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君の心に自己否定教官はいるか? 【マンガ「おひとりさま母さん」を読んで】


自己否定教官。

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私の心の中にもいる。

「そんなの他の人からしたら迷惑でしょ」
「私なんて…」
「そんなことしてなんになるの?」


え、他の人の心には、いないの?


おひとりさま出産」からずーっと応援している「おひとりさま」シリーズ。





無料で読めるところまで読んで、面白いから続きを買おうと思っていたら、ちょうど「ナナオ」が作中でも「本が売れてほしい、一人で育てていくにはお金がとにかく必要」と言ってて、そうだよなぁと思い、改めて購入を決意。

母として、子どものために蓄えを。
子には、少しでもいいものを。


そのためには金!私は「ナナオ」を応援する!ともに頑張ろう!と、勝手にママ友さんみたいな気持ちで読んだきた。


そんな「おひとりさま母さん」、とうとう最終巻。


最終巻、最終話に至って衝撃的だったのは……


え、自己否定教官って、さよならできるの?

しかも、いなくなると、自然に前向きになれて、幸せに暮らせるの……?!


ハッとして、一度読む手を止めて、私は、私の中の「自己否定教官」のところまで、深く潜っていった。

アレに自分から会いに行くのはなかなかどうして、勇気がいるし、胸が苦しくなる。あっちは勝手にいきなりやってきて私を奈落に突き落とすのにね。


私のなかの「自己否定教官」は誰の形をしているんだろう?いつから私の中にいるんだろう?


一枚一枚、皮を剥いでいく。


「失敗するくらいなら、挑戦しない方がいい」「失敗は恥ずかしいこと」この保守の精神の大元は、母かなぁ。


そこから、

お母さん、叔母さん、祖父、友達、先生、先輩、後輩、同僚………


いろんな人のいろんな言葉たちが凝り固まって、私の一部になるくらいぐちゃぐちゃになって、


結局、私の中のそれは、「私」の形をしていた。


「私なんかにそんなことできっこない」
「私にそんなふうに声かけられても迷惑でしょ」「私にそんな価値ない」


私なんて……


そうやって自分を痛めつけて、自分に価値がないから他人とうまくやれないのだ、自分にはこの場所がお似合いだ、と、底の底まで落ちてぐちゃぐちゃになることが贖罪なのだと思っていた。


……贖罪?何に対する贖罪?


自分自身の価値のなさに対する、能力のなさに対する、贖罪。だろうか。


そんなことを考えていたら、たまたま、夫がお茶を淹れてくれた。「ありがとう」と、受け取る。


10年前、彼と出会ったきっかけも、こうして何の気なしに「お茶飲みますか?」と声をかけてくれたことだった。


そんな振り返りを2人でしながら、夫は「自分が飲むのだから、相手の分も確認したり、いれたりするのは当然」と言う。


お茶を、さっと、他の人にもいれる。
「飲みますか?」と、自然と訊ねる。


うーん、親しい相手や、逆に完全に初対面なら、できるかも。


変に見知った関係性、まだあんまり仲良くないクラスメイトとか、同僚とか、相手だと、うーん


「今入れていいかな…」
「飲みたくないかも」
「私がいれたやついらないかも」
「余計なお世話かもしれない」


それで勇気出して聞いたところで、「あ、いらないです」と言われてしまったら、「ああ…やっぱりいらなかった……」って、落ち込んでしまう。

そういうこともあるかも。
なんて話をしたら、夫は「え?」って顔。

「そんなこと考えたこともないよ。確認して、いらないって言われたら、そっか!で終わりだよ」



え、そうなの?



いや…そうか…そうだよね。
お茶今いらないだけだもんね。
そこに私が嫌いだからとか、私がタイミング間違えたとか、そういうのはないんだよね。本当はね。


と、いうようなエピソードが、もっともっと、たくさんある。「私はこう思う、こう感じる」(自己否定)「そんなことない」「そんなふうに思ったことない」っていう、指摘や気づき。そして、憧れ。


夫は私にとっての太陽である。


後ろ暗い私の心を照らして、引っ張り上げてくれる。夫と出会って、私のなかの自己否定教官はだいぶ小さくなり、子どもを産んでさらに小さくなった。

夫にも子どもたちにも、感謝してもしきれない。
夫に出会わなかったら、私はもっともっと、地面にめり込んだその先の、地獄のような場所にいただろう。


けれど、夫も子どもたちも、外部電源。

私の中身は基本的に後ろ暗い。自家発電するにはかなりのパワーを必要とする。そうして頑張りすぎると、ショートして動かなくなってしまう。

自己否定教官がいなくなれば、「前向き」が基本的な姿勢になるのか?





え……そんなことあるのか?



「おひとりさま母さん」のあとがきに、こう書いてあった。


「今も自己否定の海で溺れそうな誰かを救い出せるかもしれない」


実際に私が私の中の「自己否定教官」とさよならできるのか、さよならできたとしてそれはいつになるのか、それはわからない。

わからないけれど、でも今日、その入り口に立つことだけは、できたような気がする。


日々私を滅多刺しにしている、私の中にいる「自己否定教官」。私の顔をした、私の今まで生きてきた過去の残り滓。


「あなたは、あなたが思っているほど悪いやつじゃないです。ふつうに、いい人ですよ」


そう言ってくれたのは、とある先生。


普段は忘れてるのに、奈落の底にいるときにフッと私のところに降りてきて、心にぽっと火を灯す。


他者からもらった優しさや、あたたかさ。肯定の言葉。きっとたくさんあるはずなのに、受け取れなかったり、忘れ去ってしまったり、してきたのだろう。


ミライちゃんを見て、これから先の我が子もこうなるんだなぁと想像したり、頑張れナナオ!と応援の気持ちも込めて本を買ったりだとか、ママ友さんの心で読んできたけれど、励まされていたのは私のほう。私の心を照らすきれいな火。



ミライちゃん、4歳かぁ。
うちの子も来年こんな感じかな?
ママも、ミライちゃんも、どうか元気で。


思いを馳せつつ、6巻を閉じる。

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七尾ゆず先生、素敵な作品をありがとうございました!おつかれさまでした!










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