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『姥捨山』の全17章

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花子出版オリジナルの姥捨山の全章を記録しています。お読みいただけますと幸いです。
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姥捨山    第1章  全17章

「あの鷹は私の血と肉を狙っているんだわ。長く短い人生の物語は間も無く終焉を迎えてしまう。でも、火葬場で焼かれるんじゃなく、鷹の餌になれるんだったら良い結末じゃないかしら・・・。  太陽が眩しい。もうすぐ正午かしら。守さんは、何をしているのかしら。書斎で本を読んでいるのかな。それとも仕事に励んでいるのかな。守さんの生き甲斐だったもんね。出社する時の後ろ姿は、記憶の中に大切に仕舞っているわ・・・」  茫々たる草原にひっそり立つ古木に背中を預け、ぐったりと座り込む女の声は、母と生

姥捨山    第2章  全17章

「内閣閣議決定。本日、国会にて新法案が決議されました。『姥捨山法案』です」  男のアナウンサーが、両眉を寄せ鬼のような形相を作り、声を震わせ速報を報じた。テレビ画面の上部を流れるテロップも、只事ではない非常事態だと全国民に流布した。 「この法案について、詳しく教えていただけますか?」  隣に座る若い女のアナウンサーが質問を投げかけた。女のアナウンサーの声も同じように震えていた。収録スタジオは物々しい雰囲気が立ち込め、原稿や番組スタッフが齷齪動く。 「まず、なぜこの非道

姥捨山    第3章  全17章

 平屋の玄関が、勢いよく開いた。 「こんにちは」  渋く深みのある男の声が、家内中に鳴り響いた。玲子は庭を一望出来る縁側に佇む椅子に座り、守へ贈る冬用のマフラーを編んでいた。午後から近所の友人とお茶をする予定があり、午前中に化粧を終えて、心身共に平安だった。 「どなたかしら?」  凝らしすぎた目を緩和するために数回のまばたきをし、重い腰を上げ、編み上がりを待つマフラーを足元に置いた。宅配便か新聞の集金だろう、と呑気に考えながら玄関へ向かった。玄関まで続く廊下は、玲子が

姥捨山    第4章  全17章

「ただいま」  疲れた声が真っ暗な玄関に響いた。守は手探りで照明のスイッチを探し、玄関の灯りを点けた。日課では守の声の直後、玲子の返事が帰ってくる。しかし、今日はどこからも返事がない。キッチンから聞こえるはずの調理の音もない。闇に落ちたように静かだ。目線を落とす。足元には健康サンダルが並び、片隅には乾いた傘が傘立てに立ち、いつもと変わらぬ光景だった。首を左右に振ると、違う点を一つあった。下駄箱の上に生けられた赤い薔薇の花弁が一枚落ちていた。薔薇の花弁を手に取り、照明に翳して

姥捨山    第5章  全17章

 玲子を乗せた黒塗りのワゴン車は、高速道路を降りて細い農道を走り、舗装のない険しい林道に入った。林道は杉の葉が敷き詰められ、左右から小枝や枯れ草が飛び出している。暫く走ると、林道は行き止まりになった。しかし、ワゴン車はアクセルを緩めることなく、膝丈程まで草が伸びている草原を走り続けた。泥濘みを勢い良く走り抜け、ワゴン車の側面には、飛び散った泥が歪な模様を描いた。寝せらた玲子は、五感の二つを遮断され、胸が裂かれるような恐怖を味わっていた。口を覆われていないため言葉は発することが

姥捨山    第6章  全17章

    胸ポケットから、甲高い音が鳴り響いた。仕事の癖が骨の髄まで染み込んだ守は、反射的に携帯電話の応答ボタンを押した。 「おはようございます。守さん、出社時刻が過ぎていますが、何処にいらっしゃいますか?」  部下の声が携帯電話から溢れ出す。 「もしもし・・・」  守は蚊の鳴くような声で返事をした。 「良かった。無事なんですね。欠勤をしない守さんが出社されないので、全員心配していたんですよ。今、どこですか? 電車が遅延していますか?」  部下の張りのある声が、守

姥捨山    第7章  全17章

 古木に背中を預け、玲子は意識の遠のきを感じた。遠のく世界は、白い靄が薄っすらと揺曳する。見たことのない白い靄へ、若干の恐怖を感じたが、憔悴した身体は少しも動かず、意識を引き戻すことが出来ない。焦燥はなく、諦念に至る。いや、安堵かも知れない。すると、手先の感覚が鈍り始め、迫り来る死を直ぐそばに感じた。これまでだと。  草原を駆け抜ける風が玲子の髪を靡かせ、古木の葉を散らせた。  その時だ。 「やあ、こんにちは」  突然、玲子の耳に人の声が届いた。瞼を開ける力は消え失せ

