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レイアウトPrequel:ガトーショコラ【恋愛小説部門応募/連作短編】《完結》

レイアウトPrequel/ガトーショコラ
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 これは、美織と陸人が付き合う少し前のコト──

 【ガトーショコラ:レシピ】

 チョコ レシピ 簡単 Enter……チョコ 簡単 レシピ 材料少ない Enter 【みんなが作ってる】……嘘でしょ?こんなん私に作れるわけがない。
 ああ、そうか。こんなところでも私は「みんな」っていう枠に入らせてはもらえないらしい。

 オーブンを二百三十度に余熱……は、無理。ドライフルーツ……って固そうだし。洋酒?ダメでしょ。似合わない。
 陸人にはなんか、こう……「普通に甘くて美味しい」のが似合う。私でも聞いたコトのあるような、生チョコとか、ガトーショコラとかそういう、やつ。それでいて、簡単で、絶対失敗しないやつ……なんて都合が良すぎか?でも、こんな私が「作ってみよう」と思った時点でだいぶ、これは褒めて欲しい案件なワケで。だから、そんな私にはきっと、ピッタリなレシピがみつけられる……はず。とか言ってみる。
 おっ、これならいけそう、かも。レンジでできるっぽいし、手順も少ない……って、まじで、バレンタインにチョコを作るのか?私が?

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【チョコを割り、ドライヤーで溶かす。】

 チョコレート、卵三つ、百均で揃えたボウル、ゴムベラ、クマの絵柄の紙カップ……が、ダイニングテーブルの上に並べてある。すでに甘い匂いを感じる様なその顔ぶれを見下ろすと、美織の表情は一気に強張った。
 瀬川と別れ、ひとり暮らしになってからもう季節が一巡した。そもそも、一人で暮らしているのだから、誰かにこの様子を見られているはずもない。そんなことは美織自身が一番よく理解しているはずだった。
 それなのに、美織は今から「恥ずかしくて」「やましい」ことを始めるような気分になっている。それもこれもきっと、全部ぜんぶ陸人のせいなのだ。

「誕生日、欲しいモノある?」

 そう聞いたのは最近の陸人が美織に対してあまりにも献身的過ぎて、もちろん美織は日々それに助けられているのだけれど、それと同時に、日々申し訳なさも募っていたからだった。

「誕生日……って、もしかして俺の?」
「他に、誰がいるっていうのさ?」
「確かに。俺の誕生日ってもうすぐだしね。そっか、誕生日……って、え?まじ?」
「なに?それはどういうテンションなの?」
「だ、だ、だってさ、美織が?あの美織さんが?俺の誕生日に何かくれるつもりってことでしょ?」
「もう、まどろっこしいな。その通りだよ。だから、何か欲しいモノはあるか?って聞いてるの!」

 自分から訊いたくせに、美織は早くも後悔していた。
 だって、まだ何をあげたわけでもない陸人には、あるはずのない尻尾が生え、それがふり切れんばかりにブンブン左右に振れているのが目にみえるようだったから。

「まじかあ。もう、すでに嬉しくてやばいから何もいらない位だけど。って、違う違う。いらないとか嘘。そっかあ、誕生日かあ、美織にかあ、違う。俺にかあ……」

 そう言いながら陸人が天を仰ぐと、その瞳には、ごくありふれた電球が計ったかのように映り込んでキラリと光った。美織はその横顔に「少女漫画のキャラみたいだな」と心の中で毒吐いてみる。美織はそうやって抗い続けていないと、陸人が無意識に放ち続けている光にあてられ、自分は灰だの塵だのになってしまうような気がしていた。

 陸人は人目も気にせず、その表情をコロコロと変えながら一頻り悩んだ後、今度は頭のてっぺんに、あるはずのない三角の耳を生やしてピンと立てる。

「美織はさ、もちろん俺の誕生日を知ってるじゃない?」
「うん、まあ」
「ですよね?じゃあ、その日が何の日かはもうおわかりですね?」
「ん?」
「そうです。その日はなんと、セイント・バレンタインデーです!」
「私まだ何も言ってないんだけど」
「ですよね?というわけで……ドゥルルルル…じゃんっ。チョコをいただきたいと思います」
「ドラムロール下手ね。ってかさ、そんなんで良いの?誕生日だよ?」
「逆に、そんな感じでいいの?絶対だからね?」
「陸人がそんなんで良いなら、もちろん、いいよ」
「言ったね?絶対だよ?美織に二言は?」
「……ない?」
「っしゃあ、もう決まりだから!約束ね!」

 自分の誕生日がニ月十四日だからってだけで「プレゼントはチョコでいい」と言われた美織はなぜだか拍子抜けしていた。というよりは、拍子抜けを“装って”いた。

「じゃあ、期待して待ってるから。美織が、俺のためだけに作ったチョコレート」
「……っ、え?」
「手作り以外認めませんので……」

 パキリという音は、何だかお菓子というよりもプラスチックを割ったみたいだった。それに加えて、割る度に増えていく板チョコの角は、力を込めると指の腹に刺さってきて痛い。その小さな痛みを繰り返していくという作業のせいで我に返りそうになる。陸人のために、美織はそんなことまで必死で堪えていた。
 一度溶かしてから冷やし固めて製品化したものを、どうしてまた溶かすのか?ということにすら、美織は疑問を抱いていた。明らかに無駄なその二度手間をそもそも理解できないのだから、このミッションを完遂するには“なるべく考えを巡らせない”ということこそが、美織にとって一番難しい工程なのかもしれなかった。

