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スプートニクの恋人

90年代末頃、わたしが大学に入学して始めた人生初のアルバイトは、新宿にある大型書店だった。

入学してすぐの4月、アルバイト情報誌で広告を見て電話したらすぐ面接になりその日のうちに採用になった。
わたしはただお金が入ればよかっただけで、時給とか、バイトの内容とかはほとんど何も考えてなかった。
でも結果的に学生時代の本屋でのバイト経験は、その後の自分の人生に大きな意味をもたらすことになった。
(その後わたしは、20代のうちに合計3つの書店でバイトすることになる。)

わたしは当時、「出納課」といって会計カウンター後ろに配備したレジでお金を受け渡す配属になり、接客したり、お客様が持ってきた本にカバーをかけたりする担当からは外されてしまった。
わたしは本にカバーをかける仕事に憧れていて、本屋のアルバイトではそれができると期待していたので、出納課に配属と知った時とてもがっかりした。
ましてや新宿アルタ近くの書店で、カウンターにいたら多くの有名人が書籍を買いに来る。
わたしもカウンターの後ろからたくさんの芸能人を見た。

出納課とカウンター業務はきっちり分業になっており、仕事中業務以外ではほとんど会話することもなく、出納課とカウンターとの間には一種の派閥があった。
お昼になると、下の社食に各階に配備された出納課のアルバイトたちが集まって一緒にお昼を食べ、ひたすらおしゃべりしながら過ごす。45分間の昼休憩時間はいつもあっという間だった。
ほとんどが都内の大学生で、あとはフリーターなどの女の子だけのチームだ。(出納課は女性だけだった。)

わたしたちははっきり言ってうるさかった。
大学1年〜4年までの大学生女子が集まって、食事しながらひっきりなしに話し、きゃっきゃっと笑う。バイト先のお昼休憩45分の間、とにかく話したくて話したくて。出納課の若い女性社員に「みんなもう少し静かにして。」と幾度か怒られた。それでも懲りない私たちは、出納課の女性課長に呼び出されて、みんなで怒られたこともある。
まだ就職を経験していないわたし達は、みんなどこか自分中心に世界がまわっていて、社会を知らないお気楽な学生アルバイトだった。
大型書店なので年上の社員さんもたくさんいる社食で完全に浮いていたと思う。
でも、私たちは気にしなかった。
思いっきり浮いていることをみんな受容していたのだ。当たり前のように。

当時仲良くしていた早稲田の文学部に通うバイト同期の友達がわたしが映画が好きなのを知ると、「山田洋次監督の撮影現場を見学できる課外授業があるから、もぐりにおいでよ!」と誘ってくれた。
この上ないチャンスと思ったわたしは早稲田生のフリをしてちゃっかりもぐりこんだこともある。
彼女は小説家を目指していた。
そしてお互いの小説やシナリオを見せ合い、ああだこうだと意見を言い合った。
いつも、飽きることなくそんな話をしていた。

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その女性の名前はマツキさんと言った。
マツキさんとは、最初の書店を辞めた後、大学3年の時に銀座にあった書店のアルバイトで出会った。
女性と言っても、都内の有名私立大学の4年生で、わたしの2つ年上。
でも"女性"という言葉そのもののような雰囲気で、凜とした横顔の美しい人だった。
肩までの美しい黒い髪を後ろで少し束ね、品の良いセーターとズボンというシンプルな服装にいつも書店のエプロンをしていた。
佇まいそのものがとても上品な、素敵な人だった。

銀座の書店では、憧れのカウンター業務ができた。
はじめてのカウンター業務でマツキさんの隣で仕事ができた時、とても誇らしいような嬉しい気持ちだった。
カウンターでマツキさんが「いらっしゃいませ」と言い、会計処理をレジに打ち込み、金銭のやりとりをする。
その後、「本にカバーはおかけしますか?」と言うマツキさんの手元を見ているのが好きだった。
美しい手で何の澱みもなく手際よく本をくるむ仕草を、自分にはどこまでいっても手が届かないような、憧れのような気持ちでただ見ていた。

わたしは当時、アルバイトして貯めたお金で買った、SONYの小型ビデオカメラを鞄にしのばせ、大学でも、どこでも、とにかくカメラをまわしていた。当時「リアリティバイツ」という映画のウィノナライダーに憧れていたのだ。大学のどこでもカメラをまわしていたので、当時の友達はよく付き合ってくれたなと今は思う。

そして、村上春樹の小説を読んでいた。
髪は短く金髪に近い色に染めて、マルボロを吸っていた。そして暇さえあれば都内の単館映画館を一人でまわっていた。
アルバイト以外はいつも、暇だった。
そしていつも、映画を撮りたいと思っていた。