姥捨山    第8章  全17章

 守は瞼を開けた。悪夢から覚めた訳でなく、物音に反応した訳でなく、開花のような自然な目覚めだった。外から差し込む光が、寝室の障子を淡く照らし、日中だと伝えていた。枕元にある結婚当初に購入したツインベルの目覚まし時計へ目を向けると、針が二時過ぎを指していた。日付の表示がなく、短針が何回転したかは分からない。倦怠感の抜け具合を探ると、かなりの時間が経過しているようだ。 「長く寝ていたな。長すぎて死んでいるのかと思ったぞ。いつまで寝る気だ」  守は声の主へ眼を向けた。口から吐き

姥捨山    第9章  全17章

 山間から日が昇り、柔和な光が差し込む。居間に眠る玲子は瞼を擦り、生の事実を噛み締めた。深林を三日三晩歩き続けた身体は、倦怠感の影は微塵もなく、捨てられる前と変わらない程に回復した。上半身を起こして背伸びをすると、麻生地のワンピースから白い腕が覗く。 「おはよう。玲子さん」  和義が襖を開け、顔を出した。玲子は背伸びを止めた。 「おはようございます。天気が良さそうね」 「ああ、良い天気になりそうだ。お腹が空いてないかい? 数日間何も食べてないだろう」 「少し空いてい

姥捨山    第10章  全17章

 守は薄暗い寝室で目覚め、瞼を擦りながら周りを見渡した。無音の寝室が佇む。寝室の一角では、黒い塊がゆらゆらと浮遊し、守を眺めていた。 「やれやれ、朝からお前の顔を見るなんて」  枯れた声が漏れた。黒い塊は不気味に微笑んだ。 「お前の身体から外の世界に出てしまった以上、お前の側で飛んでいるしかない。仕事だ」 「そうか」  小さく頷くと、起き上がり布団を畳み、朝日を待ちわびた小鳥のように縁側へと向かった。縁側の床は朝日を受けて暖かくなっていた。靄を隙間から、日差しが大地

姥捨山    第11章  全17章

「玲子さんは、マメな人だね」  和義は囲炉裏越しに玲子を眺めた。日差しが格子越しに差し込み、玲子の手元を照らしていた。 「そんなことはないわ。私の数少ない趣味の一つ。編み物はね、習慣というか、日常というか。切っても切り外せないものなの」  玲子は佳子が持ってきてくれた真っ赤な毛糸を使い、編み物をしていた。瞼を閉じていても器用に編み進めることが出来る程の腕前だ。 「ここの村に来て、どれくらい経つかね?」 「もう、忘れてしまった。日の出と日の入り回数を毎日数えておけばよ

姥捨山    第12章  全17章

「幸子は会社に戻らなくて良いのか? 帰省してから、かなりの日数が経ったと思うが」  守はキッチンにて朝食を作る幸子に話しかけた。幸子はネギを刻む包丁を止め、振り向いた。 「うん。会社にはもうしばらく休むことを伝えたから、大丈夫だと思う。クビになったら、それまでのことよ」  幸子の表情に曇りはなかった。 「悪いな。毎日料理を作ってくれて」 「良いのよ。母さんが居なくなって、父さんの面倒を見る人が居ないから、仕方ないこと。それに父さんの顔がね、日を増す毎にこけていってい

姥捨山    第13章  全17章

 秋晴れの空の下、素足の玲子は脱穀機を力強く踏んでいた。村では古来様々な農機具が使われ、村民で整備しながら継承し続けていた。錆が目立ち見栄えは悪いが、性能は申し分無い。 「玲子さん、踏むのがお上手」  佳子は玲子の力強く踏み込む姿を眺め、嬉しそうに手を叩いた。 「ようやく慣れてきた。良い感じかしら」  玲子は、脱穀機の音に負けないくらいの大声で答える。麻のワンピースから覗く白い脹脛が躍動し、大豊作の稲穂を脱穀し続けた。脱穀機の音が村中に響き渡り、周りを囲む村民も嬉しそ

姥捨山    第14章  全17章

 守と幸子と晃の三人は、縁側に座り、遠くの山を見るような眼差しで玲子が育てた赤い薔薇の花を眺めていた。小雨が降り、薔薇の花弁、葉、乾いた大地を潤す。 「父さん。母さんを探しに行くと、姉ちゃんから聞いたけれど正気なの?」  晃は声を荒げることなく守へ問いかけた。 「ああ。会いに行く」 「姥捨山は、生身の人間が入れる場所じゃない。それに姥捨山の場所は一般公表されていない。だから母さんの居場所は、絶対に分からないと思うんだ。それでも父さんは行くの?」 「ああ、行く。俺には