長女がトーコーキョヒでして:番外篇
「不登校は不幸じゃない」でも……
不登校は不幸じゃない。
納得です。
この言葉に救われた方は、きっとたくさんいらっしゃると思います。
でも。
私は逆でした。
学校に行って欲しい、行かせたいと、願い行動していた時期でしたので。
自分の考えばかり押し付けている酷い母親だ、と。
自分が責められているように感じたのです。
行けば笑顔で帰って来るから、学校でのことも話してくれるから。
登校さえできれば、彼女は楽しく過ごせてるから。
そのために、傍から見れば鬼の形相で引きずって同伴登校していた日々。
ギリギリの精神で、毎日を乗り越えていましたが。
時代に逆行して、固定観念を抜け出せない親かもしれないと、足元が揺らいでしまうように。
この言葉は私に突き刺さり、心折れそうになりました。
そもそも、この言葉はそんな意味合いで使われているのではありません。
学校という空間、学校生活というプログラムが合わない子どもは必ず居るし。
だったら、苦しいだけの場所に行くのではなく、登校しないという選択をしたって構わない。
だから、不登校(を選択するの)は不幸じゃない。
大いに理解できます。
でも。
本当は、学校教育が性に合っていて。
規律ある生活をすることが、そんなに苦でもなくて。
実は学校行事だって楽しみたいと思ってる。
なのに。
なんらかの要因によって、学校に行くことが困難な子どもたちにとっては。
学校に行けないことは、やっぱり不幸だと思うのです。
長女が高校生になってから、改めてこの言葉と向き合った時。
ああ、やっぱり不幸だったんじゃないのかなと感じました。
高校生活だって、楽しいことばかりじゃない。
出たくもない研修、やりたくもない実習、行きたくないと騒いだ遠足。
どれもこれも、口では文句をつけていたのに。
得るものがあり、楽しみがあり。
更に部活に入って、試合に出て、強化練習に挑戦してみたり。
学校を通して、様々な経験ができました。
何より。
今まで全く接点の無かった人と出逢い、意気投合して、遊んだり買い物したりできるようになっている様子を見ると。
登校拒否せずに中学校生活を送っていたら、また違う世界が広がっていたのかもしれないなと感じるのです。
もちろん、本人がどう思ってるのか本音のところはわかりません。
勝手に親がそう思い込んでいるだけでしょ、と言われれば否定できません。
けれど。
私は、学校でしかできないことも、得られないものも、出逢えないひとも、あると思っています。
全てが自分好みではない中で、できるだけ楽しめる方法を探り、見つける力を持つことは、きっとこれからの人生で頼れる武器になるとも思っています。
そういう意味でも、少なくとも我が家の長女にとっては。
登校することは不幸じゃない。
不登校は不幸じゃない。
でも。
登校したいのにできないのは、やっぱり不幸だと思います。
けれど。
もがいても、どうやっても登校できなかった時には。
登校しない日々が不幸にならないように、一緒に考えていけたらいい。
だから。
お子さんを登校させたい、学校生活に戻らせたいと、思うことも願うことも行動することも。
必ずしも悪いことでは無いんだよ、と。
私みたいにどこかで悩んでいる人に、届けたいです。
きっと、少数派だろうけどね。
ずっともやもやしていた気持ちを、やっと文章にしてみました。
2022年夏休み。
果たして、休み明けの長女や如何に。