正岡子規先生の文学碑を訪ねて 横須賀
こんにちは。
深秋が過ぎ、木の葉の雨が聞こえてきそうな時期になりました。
長い小説を読んでいますと、偶に俳句や詩を読みたくなるものです。
正岡子規先生は明治を代表する文学者で、34歳で夭逝されましたが、先生の残された偉大なるものは後世に連綿と継承されています。敬愛する夏目漱石先生とも交友があり、夏目漱石先生の小説のも俳句にも影響を与えているとのこと。
そんな正岡子規先生の文学碑が横須賀に。
京急の汐入駅から歩き、海軍を眺望するヴェルニー公園の一角にあります。
横須賀や 只帆檣の 冬木立
横須賀港内に連なる帆檣(はんしょう(ほばしら))の印象を詠んだもの、との事です。現代の港内に、帆檣は見当たりませんでしたが、先生が港内を眺めて想いを馳せていらしたと思いますと、感慨深いものです。
先生の俳句の中でいくつか好きなもの、『笑う子規』の著書の中から抜粋します。
人に貸して我に傘なし春の雨
雨季、傘を忘れることはありますね。そんな中、想いを馳せるあの人か、それとも困った顔をした老人か、それとも、通りすがりのサラリーマンか、誰か分かりませんけれど、傘を貸したのです。自己犠牲に哀愁を感じ、情景が瞼に浮かびます。
内のチョマが隣のタマを待つ夜かな
チョマは雌猫、タマは雄猫とのこと。僕の実家に猫がおりますが、愛くるしい猫が、異性を待っていることが秀逸です。人間を動物に例えられたのかも知れません。ちょっと可愛げな俳句です。
うとましや世にながられて冬の蝿
うとましや『疎ましい → 好感がもてず遠ざけたい。いやである』
人間も蝿も死ぬときは死にます。長生きすれば善というわけではなく、時が来れば自然とあの世に・・・。日本人的な歌だと感じます。
勿論、死だけではなく、いろいろなシーンに相当するでしょう。例えば、年甲斐もなく無理をしてしまい怪我をすると、家族や病院の人から疎ましく思われるかも知れません。自分の矜持を相手にぶつけてしまう、相手から疎ましく思われるかも知れません。
短い俳句ですが、いろいろなことを考えさせられますね。
僕の文学碑巡りは続く。
花子出版 倉岡
文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。