マツキさんとは、バイトで顔をあわせるうち、少しづつ会話をするようになった。当時、休憩室で村上春樹の小説を読んでいたら、「わたしもハルキが好き」と言って声をかけてくれたのだ。「彼の作品はほとんど読んだ」と。
「村上春樹のどんなところが好きですか?」と聞くと、マツキさんは「孤独で静かなところ」と言った。
わたしはそれを聞いた時、胸のあたりに静かな夜の海のような凪が、さわさわと揺れるのを感じた。

大学4年だったマツキさんは、書店で一緒だったかなり年上の彼と半同棲しており、当時のわたしにはとても大人に見えた。
休憩室で一緒になると話をした。
マツキさんの就職活動の話を聞き、わたしの新宿の書店での話をし、好きな小説の話をした。わたしがマツキさんに「映画を撮りたい」という話をすると、目を子犬のように丸くして、熱心に聞いてくれた。
マツキさんにおすすめの小説を教えてもらうと必ず読んだ。
感想を伝えたかったからだ。

ある時休憩室で、マツキさんが「就活でともちゃんがバイトしてた新宿の書店の面接に行ったよ」と話した。
なんだか意外だったけど、それを聞いた時、わたしは静かに胸が高鳴る感じがした。

その年の冬、マツキさんは新宿の書店へ就職を決め、春までにアルバイトをやめると言った。
「新宿の方へ顔を出しに行きますね」とわたしが伝えると、マツキさんは少しの沈黙の後不意に「ともちゃんはハルキの小説はどこまで読んだ?」とわたしに聞いた。
わたしは村上作品は一通り読んでいたつもりだけど、「古い作品や短編などはまだ未読のものもあると思います。」とマツキさんに伝えた。
わたしが持っていたのは一部で、図書館で借りた本などもあったからだ。
そのことを伝えると、マツキさんは「よかったら私の本をもらってくれない?」と言った。
わたしはそれを聞いた時とても嬉しくて「はい、ぜひ!」と即答した。

でもその直後ふと思い直し、「でも…いいんですか?あげてしまって。」とわたしが言うと、
マツキさんは、穏やかだけどどこかきっぱりとした表情で、「うん、ともちゃんにもらってもらいたいの。わたしは、もう、ハルキはいいかな、と思って。」と言った。
そう言うマツキさんの顔を見ると、瞳の中に小さな揺らぎを感じて、海の遠くに見える船が日に向かって走っていく風景を見ているような、どこかしんとした気持ちになった。

***
翌週か翌々週だったかバイト先で会った時、マツキさんは大きな紙袋にいっぱいの文庫本を入れて持ってきてくれた。
「一度に持ってくるのは大変だったから、小分けにして持ってきてロッカーに置いておいたの」と。
マツキさんが大学時代に書店のアルバイトで貯めたお金で買ったであろうその小説たち(確か2~30冊くらいあった)を紙袋いっぱいにもらった時、心の底から嬉しかった。
大喜びで「ありがとうございます!」とわたしが言うと、マツキさんは満足そうな、真冬の太陽の光のような優しい顔で微笑んだ。

その日、わたしは嬉しくて、電車で紙袋いっぱいの小説を自宅まで持って帰った。袋がやぶけないか心配しながら、時に両手で抱えるようにして山手線に乗った。

家に帰ってひとつひとつ小説を見ると、丁寧に大切に読まれた跡が見てとれた。そして、ある小説の表紙カバーのうしろをくるっとめくると、そこに英語で名前が書いてあった。

○○○○ Matsuki

もう、アルバイト先でマツキさんに会えないと思うととても寂しく感じた。
と、同時にわたしも来年4年になるんだ、と思った。

その後、マツキさんは新宿の書店に就職し、わたしも4年の時に何度か会いに行った。
文庫フロアの配属になったマツキさんは、変わらず美しい黒い髪を後ろで少し束ね、制服を完璧に着こなしていて、そして、大人だった。
わたしはあいかわらず短い髪に破れたジーンズとトレーナーにリュックという格好で、フロアにいるマツキさんを見つけるとぶんぶん手を振った。
マツキさんは、わたしが目に入ると、困ったような、手のかかる弟を見つけたような微笑みを浮かべ、「きたな」というような顔をして近づいてきて、わたしの髪をくしゃくしゃっとやった。


***
それから自然と時が流れ、わたしは大学院へ進んだ。
映画を撮るために。
自分のやりたいことをやるために。

いつだったか、古くなったこともあって小説の大半は処分してしまったのだけど、そのマツキさんの名前が入った小説だけは、本棚に残した。今でも時々実家に帰り自分の部屋で本棚を覗く時、その小説はわたしを優しく迎えてくれる。
その小説を手に取るたびに当時の記憶が蘇り、その瞬間、思い出は語りかけてくれる。


「わたしはわたしのやりたいことをやる」と。

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