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仕事への向き合い方、父からの教育

私の仕事の向き合い方は、父親譲りだ。

父は全く会社員には向いていない、the社長気質。実際も、28歳頃から自分で会社を立ち上げ、社長をしている。

私はひとり娘で、両親は私が18歳の時に別居を始め、離婚した。両親の離婚劇については後日書くが、私はむしろ離婚してからの自分の家族の形の方がとても心地がいいと思っているので、今の方が仲が良い。

私は自分のやりたい事を尊重してもらって育てられた。やりたい習い事、通いたい学校…人生のレールを引かれた記憶はない。その代わり、自分が決めた事には責任を持てよというスタイルだから、辞める時には、両親が納得するに足る理由を述べなければならない。会社のプレゼン並みの準備が必要だ。辞めたいから辞めるではダメなのである。
ここに、私の筋が通ってない事は認めない精神が培われた要因があると思う。常に筋を通さないと認めてもらえなかったから。

勉強ができなくても、悪い点数を取っても怒られた事はない。今思えば、人として足りない行動をした時、筋が通っていない事をした時に怒られていた。
ずっと言われ続けてた事は、
・挨拶、感謝、謝罪はちゃんとしろ。
・仕事ができない大人にはなるな。
・勉強ができる人間と仕事ができる人間は必ずしもイコールではない。
・地頭を育てろ。
・後悔するぐらいなら努力しろ。

社会人になる事を常に見越した子育てだった。当時は、そんな思惑も将来それが役に立つこともわからなかったから、理解し難い事もたくさんあった。
その時代にしては珍しく、両親共働きだったので、箱入り娘とは真逆の関係性だったと思う。親子というより、社長と会社員みたいな所もあった。大人になった今の方が親子の関係値である。

そして私が出会った美輪明宏さんのお言葉がある。
「人並みに働いていたのでは、人並みか人並み以下ぐらいしかならない。人並み以上になりたければ、人の3倍ぐらいは働かなければならない。」
私はこの言葉を知った時、衝撃を受け、座右の銘になった。せっかくこの世に生まれたのだから、人並みよりは上になりたいと思った。仕事だけではなく、人生全てに当てはまると思うから、日々一生懸命、全力で生きている。


これらの出来事が、私の仕事への向き合い方を構築していることは間違いない。
社会人になった今、ようやくあの教育を理解できるようになった。親にはとても感謝している。

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