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以前から姉妹会議は催していたのですが、ようやく親がその気になりました。母から、父が施設の面接を受けるとは聞いていまして、これを書き始めたらちょうど姉から連絡があり、入居日が決まったそうです。

父の状態

父は軽度の認知症と診断されていますが、家族と同居であればまだ施設に入ったり入院したりするレベルではありません。

ただ、このウイルス騒ぎの始めの方で母が腰の手術で入院した時に、私も何度か帰って見ていましたら、もう父一人では留守番は危ないと思いました。もともと運動などしていない上に体力も衰えていて、なんというか生活力がないのです。続いて今年、膝の手術で母が入院する際には、しばらく老健に入ってもらいました。

姉は実家から比較的近くに住んでいますが仕事がありますし、私は姉より時間がかかるところにいます。一番怖いのは、誰も行けない時に父が一人で倒れていること。母の最初の入院の時に父が腸管出血して貧血も起こしていたのですが、こともあろうに入院中の母にSOSの電話をしたのです。
そこは、姉か私か119番でしょ!
母→姉と繋いで姉が翌朝駆け付け、タクシーで病院へ行ったそうです。

というわけで、2回目はどこか人の目のある所にいてもらわないと怖いということになりました。一人で病院にも行けず、救急車も呼べないのですから。

そして、普段やらないくせに根拠のない自信で料理をして、火を出すのも怖いことでした。たまにしか電子レンジを使わないほど何もしてこなかったので、レンジはもう使えないようです。

父自身も心筋梗塞になったり、大腸がんになったりして、家で倒れて救急搬送されたことが数回あります。母はまだ腰のコルセットを着用している状態で、父の介助のために支えたりしてはダメだからね、と医師から強く言われています。

もともと、頑固オヤジでオレ様だったので、どこからが認知症だったのか、はたまた老人性うつなのか両方なのかわかりませんが、相変わらず母が自分の世話をするのが当たり前だと思っているようで、母が負担に感じることが増えていきました。

母、キレる

大腸がんになった時、ポリープも21個取りました。前回の大腸内視鏡から7年も経っていると聞いて、いくら老人だからとはいえどうしてそんなに放置しておいたのだろう?と思って聞いても、きちんと答えてくれません。謎。

それは置いておいても、腸壁まで到達していないがんだったので、取ったらとりあえず終わりというものでした。なのに
「がんになったから、もう死ぬんだ……」
と繰り返し言われてげんなりした母が、つい
「じゃあ死ねばいい」
と口にしてしまい、自分でも驚いたのか電話してきました。

「……って言っちゃったのよ……」
「思わず出ちゃったんだね。お父さんもトシで、周りに亡くなる方が増えてきて心配なんだろうけど、何度も聞かされたらお母さんも嫌になっちゃうよね。つい出ちゃったのは仕方ないよ、気にしなくていいんじゃない?」
「そぅお?」

とはいえ、この頃の母はまだ
「そうは言っても施設に、っていうのはまだ早いと思うのよ」
と言っていました。

姉が少し急かすようなところがあり、それが嫌みたいでした。
姉の方は、義母が認知症で施設に入った後に脳梗塞で半身不随になった経験があるので、早くしないと母が潰れてしまうと思っていました。

父に決定打

父の通院の際はまだリハビリ中の母が付き添いますが、夏の始め頃に、父が具合悪そうにしている(熱中症?)のを見た先生が
「点滴して行く?」
とせっかく言ってくれたのに、断って帰ってきたそうです。謎。

帰宅後、やはり具合が悪くなって顔面蒼白、全身冷や汗で寝ていた父が
「病院でつい見栄を張ってしまった」と言うのに対して
「もうこれ以上、お世話はできない」と母は言ったそうです。

この話を聞いて、却って良かったかもしれないと思いました。
「お父さんはそろそろ施設に入った方がいいと思う」
だと反発必至ですが
「もう私はこれ以上のお世話はできない」
ですから反発のしようもなく……しかも気持ちの問題だけでなく、身体的な理由もありますので。

こんなところにも、You MessageよりI Messageかぁ……と思うのでした。
(※主張訓練の技法で「あなた」を主語にするよりも「わたし」を主語にした方が伝えやすいというものです)

父、キメる

地理的にもケア内容も、姉の義母が最初に入っていた施設(グループホーム?)が良いのでは、という話が秘密裡に進んでいたある日、父の口から
「そろそろ(施設に)お世話になろうかな」
という言葉が出てきたそうで、見学、面接、契約へと進みました。

ただ時々
「次に帰ってきた時にやればいいから」
というようなことを口走るらしく、わかっているのかいないのか、認知症の症状なのか違うのか……母の主治医によると、皆が通る道のようなのですけれど。

母から日程の連絡があった時、少し父とも電話で話しました。
老いについて学んだり、グループホームの傾聴ボランティアをしたりして少しつかんだコツはシンプル。

ゆっくり、ハッキリ話すこと
早口で話すとまず聞き取れず、つまり理解もできず、口調から怒られているみたいに感じるようです。ですから、ゆっくり、ハッキリ、簡単な言葉で。

少しぐらい時系列が怪しくても大差ないので、うんうんと聞いていたら、いつものそっけない会話よりは長く続いたように思います。

「次に帰った時に」という話でつい思い出すのが、甥っ子の小さい頃。
「今日はおばあちゃんちにお泊まりする!」と来たのは良いのですが、夜に
「おうち帰る~」と大泣き。
その事を思い出したと言うと、母も姉も大笑いします。当の甥っ子は嫌がるでしょうねぇ。

私が会社員でいなければならなかった理由

親が施設に入る時には身元保証人が必要なので、まだ会社員でいて!とフリーランスの姉にずっと言われていました。そのことも、まだどこかに属していようかと思う理由の一つだったことは確かです。

ただ、姉の義母の時と違って、今は保証人を立てずに保証会社に頼むのが主流になってきているようです。家の賃借や購入もそうですものね。

親の家問題

姉も私も持ち家で、好きな住まいでハッピーライフを送っているため、親の家は要りません。築年が古いですし。

親は親で長年ローンを払って手に入れた家ですから、一生暮らしたいのはわからないでもありません。

それが、ある時から考え方が少し変わってきて
「そのまま売る(買った人が好きにリフォームする)のとリフォームしてから売るのと、見積もりぐらいは取ってもいいかも」
と言い出しました。姉は、それが私の発言の影響だと言います。

「私は、そのうち今のマンションを売って、人の目のあるグループホームか何かに入るつもりだよ。孤独死して見つけてもらえなかったら、マンションの価値が落ちちゃうしね(※お掃除だけでも大変らしいですよ)」
と確かに言いました、それはもうケロリとした感じで。
姉曰く、これが効いたのではないかということです。

まずは、父の部屋の片づけから……(げんなり)。

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