朽葉縹

徒然なるままの何かを目指したあかうんとです 詩とエッセイの中間みたいな、投擲されたまん…

朽葉縹

徒然なるままの何かを目指したあかうんとです 詩とエッセイの中間みたいな、投擲されたまんまの思想を書きます。 芸術と人間存在の間みたいなものに興味がある、 地球人を自称するエイリアンを自称する地球人です。

最近の記事

これぞまさしく、な美術品の飾り方ー走泥社再考を見に行った。

 皆さんは菊池寛実記念 智美術館で行われていた走泥社再考の展示を見に行きましたでしょうか。このnoteが公開されている頃にはすでに前期展示が終わっている頃で申し訳ないのですが、「これぞ美術品の展示の仕方だ!」と感じたような展覧会でしたのでその感動を述べさせてください。   0. 走泥社とは何か 走泥社(そうでいしゃ)は、1948年に京都で結成された陶芸家のグループ。伝統的な陶芸にとらわれず、実用性を伴わない「オブジェ焼き」という新たなジャンルを生み出した。1998年に解

    • 【エッセイ】 言葉の国

      ※画像は以下より引用しました。 [KarenT]思慮するゾンビ(feat. 初音ミク)/FICUSEL 私が哲学的な思考に惹かれた一助にもなった曲です。静かで不穏で、それでいて存在の温かみのある曲です。ぜひ聴いてください。 [KarenT]思慮するゾンビ(feat. 初音ミク)/FICUSEL https://youtu.be/zpPYmn0iHBM?si=SHC_JluVAavhWpRQ 1. 無機質な論理としての言葉のイメージ  皆さんは言葉というものについてどのよ

      • 役に立つってなんの役?ーMrs. GREEN APPLEの炎上から考える

        0.初めに  普段は世間の関心事からできるだけ離れたことを書きたい(消費的というよりは人間一般的なことを書きたい)、というつもりで記述するのですが、今回のMrs. GREEN APPLEの炎上から何か概して学べることがあるような気もしますので、今回拙論を述べさせていただきます。初めに断っておきますと、私は彼らの曲をたまに聴く程度で、ファンでもアンチでもありません。ですので、彼らの曲風やそこから受ける歌の印象については触れますが、「この表現は悪意を持ってやった(から謝れ)!

        • 芸術とは錬金術的に飾られるべきものである。

          1. はやい話が圧迫感があるという事である。  あなたは美術館が好きな人か、それともそうではないか。私は嫌いである。息が詰まりそうになるからである。白い壁に囲まれて全くもって風を感じない作品の寝屋のような空間にあって、光源で照らしその寝息でさえも殺しているような気がするからである。それでいて、まるで意味を作品が訴えかけてくるように偽装しているからである。まるで病院ではないか!もっとも、生きているこの世界に対する投げかけという意味ではむしろ手術する側なのだが、問題はあたかも

        これぞまさしく、な美術品の飾り方ー走泥社再考を見に行った。

          紅白梅図屏風とその灯り(素人による展示美術論)

          このエッセイは、大学で受けた授業を踏まえてまとめたレポートを編集したものになります。 1.紅白梅図屏風  私の一番好きな作品を申し上げれば、それは尾形光琳の紅白梅図屏風です。初めて見たのはテレビでしたが、その標題の割に澱んだ空気を醸すこの作品のアイロニカルな雰囲気が印象に残りました。両側の梅の木は下から上に(上底の長い台形のような形で)広がっています。普通、下から上に開くイメージで言えば、花が開くような芳しさや艶やかさといった丸みを帯びたものをイメージしますが、この作品は

          紅白梅図屏風とその灯り(素人による展示美術論)

          布置の病

           秋は嫌いだ。いやでも僕をえずかせるから。  秋は嫌いだ。いつでも追われる立場にあるから。  冬が終わって春が来る。夏が来る。そうすると次に来るのは夏が終わる。  秋が来るとは、言うが他に比べれば言うことは少ない。  そうして秋は何処へ経ち消え来る冬。  僕まで秋を嫌っちゃかわいそうじゃないか、とも考える。  だから僕は秋を好きにならなくちゃいけない気がしてくる。  だけど秋は僕に寂しさを分つことを強いてくる。  だから嫌いなのだ。  秋は好きだ。どこにいるかは知らないけれ

          布置の病