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昨日という日があったらしい。

明日という日があるらしい。
だが、わたしには今がある。

北村薫「スキップ」に出てくる、わたしの好きな文章である。
今日はこれに関連した明日と今日の話をしたい。

たまたまSNSの投稿で蔵前にある手紙専門店を見つけた。
どうやら、1年後の自分に手紙を書くというのがお店のコンセプトらしい。
シーリングスタンプや、便箋の種類が豊富で、店主のエッセイや紙小物も気になるいつかは訪れたい店だ。

けれど、こういうときにわたしは未来の自分自身ではなく今自分が大切に思う人に向けて筆を執りたいと思うウルトラ乙女脳なのである。
しかし、ここで踏みとどまるのが淑女の嗜みというもの。
20代での人間関係(恋愛、友情どちらも)において甘いよりも、酸いを体験することが多かったので、対人関係には慎重になっている。
明日を仲良く過ごせるかも分からないのに、1年後に届く手紙を特定の誰かに向けて書き、ポストに投函することなんてとても勇気が出せそうにない。
そう思えるようになったことは、自分自身が傷付くことを避けることが上手になったので〈退化〉ともいえるし、戦略的撤退が出来るようになった意味では〈成長〉と言えるのかもしれない。

でもやっぱり、ポストカードに触れてペンを握ると誰かに向けて自分の気持ちを書きたいという欲求に襲われる。
「いつもありがとう」とか、「こういうところが好き」だとか、
「~のおかげで救われた」とか、手紙を受け取る相手にとっては有難迷惑以外の何物でもないが、わたしにとっては言葉で自分の気持ちを伝えることは、とても大切なことだったりする。

そういえば先日、元同居人と映画に行ったときにこんな話をした。

「はなこは人を褒めるのが得意だよね。私は仲良かったり親しくなればなるほどその人を褒めるのができなくなっちゃう。むずがゆいというか、恥ずかしいというか」

この言葉を訊いて、自分が彼女と暮らしていた頃に「私、今日前髪を切ったんだよ。雰囲気変わったでしょう?ねえ!気付いて」と、
いつまでたっても新しくシースルーに切り揃えた前髪に気付いてくれないことに対して痺れを切らし、誉め言葉の強要をしたことを思い出した。

彼女は年齢的にも、精神的にもわたしより大人なので、「ハイハイ。変わった変わった」と笑い飛ばしてくれて、理不尽に拗ねたわたしのご機嫌を直すためにお手製の宝石みたいなボンボンショコラを差し出してくれた。

何が言いたいのかと言うと、気持ちを言葉で伝えるのが苦手な人は言葉以外の行動できちんと示してくれることが多い。
逆に言葉に頼ってばかりのわたしは、そのときの気持ちを相手に伝えることができても、ふとした瞬間の行動力に欠けており相手を失望させる可能性がある。

明日も好きな人と笑顔で話せているか、親友たちと変わらずに馬鹿をやっていられるか。
未来は誰にも分からないし、私自身も100パーセントそうであるとは思わない。
けれども、今その人たちと忘れたくない時間を紡いでいることは確かなので、そういった記憶を心の引き出しに大切に閉まっておきたい。

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