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みらいの人   第3章  全4章   『近未来短編小説』



第3章

 亀のように進む行列のため、K氏が先頭に着く頃には、1時間程経過した。K氏は倦怠と退屈を感じた。

「お客様、お疲れ様でした」

 先頭に立つ受付員の女が、K氏に労いの言葉を掛けた。

「はー、やっと着きました。これで、行列の意味を知ることが出来ます」

「お客様は紙幣や硬貨の現金はお持ちですか?」

 受付員が問い掛ける。

「いえ、持っていません。この行列に並ぶ時はICチップで決済しました」

「では、あちらの銀行で現金を下ろして頂きまして、弊社のアミューズメントへのご案内となります」

「え?」

「お伝えした通りです。あちらの銀行で現金を下ろして頂き、弊社のアミューズメントへご案内となります」

「ちょっと待って下さい。それでは、この行列は何の意味があるのですか?」

「行列を体験するコースになります」受付員が行列から離れる人たちを指差した。「あちらをご覧下さいませ。あちらのお客様方は、行列を体験するためだけに並ばれ、ご帰宅されるわけです。お客様も行列に並ばれまして、普段とは違った時間に、喜びと発見を体験されたと思います」

 受付員が笑みを浮かべた。K氏はもやもやしたが、受付員の意見に同意ばかりで虫唾が走った。

「銀行に行ってお金を下ろせば、アミューズメントへ行けるんですよね?」

「左様でございます」

 受付員は丁重に頭を下げた。
躍起になったK氏は銀行に駆け込んだ。銀行内はたくさんの人で溢れていた。入り口に立つ銀行員の男が、K氏に近付く。

「いらっしゃいませ、お客様。本日はどのようなご用件でしょうか?」

「現金を下ろして、アミューズメントへ行きたいんです」

「ありがとうございます。ではご案内致します」

 銀行員はK氏をテーブルへと案内した。テーブルにはボールペンや朱肉が並んでいる。

「先ず、お金を引き落とすための手数料を1万円頂戴します」

 銀行員がK氏の手の甲へICチップリーダーをかざそうとした。K氏は怒りを覚えた。

「おいおい。温厚な俺だって、怒ろぞ。行列に並ばされて1万円も払ったんだ。現金を引き出すために、また1万円も払うのか?」

「はい。こちらも商売ですから。並ばれないなら、お帰り頂いて結構ですよ。幸いにも、たくさんのお客様が来られますから」

 銀行員は、自信に満ちた口調だった。

「仕方ない。悔しいけれど、アミューズメントへ行きたいので、現金を下ろします」

 K氏は苦渋の決断をし、手を差し出した。

「ありがとうございます」

 銀行員はK氏の手の甲にICチップリーダーをかざし、決済をした。

「アミューズメントを楽しむには、いくら必要ですか?」

「『梅コース』二万円。『竹コース』が三万円。『松コース』四万円。『カウンセラーと相談して決めたいコース』が五万円になります。初めての方ですと、『梅コース』がオススメになります」

「『カウンセラーと相談して決めたいコース』とはどういったコースですか?」

「弊社専属カウンセラーがお客様とお話し、お客様にぴったりコースをご提案するコースになります」

 既に二万円も支払っているK氏は迷った。しかし、ここで『梅コース』を選択して楽しめなかったら、きっと後悔するだろう。

「では、『カウンセラーと相談して決めたいコース』でお願いします」

 K氏は決断した。

「ありがとうございます。きっと楽しめますよ。それでは、この払い戻し用紙に必要事項を記載して下さい」

 銀行員がK氏の目の前に払い戻し用紙とボールペン、朱肉を置いた。K氏はボールペンを握った。ペンを握る習慣がなく、動作が覚束ない。

「お客様。先ずはボールペンの頭を一回押して下さいませ。ペン先が出ます」

 銀行員がペンの頭を指差した。K氏は右手でペンを握り、左手の人差し指でペンの頭を押した。

 カチッと軽やかな音が鳴った。自ら奏でた軽やかな音にK氏はニヤケ面になる。

「素晴らしい音色ですねえ」

「お褒めいただきありがとうございます。弊社はお客様のために、極上のボールペンを用意しております。では、こちらに払い戻し金額を、こちらにお客様情報をご記載下さい」

 K氏はボールペンのペン先を紙の上で走らせた。文字を書く習慣がないK氏の文字は、ミミズのようなに読み辛いものだった。しかし、K氏の顔はご満悦だ。ザラついた紙にインクが滲み出る光景が、視覚的にも感覚的にも新鮮だった。

「上手く書けず、すみません」

「いえいえ、構いませんよ。久しぶりにペンに握るお客様は、上手く書けないものです。では、拇印を押して頂きますので、人差し指を朱肉に触れ、ここのスペースに押して下さい」

 K氏は指先で朱肉を押し、払い戻し容姿に自分の指紋を付けた。

「おー、これが僕の指紋ですか。綺麗ですね」

「はい。美しゅうございます。これで払い戻し用紙は完成ですので、あちらの待合席でお待ち下さいませ」

 銀行員は待合席を指差す。そこには、人間工学を無視して作られた安っぽい椅子が並んでいた。

 払い戻し待ちの人たちに混ざり、K氏は待合席の椅子に腰掛け周りを見渡した。隣席同士で談話する人たちがいる。窓口で銀行員と談話する人たちがいる。持参した本を読んでいる人たちがいる。壁には画鋲で広告が貼ってある。人の声に混ざり、時折じゃらじゃらと硬貨の音が鳴った。



最終章へ続く。


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