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金閣寺を読む  第八章  花子出版

こんにちは!

『金閣寺を読む』も残り三章です。年内には完結しますので、もう少々お付き合いくださいませ。

冬の気配が強くなり、グッと冷え込んできましたね。外国人が多い職場ですので、クリスマスの色が強くなってきました。街のイルミネーションも燦々と輝いています。
冬は寒いのですが、穢れなき清澄な空気が身を包んでくれ、とても好きな季節です。炬燵に入って、蜜柑を食べながら穏やかな時間を過ごすのもいいでしょうねえ。

さて、第八章が始まります。


梗概

溝口は宮津線の丹後由良駅を出て、小さな宿に泊まることにした。海は見えなかったが、青空の薄片が見えた。彼は想念を追い始める。なぜ、金閣を焼こうと思ったのか。また、なぜ金閣を焼く前に老師を殺そうと思わなかったのか。
生というものは、金閣のように厳密な一回性をもっていない。自然の一部である人間は、かけがえのきく方法でそれを電波し、繁殖するにすぎない。殺人が対象の一回性を滅ぼすためならば、永遠の誤算だ。金閣と人間は明確な対比を示し、人間は儚いが故に永生を願い、金閣は不壊の美が故に滅びの可能性を漂わせている。
考え進むうちに、諧謔的な気分を彼を襲う。
『金閣を焼けば、その教育的効果はいちじるしいものがあるだろう。そのおかげで人は類推による不滅が何の意味ももたないことを学ぶからだ。ただ単に持続してきた、五百五十年のあいだ鏡湖池畔に立ちつづけてきたということが、何の保証にもならぬことを学ぶからだ。われわれの生存がその上に乗っかっている自明の前提が、明日にも崩れるという不安を学ぶからだ』

三日後、溝口の逗留が打ち切られた。一歩も宿から出ない彼を、宿主が怪しんで警察を呼んだ。溝口は学生証を見せ、代金を支払った。それから警察の保護のもと金閣寺へと帰ることとなった。

午後八時十分、京都に着いた溝口を、溝口の母が迎えた。老師が溝口の出奔を母に伝え、それ以降母は金閣寺に寝泊まりしていたのだ。
その母は、溝口の頬を叩いた。
「不孝者! 恩知らず!」

冬の到来と共に、溝口の決心は堅固となる。悩まされるのは、柏木に借りた
金の返済だけであった。柏木は利子を加えた額を口汚く責め立てた。溝口はもはや金を返す気持ちはなかった。
溝口は一つの未来を見つめ、感情の夾雑物が消えて幸福の意味を知る。金閣がいずれ焼けると思うと、耐えがたい物事も耐えやすくなる。老師への憎しみも消えた。終末を与える決断が彼の手にかかっているのだ。

柏木は溝口の借金の取り立てに金閣寺へ出向いた。老師は溝口の借金を代わりに返済する。
「困ったことをしてくれたな。今後こういうことがあったら、もう寺には置かれんから、そのつもりでいなさい」
と言葉を残す。
溝口が柏木を自室に招き、対面で座った。柏木は借金のことを述べ、そして、
「何かこのごろ、君は破滅的なことをたくらんでいるな」
と言った。
「いや。……何も」
溝口は答える。
すると、柏木はとある手紙を放り出す。その手紙は亡き鶴川の手紙だった。
鶴川は、時には柏木を悪しざまに云って、溝口と柏木の交友を非難しながらも、柏木との密な附合をひた隠しにしていたのだ。
鶴川の文章は例えようもなく下手で、思考はいたるところで滞り、読みとおすのは容易ではなかったが、前後する文章からおぼろげな苦痛が浮かびあがる。手紙を読む溝口は泣いた。泣き、一方心は、鶴川の凡庸な苦悩に呆れていた。
鶴川の死は自殺だと察することができた。
「どうだ。君の中で何かが壊れただろう。俺は友だちが壊れやすいものを抱いて生きているのを見るに耐えない。俺の親切は、ひたすらにそれを壊すことだ」
柏木は言った。
「まだ壊れなかったらどうする」
溝口が言った。
「子供らしい負け惜しみはやめにするさ。俺は君に知らせたかったんだ。この世界を変貌させるものは認識だろ。いいかね、他のものは何一つ世界を変えないのだ。認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。それが何の役に立つかと君は言うだろう。だがこの生を耐えるために、人間は認識の武器を持ったのだと云おう。動物にそんなものは要らない。動物には生を耐えるという認識なんかないからな。認識は生の耐えがたさがそのまま人間の武器になったものだが、それで以て耐えがたさは少しも軽減されない。それだけだ」
「生を耐えるのに別の方法があると思わないか」
「ないね。あとは狂気か死だよ」
「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない。世界を変貌させるのは、行為なんだ。それだけしかいない」
溝口は危険を犯しながら言い返す。


以上梗概。



以下、私の読書感想。

鶴川の死因が明確になり、鶴川と柏木の関係性が露呈しました。
何故、鶴川は柏木との交友をひた隠しにしていたのでしょうか? 柏木が内翻足で偏頗な思想を持っており、学内での立ち回りが不利に働くと思ったからでしょうか? 
また、何故、鶴川は溝口と柏木が仲良くすることを咎めたのでしょうか。仲良くする二人に嫉妬していたのでしょうか?
うーん。この三人の関係性はとても不思議であります。しかし、そこが文学の面白いところであります。

世界を変貌させるには、『認識』か『行為』か? 
最後に溝口と柏木で語り合う場面は、なかなか興味深いものです。僕は、どちらかと言えば『行為』に一票です。現時点では。
四肢を使い、何らかの『行為』を起こさねば、世界は変貌しません。
と書きましたが、『認識』かもしれませんね。
例えば、部屋に埃が落ちていると。掃除をすればスッキリします。これは『行為』を起こして世界を変貌させました。しかし、埃くらい構わないと無かったものにすることもできます。これは『認識』です。
うーん。なかなか回答を出しにくいものです。
これについては、誰かと語り合いたい気分ですね〜。




では第九章で、お会いしましょう!!!

花子出版  倉岡剛

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