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僕に芽生えた文学のタネ

こんにちは。

僕はずっと体育会系の部活に没頭していました。サッカーを高校一年生まで続け、それから某武道に励み、大学へ・・・。

芸術肌の兄がいまして、「何か、表現したいなあ」と幼少期からずっと、羨望の眼差しを持ち続けていました。

しかし、畦道や河原や山の中を駆け回ったお陰で、人並み以上に運動ができ、体格もよく、文化系への道は閉ざされていました。

一般的には、社会人になりましたら、学校所属の部活動は解散となり、終業後や休暇中は、各々の判断にて有限の時間を咀嚼していきます。プロのスポーツ選手以外の大多数がそうでしょう。いや、プロも現役を退くと、スポーツでの自己表現は、終焉を迎えます。

そんな中、僕は絵を齧り、デザイン齧り、洋裁を齧り、動画編集を齧り、アニメーションを齧り、美大の予備校を覗いてみたり・・・。結果、自己の本質的なところに手が届かず、肉体から滲みでる汗のような表現を出来ずに、暗澹たる思いで生きていました。

大学で出会った親友の影響下で、本を手に取り、読み耽る日々。多くの本を読んでいますと、なんとなく小説についての理解が深まりました。

筆を取り、29歳に第一作目を書き上げました。その時の高揚感は、筆舌し尽くしがたいものがあります。


おいおい、作家志望だったら文字で表せ!!『筆舌し尽くしがたい』は逃げだぞ。


うーん。そうですね。


無味の果実を、齧っては捨て、齧っては捨て、齧っては捨て・・・。その捨てられた果実が、腐り、風が吹き、他人の足裏によって踏み固められ、いつしか腐葉土となりました。それから月日が流れ、ある日、腐葉土へ文学のタネが滴りました。タネは、春の暖かさに撫でられ、芽を出し、文豪たちが継承する華美な文字の雨に降られ、いつしか大きな樹へと成長しました。そして、育った樹を見上げ、僕は高揚したのであります。


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こんなところかなあ。

まあ、滴ったタネが、田圃や畑なら良かったのでしょうね。なぜなら、皆んなから見守られて、「すごい」「〇〇の再来だ!」「前衛的な作風だ」「文学界を一晩で変えた」「文章にリズムがある」なんて、彼方此方から言われ、煽てられ、成長していくわけです。
しかし、僕の場合は、人里離れた山村から、農道を歩き、林道を歩き、道無き道を歩き、そんな場所に滴ってしまったのです。文学のタネが。誰からも鼓舞されることなく、誰からも賞賛されることなく・・・。

まあ、それも良いでしょう。育った樹が生み出す酸素が、少しでも地球のお役に立てると思いますから。


部活の話からは、かなり逸脱しました。何れにせよ、運動部で汗水垂らして良かったなあ、と感じる今日この頃です。


小話を一読頂けますと、幸いです。



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