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ここは、誰かによって創られた世界。

(写真: 毎年秋にチャリティーランを子供たちと走ることが恒例になってきた。2020年の参加時のもの)




私の大好きな本に「サピエンス全史」という書籍があります。途中で飽きずに、もっと読みたい、もっと読みたいと思える本は多く存在しませんよね。

この世界や日本の中で生きていて、なんだかしっくりこないなぁと立ち止まっている方々に是非読んで頂きたい一冊。この本の「子供仕様」をどなたか文才のある作家さんが書いたらいいのになぁとずっと思っています。


私たちのいるこの地球には、人間という生き物が存在している。

その人間というのが私たちで、私たちの存在のルーツを探ると「ホモ・サピエンス」という、とても賢い動物が起源のようだ。


昭和や平成に生を成した私たちは、生まれた時からこの「世界」は存在していて、

社会、法律、政治、道路交通、通貨、国、言語、学校、飛行機や車などのトランスポート、パソコンやスマホなどのテクノロジー、一方で目に見えない宗教や思想、など全てを創り上げたのが、サピエンスである。

私たちが生まれた時代を考えると、とてもラッキーで、すでに昔の先人たちがこのシステムを全て創りあげてくれていたわけだよね。

生まれながらにして、世界の仕組みは整って機能していた。要するに創られた世界の中にただ生まれてきた私たちは、既存のプラットフォームを疑いもなく「私たちが生きる世界」として無意識に受け止めるわけなんだけれど、、

じゃあ果たしてその細部に渡り組み立てられた、既製品のこの世界に不備がないかと言えば、そんなことは当たり前のことだけど、すべては人間の手で作り上げられたものなわけだから、「間違い」だってあるはずなんだ。

だけど既存のシステムやルールが「全て」のような錯覚に陥ってしまう私たち。立ち止まって考えて欲しい。それが人であれ神であれ自然であれ、何かによって作られた世界が自分にしっくりくるかどうかなんて絶対的ではないと思わない?

私はサピエンスが作ったこの世界に大きな疑問を抱いています。素晴らしい面も大いにあるし、一方で「日本」という国を想ったとき、なんだか違和感を感じる箇所がいくつもあって、、

Japanese(日本人)という呼び方さえ、きっと日本人が付けたんじゃないわけで。自分たちを集団的名前で呼ぶとするなら、自国以外の外国という対象があって初めてその必要性が生まれるわけで。。間違いなく外国人から呼ばれることで「Japanese」となったに違いないと安易に想像できる。(実際はマレー語や中国語が語源と言われています)

実はこの作られた世界には「間違い」も多く存在している。既存のものをなんの疑いもなくそれとして受け止め、あたかもなんの不便もないと平然に生きていることに違和感を感じたりしないですか?

誰かが作った世界が自分に絶対に合うなんて到底思えない。既存のルールに賛同しないからといって悪いとも思わない。むしろ疑問すら抱かない方が不自然であって、そんな怠惰な地球人に未来はあるのか?と、私が宇宙人なら問いたくなる。

地球人は長く生きてもせいぜい100年弱。
その間に何ができるかって、個人で見ればそりゃ大したことではないかもしれない。そんなことを言うなら、数十億人が生きるこの地球の1人の人が死に絶えても、世界は回り続けるわけで。。それが国の長であっても、どんな業績を成し遂げた人であっても、どんな経済効果を生んだ人であっても。個人は個人以上には最初から成れないわけで。

じゃあどう生きるのか?と問われるなら、
「自分に合ったルールで生きていきたい」と思わない?

生まれた場所のや人の持つ性質が、自分に合ってない、ということだって大いにありうる。(生まれるところを自分で選んだ記憶はないよね?あるというなら証を見せて欲しいです) それは家族単位だったり、地域、そして国単位。

じゃあもし自分で選んでいい場合があって、自分で選んだとしても、それが果たして自分に合うのかどうか?はまた別のストーリーがあるだろう。必ずしも自分の選択肢が間違いがないか?と言うと、残念ながら全くそんなことはない。そうなると、宝くじぐらいのノリで自分が生まれる国や地域や家族を決めてもらっても構わない、ということになる。

この世に「絶対」はないということだよ。

それは「自分自身」もそうでしょ。

小さい頃に叶えたい夢!と言って豪語したけど、実際その通りにした人は、世界の何%ですか?1%?

それほど、自分を含めた人間というのは、「不確実」な生き物であるということ。

まずは、この概念が「スタートライン」だと思うのです。

Honey xx

06.10.2020 過去記事


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