蟒蛇の母さんと、バウムクーヘン
わたしの母は、5年前に大病を患うまでは、信じられないほどの酒飲みだった。
いや、酒飲みなんて可愛らしい言葉で済ませられるほどのものではない。
蟒に蛇と書いて、蟒蛇(うわばみ)
わたしにとって、母は蟒蛇だったのである。
毎日ロング缶(500ml)ビール2本を飲み干して、そこからは肴も無しに焼酎の水割り(2Lのタイプの焼酎パックを2-3日で開けてしまう)を睡魔が来るまで飲み続ける。
小学生のはなちゃんが、中学生のアタシが、高校生の私が、何度も静止しても、母を潤すお酒の循環を止めることはできなかった。
なるようにしてなった、とはこういうときに使う言葉なのだろう。
娘の忠告に耳を貸さずあんな生活をしていたのだ、大病を患ったのははっきり言って自業自得なのである。
案の定、冒頭の通り 蟒蛇は5年前に腎臓がんを患い、がんを患ったことで、あれだけ好きだったお酒をピタリと辞め、がん治療/再発防止に役立つ食事療養の本を手本に、武士のような菜食主義(肉、油、砂糖、お菓子、アルコールなど嗜好品の一切を口にしない)になってしまった。
反比例するように、娘のわたしは都会の水がまずいことと、上司への不満、同期の赤裸々な恋愛話、自身のキャリアプランを肴に飲むワインと日本酒の美味さを知り、コロナ事変に突入してからは不要不急の外出はしない、引きこもりがちの小太りな中年女へと成長(膨張)した。
コロナ危機を迎えてからというもの、約5年ほど実家のある徳島には戻っていない。
そろそろ母親に顔を見せにいかなきゃなあ……、そう思った矢先のことだった。
2023年夏、蟒蛇に肺がんが見つかったのである。
腎臓からの転移ではなく、偶発的にできたステージⅠの肺がん。
本日がその手術日で、二時間で終わると主治医に説明された除去手術は、結果的に四時間もの時間を費やした。
どしゃ降りの中、バスを乗り継いで病室へ向かうと、
術後に備えて大部屋から個室の病室へ移る準備をしていた蟒蛇は、にこにこと柔らかな笑顔を浮かべていた。
この日、手術室へ向かうまでの時間に交わした言葉は「行ってくるね」という挨拶でも、「ドキドキするわ」という手術の不安を洩らす内容でもない。
「ほら。はなちゃん、好きやったやろ、これ」
私のふっくらとした丸みのある手に、母の骨張った細い指から、色んな種類のバウムクーヘンが落ちてきた。
なんで、いま。このタイミングで、そんなことを言うのか。
もっと他に、伝えなきゃいけないことはないの?
そしてわたし自身も、いつもくだらない冗談は笑ってぺらぺらと喋るくせに、伝えなきゃいけない言葉がどうして一つも浮かんでこないんだ。
誰かの心に寄り添える小説を書きたいなんて、大それたことを思ってるくせに、結局肝心なときに大切な人に伝えられる言葉すら持ち合わせていないのか。
「これ食べて、待っといてな」
いつも、これだ。
自分が食べられやしないのに、
付き添いのわたしのために、
幼い日のわたしが好きだといったお菓子を、こうして笑顔で買って病室で待ってくれている。
「これ食べて、待っといてな」
幼いわたしが、夜遅くまで母の帰りを一人で待つときには、
机の上のメモ用紙に「待っててね」という一言と、バウムクーヘンが置かれていた。
あの頃の、「仕事に行ってくるから待っててね」とはすべてが異なる。
きっと、お母さんは帰ってくるという安心感とは違う。
大好きだったバウムクーヘンが、少しだけ嫌いになった。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?