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ワイルドでディープな自転車泥棒

ベルリンに住んでいた5年間に、私は自転車を買おうと思ったことが一度もありませんでした。街は平地で道幅も比較的広いので、かなり自転車に乗っている人は多かったのですが、個人的には自転車を購入して所有する気になりませんでした。

その理由は3つ、1つ目は交通機関がわりと充実しているからなんとかなる、2つ目はそれまでスーツケースで引っ越しをしてきたので所有物を増やしたくなかった、3つ目はシンプルに自転車は盗られるから、でした。

相方の職場で、同僚が素敵な自転車を買い、通勤で乗ってきて、職場のビルの中庭に駐輪していたら(通り沿いではなく中庭)、帰りには自転車がなかった、という話も聞きました。片道で高価な自転車を失うなんて、交通費高すぎです。

もちろん人々はとても頑丈そうな自転車の鍵を使用しています。もしあんな鎖が自分の足首や首にかかっていたら、すべてのやる気を失うような、剛健なチェーンです。しかしながら、盗る人も熟練したエキスパートなのでしょう。鍵をしていても、盗る人は盗るし、盗られる時は盗られます。

盗られて精神的にも金銭的にもダメージを受けるくらいなら所有せず、私は己の足と交通機関で生き抜くのじゃ、という意気込みでした。

意気込んでも、意志の弱い人間ですから、距離は遠くないのに交通機関を乗り継いで行くと地味に時間がかかる場所や、駅から少し歩くような湖や公園などに行く時には、自転車があったらいいのになあと思うことがありました。ベルリンの日曜日はほとんどの店が閉まりますから、緑がある場所に出向いて、のんびりと過ごすことがメインのアクティビティになります。

幸い、都会にはシェアの電動自転車やレンタルの自転車などが充実していたので、我々は月額サブスクの自転車を利用していました。

素敵なスリムで軽量で高級な自転車よりも、レンタル自転車は盗られるリスクが格段に低かったように思います。しかし、「あれ?あの形、シェアの電動自転車じゃない?」という明らかに見覚えのある形の自転車をペンキで上塗りして、自分のものとして乗っている強者もいました。堂々としたものです。後ろめたくなんて全くならず、自分の行動に確信を持っています。

ベルリンはワイルドな街なのです。

しかし、シェアの電動自転車はスマホアプリを使って解錠したり起動できますが、盗んだ人はどうやって乗れるのだろう?と疑問だったのですが、ダークウェブや違法ダウンロードなど、テクノロジーに詳しい(?)知人が、「シェア自転車はハッキングできる」と言っていたので、そうか、そういうことができる人たちもいるのか、開発者と盗む人の知恵比べだなあ、と妙に感心したものです。自転車泥棒にもハイテクの波。

ベルリンはディープな街です。

ある知人女性が買ったばかりの自転車に乗って、友人たちと公園に出かけた時、立ち寄った売店の目の前に駐輪していたら、わずか数分間に自転車がなくなっていた、という話を聞きました。彼女は南米から移住してきたばかりで、初めて自転車を購入し、少しずつ生活を広げているところでした。しっかり者の彼女は、自転車の防犯登録をしていたので、すぐに警察に届け出に行きました。

盗まれた自転車はネットで転売される可能性が高いということで、彼女はeBayをチェックしていたところ、本当にすぐ、自分の自転車が売られているのを発見したのです。

盗人は盗るのも出品するのも神技のスピードなんですね。実行力のスピード感だけは見習いたいものです。

彼女の自転車はスポーツ用品店で大量に売られているモデルですが、自分にだけわかる目印のようなものがあり、それがeBayで出品されている写真に写っていて、確信を持ったのです。

彼女は発見したこの情報を持って警察に行ったところ、警察は真剣に取り合ってくれて(真剣に取り合ってくれなくて、と言うと思いませんでしたか?)、おとり捜査を実行する、というドラマのような展開に。

彼女はこの自転車をeBayに出品している人に「購入したいから見せてほしい」というメッセージを送り、実際に見に行く約束を取り付け、警察官が同行するという段取りになりました。

腕にタトゥーの入った制服を脱ぐと完全に普通の若者に見える警察官男女が、確か3名くらい、彼女と一緒に待ち合わせに行き、男性警察官は控えて待ち、私服の女性警察官が彼女の“友人”として付き添い、出品者に対面。女性警察官はカジュアルで少しチャラチャラした若者風で、警察官だとは気付かれないとても自然な演技だったと言います。

もし、おとり捜査をする警察官の演技が大根だったら、台無しになってしまいますよね。警察官たちは仕事の一環で芝居も習うのでしょうか。警察学校で銃の取り扱いを習ったり、剣道とか柔道をした後、ハムレットの台詞の稽古をしているのでしょうか。

彼女は自転車に興味があるそぶりを見せながら、自分の自転車であることを確認して、友人役の女性警察官に伝えると、控えていた男性警察官が出てきて、「警察だ!動くな!」と言って出品者の男性に銃を向けたかは知りませんが、これは盗難自転車であり、これは捜査だと伝えたようです。

その男性は、「知らない、私は盗んでいない、知人がギフトとしてくれたんだ」と言い張っていたそうですが、その後、彼の処分がどうなったのかは私は知りません。

出品者の男性は、警察が、超高級というわけでもない盗難自転車にここまでの人数をかけて、芝居を打ち、おとり捜査をして来るとは、夢にも思わなかったでしょうから、さぞかし驚いたでしょう。話を聞いているだけの私も、警察は何もしてくれない、という先入観を持っていたので、こんなに積極的に動いてくれたというエピソードに意外に思いました。

自転車は、盗る人はどんな自転車でも盗るし、盗られる時は鍵をしていても盗られる。太古から続く自転車の宿命と言いますか、仕方のない自然の法則のようですが、時に、予想にもしないスーパーヒーローの如く、腕にタトゥーの入った若いポリスが一芝居売ってくれて助けてくれることもある。

ベルリンは予想外のことも起こる、趣深い街です。

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