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投稿し終わった二作品と、作家の時間の咀嚼方法についての考察


こんにちは。

約二ヶ月に渡って投稿しました、「姥捨山」と「雲の影を追いかけて」をお読みいただきありがとうございます。これまで、書いた作品を友人以外に読んでもらったことがなく、顔を知らない読者様へ送り出すことは、とても不思議な感覚でした。

コメントや感想を書いて頂きありがとうございます。



初期に書いた作品ですので、一部を改稿したり、WEB用に見やすく改行を加えたり、割と四苦八苦しましたが、全章を公開することが出来まして、よかったなあと感じております。

まだまだ、溜めている作品があるのですが、現在長編に取り組んでますので、しばらくは作品を寝かせる予定です。

そんなこんなで、新しい長編を小説を書きながら、古い作品を仕上げる作業を行なっていますと、昔読んだ村上春樹先生の著書を想起しました。



職業としての小説家   村上春樹  新潮文庫

長編小説を書く場合、僕はまず(比喩的に言うなら)机の上にあるものをきれいに片付けてしまいます。「小説を書くほかには何も書かない」という体勢を作ってしまうわけです。もしそのときエッセイの連載なんかやっていたら、そこでいったん中止してしまいます。飛び込みの仕事も、よほどのことがなければ引き受けません。何かを真剣にやり出したら、ほかのことができなくなってしまう性格だからです。締め切りのない翻訳作業なんかを自分の好きなペースで、同時進行的にやることはよくありますが、これは生活のためというよりは、むしろ気分転換のためです。翻訳というのは基本的にテクニカルな作業ですから、小説を書くのとは使う頭の部分が違います。ですから小説を書くための負担になりません。筋肉のストレッチと同じて、そういう作業を並行してやるのは、脳のバランスを取るために、かえって有益であるかもしれません。



この本は、小説を書き始める以前になんとなく手にした本でして、『ほうほう、これが作家いう職業なのか』と、わりと他人事で読んでいました。
僕は、まあ、未デビューのしがない会社員ですので、村上春樹先生と心境は大いに違いますが、なんとなくわかる部分もあります。なんとなくです、なんとなく・・・。
村上春樹先生がホームランを打つくらいの感じ方なら、僕はチップくらいの感じ方しょうか。

やれやれ。


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花子出版    倉岡



文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。