hanachenko

大学で社会学を教えています。ドラムやってます。

hanachenko

大学で社会学を教えています。ドラムやってます。

最近の記事

「受け入れる」ということ

重要な他者に無条件で受け入れてもらう経験というのはそんなにないことかもしれないけど、ないならないで以後いろいろ問題を起こしがちになる。 僕自身の場合で言えば、両親や兄妹はそれなりに僕を受け入れてくれていたし、特に母親は過保護と言ってもよかった。ただその方向が彼女独自路線だったのが僕自身としては時々辛かった。父は「勉強でもスポーツでもうまく行ったら褒めてやる。失敗したらディスる」路線でビジネスライクのドライさだった。 要するにどちらも「子供の話をしっかり聞いて」はくれなかっ

    • 中卒だった頃の自分、今の自分⑨

      こんにちは、ハナチェンコです。⑨です。このテーマでの投稿はこれで終わりです。マジ長い...。すみません。 9.ハ

      • 中卒だった頃の自分、今の自分⑧

        こんにちは、ハナチェンコです。⑧です。 8. 専任教員時代(1) 「課程博士」 2000年9月に、5年間(正確には5年半)在籍した大学院を無事終えました。「博士後期課程単位取満期退学」で。33歳になっていました。 「え?また退学したの?草」とか言われそうなので説明すると、当時の文系大学院の博士後期課程はこれ(=単位取得退学)が普通でした。修士課程の場合は修士論文を書いて口頭試問等に合格すると「修了」になるのですが、博士後期課程の場合は同じように博士論文を書いて口頭試問等

        • 中卒だった頃の自分、今の自分⑦

          7. 大学院時代 こんにちは、ハナチェンコです。⑦です。 「ここでやっていけるのだろうか」 1995年春、28歳、本命の大学院に合格して数日経った頃、電話がかかってきました。一緒に試験を受けた、内部進学で一緒に入学するらしき人からでした。 なんでうちの電話番号知ってるんだろう と思いつつ挨拶していると、 じゃあ、あだ名は「はなちゃん」でいいですか? と聞かれました。ここ大学院だよな...。あだ名の確認電話ってなんなん、と。 ただウェルカムそうなのはいい事で、だっ

        「受け入れる」ということ

          中卒だった頃の自分、今の自分⑥

          6. 大学卒業〜大学院入学 こんにちは、ハナチェンコです。最初書き始めた時はこんなに長くなるとは思いもしませんでした。これでもかなりはしょって書いてるのですが... ということで、⑥です。 図書館LOVE 大学生活は基本ぼっちだったのですが、授業は面白いし、かなり充実していました。図書館もよく利用しました。1人で落ち着いて勉強できるし、蔵書は多いし、でいいことづくめでした。 クラスメイト(「自主ゼミに参加しようかな」と言ってくれたあの子です笑)に振られた時も迷わず図書

          中卒だった頃の自分、今の自分⑥

          中卒だった頃の自分、今の自分⑤

          こんにちは、ハナチェンコです。⑤です。 5. 2度目の大学入学マジで最後のチャンス 1990年春、もう23歳になっていました。このままじゃマジでヤバい、どうしよう、と思ってたら、私が体調を崩していたこともあって若干優しめになった親が と言ってくれました。また早速試験勉強を始めました。とはいえ「自宅から通え」て「絶対に合格できる大学」じゃないとダメなわけです。そこで22歳の時、つまり最初の大学を受けた際に一緒に受けた地元の私立大学を受けようと思いました。その時合格していた

          中卒だった頃の自分、今の自分⑤

          中卒だった頃の自分、今の自分④

          こんにちは、ハナチェンコです。④です。 4.大学に受かるもまたやらかす1989年(平成元年)に22歳でようやく、の巻 数学の勉強は楽しかったのですが、自分が周囲と軋轢を産んでしまう、その理由を教えてくれそうにはありませんでした。ただ予備校で教わった現代文は何らかのヒントを与えてくれそうな気がしていました。 そこで一気に文転しました。ただ現代文(の問題になっている思想家や評論家など)に魅力を感じたからといって、どこかの大学に文学部に進んでふつうに4年間大学生活を過ごせると

          中卒だった頃の自分、今の自分④

          中卒だった頃の自分、今の自分③

          こんにちは、ハナチェンコです。③です。 3.中卒時代(2) 1984年(昭和59年)17歳の夏、大検を受ける 一旦バンド活動を辞め、高卒の資格を取ることにしました。今は「高認」と呼ばれている試験の前身で、当時は「大検」と呼ばれていました。 母親には大検を受ける旨伝えましたが、父親には内緒で申し込みました。なんせ「育て方を間違えた」などと言われていたので、とても言い出せる雰囲気ではありませんでした。 書店で対策本を探しましたが、当時はそんなものほとんど存在しておらず、か

          中卒だった頃の自分、今の自分③

          中卒だった頃の自分、今の自分②

          こんにちは、ハナチェンコです。前回は初note投稿でしたが思いのほか長くなってしまいました。早速前回の続きです。またまた超長くて誰が読むんだという話ですが始めたからにはとりあえず進めます。 2.中卒時代(1)奇跡的に... 中3の担任の先生には高校進学を危ぶまれましたが、そして自分でも薄々ラ・サールや久留米大附設は難しそうだと感じ始めていましたが(薄々かい)、高校に行けないはずはないと信じていた私は、校区内で一番の県立進学校と、あと「滑り止め」に私立の男子校を受けました。

          中卒だった頃の自分、今の自分②

          中卒だった頃の自分、今の自分①

          ごあいさつ こんにちは。ハナチェンコです。現在私は大学の教員をやっています。准教授ですが音楽仲間からの呼び名はなぜか「教授」です笑 noteはかなり前に登録していたのですが特に書くこともなく、たまに無料有料の記事を読む程度でした。 記事を書こうと思ったきっかけ 今回記事を書いてみようかなと思ったのは、私がSNS上で設置している匿名質問箱の回答件数が10000を超えたのがきっかけです(2023年12月追記:今は20000超えました)。勤務先や非常勤先の事に関する単純な質

          中卒だった頃の自分、今の自分①