシンクロし、息を呑んだ。
鳥肌が立つような不思議な感覚がやってきて、この映画を見終わる頃には何かが終わって、そしてはじまると感じた。

わたしは村上作品の多くに描かれる「不在感」にとてつもなく惹かれる。
彼の作品の中で、主人公は孤独であり、そして、”誰か”がいない。
その"誰か"に、読み手は自分の想い人を重ね、心情を重ね、
生きていくとはこういうものか、と折り合いをつけるのだと思う。

この映画でも根本的な欠落を抱えた家福とみさきが出会い、ドライブを通して人間的信頼関係を深め、心を開くうちにお互いの欠乏に寄り添い、癒し、認め合っていく。

多言語劇を通して描かれる登場人物たちの人間模様と、家福とみさきの会話から生まれる"新しい何か"も物語に彩りを与えてとても魅力的。
役者はそれぞれ個性的で、人間的で、優しい空気感に満ち溢れており、村上作品に共通する心地よい感覚のそれを、濱口監督が丁寧に映像として切り取ったようだった。

結局のところ、人の気持ちはわからない。

表面的な言葉だけで、相手が"本当のところは"何を想っているのかを想像するには、人間はあまりにも複雑だ。
家福の妻である音(おと)も、自分の意図した範疇を超える深い闇をどこかに抱え、それを共有できないどうしようもない寂しさを感じる人物としてそこに存在する。
わかって欲しいという言葉だけでは語りきれないような、深い喪失感。
孤独の先にある、それでも理解し合いたいという希望を叶えるために、主人公たちはドライブに出かける。
また作品としてとても魅かれたのが、岡田将生演じる高槻の最後の長い語りシーン。
とにかく息を呑むほど圧巻だった。

179分という時間で織りなす、過去と本当の自分自身を見つめる人生という名のドライブ。
わたしの青春時代には村上春樹の作品がいつもそこにあり、20年以上の時を経て、わたしも同じ時代に映画を志していた濱口監督の作品によって描かれたことにとても感銘を受ける。
2022年、インターネットとデジタル・AIの時代に、ほとんどその要素を感じることなく、これほどまでに人間心理の根源的なテーマを描いた作品があるということ。
そのことに深くうならずにはいられない、そんな三時間の映画体験だった。


言うまでもないことだけど、この手の作品は家族や友人、ましてやパートナーと観るような類ではないと思う。
深く自己の内面と向き合い潜在意識と語り合うような、濃厚で静かな時間としての映画体験だ。
商業的感覚では、ぜひご家族や友人、恋人とご覧になってください!となるのだろうけど。
家族であれ、友人であれ、パートナーであれ、結局は"個"なのだから。
わたしはすっかり作品の虜になり、機会があったら劇場でもう一度、二度、観たいと思っている。

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