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【卵黄は溶きほぐし、卵白はメレンゲにする。】

 誕生日が近付いてくると決まってそわそわする。陸人のそれは毎年のことだったが、今年は一段と、というよりは、幼い頃からの“それ”とは全く別物のようだった。
 小学校三年生の頃から、この部屋は陸人の部屋になった。両親が準備してくれたカーテンにはイラストで宇宙が描かれていて、眠りにつく前にはいつもその宇宙に想いを馳せていた。しかし今ではもう、水色の布に描かれたポップなタッチの土星に向かうという夢なんてみない。そんな風に大人になった陸人には、もちろんこの“子供部屋”は似合わなかった。でも「カーテンを変えて欲しい」と母親に頼むわけでもなく、自分で別のカーテンを買ってくるなんてこともしない。「陸人って太陽みたい」だとか、「どうやったらそんなにイイコに育つのかしら」だとか。周りから抱かれるそのイメージを崩すことなくここまでやってきた。陸人は必死でその体裁を保っていたわけではない。自然と、自分の思うままに生きてきたし、そこに嘘は一つもない。それでも陸人は「陸人」という人物像に対して、どこかしらの後ろめたさを感じている。

 満員電車というわけではなくとも、身動きができない位には混んでいる。そんな電車内、陸人の視線の先には、固そうなビジネスバックに押しつぶされながら下を向く女子高生がいた。
 大学へ向かうため、パソコンの入ったリュックを身体の前に抱えている自分も、あの固そうなビジネスバックを持ったサラリーマンも、それから、あの苦しそうな女子高生も、仕方がなくこの時間の、この混み合う電車に乗っている。お互いにこの状況はどうしようもないのかもしれない。でも、どうにかできるような気がしてしまう。

 彼女に「大丈夫?」と声をかけ、無駄にデカい自分の身体を使って車内の一角にスペースを作る。ここが自分のテリトリーであれば、陸人の想像したこの行動は誰かからの不興を買うこともなく、すんなりと受け入れてもらえるのだろう。でも、自分と彼女の間には何人もの窮屈そうな人たちがいて、自分も同じくらいの大きさの「誰かにとっての迷惑」を抱えている。だから、いつもだったらいとも簡単にできるその一連の流れの、最初の一文字すら声に出せない。
 窓の向こうに流れる景色に浮かぶ自分の姿を直視しながら、陸人はそんな自分への苛立ちは必死で隠す。そして、誰にも気付かれない無力感に苛まれていた。
 こんな時、陸人はいつも決まって「この世界が今すぐ抗えない脅威のようや何かに襲われたなら、この車内もきっとすぐに一致団結するのだろう」という妄想を頭の中だけに浮かべることにしていた。そして、左へと流れて行く建物を、見えない怪物に一つずつ破壊してもらう。

 陸人のことを知る人が、この妄想を知ったとしたら、「陸人らしくない」だとか「まさかあの陸人はそんなことを考えるわけがない」と言うだろう。友達、いや両親を含めた家族の誰もが「そんな妄想をする陸人」を信じない。きっとそうで、というか、絶対に間違いなくそうだということは、陸人自身が一番よくわかっていた。

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【卵黄をチョコにいれ、すばやく混ぜる。】

「誕生日、欲しいものある?」

 美織からのその一言で、陸人の後頭部はツンと後ろに引っ張られ、それから無駄に心臓が弾んだ。

 自分のことを「好き」だと言ってくれる子がいれば、それだけでその子のことが気になるものだ。それに「折角告白してくれたのだから」と付き合ってみれば、もれなくちゃんと好きになって、とても大事な存在になる。陸人は、これまでそんな風に恋をしてきた。

 だからこの恋は「それまでの恋とは別物」で「全く陸人らしく」なかった。

 友人に「美織のどこを好きになったのか?」と聞かれても、きっと上手に答えることなんてできない。
 自分にはない思慮深さや、美織の発する言葉から感じる聡明さに惹かれたのかもしれないし、単純に見た目が好みだったのかもしれない。何がどうであれ、どういう仕組みか、明日美織に会えると思うと、陸人の身体の中心はお楽しみ会の前の日みたいに跳ねて、それだけではなく、どこにいたって美織の声を拾えるという才能まで芽生えた。「愛とは、恋とは」なんてことを掘り下げて、研究してみたこと等ない。でも、これが「恋」だということは、間違いないと確信していた。

 でも、美織への想いを自覚した陸人は、自分以外が信じている「陸人」らしく、その想いを自分の心の奥底に隠すことにした。

 美織への恋心に気が付いた時、美織にはすでに彼氏がいた。二人のことは、仲間内でも有名だった。それは、美織の彼氏が“芸術家”で、少しだけ“有名人”だったから。仲間内ではよく「すでに夫婦だな」と揶揄されていたけれど、それには嫉妬も孕んでいるようだった。でも陸人にしてみれば、美織の彼氏がどうとかよりも、たまに見かける二人の間に流れる空気が穏やかで、おしどり夫婦の様だとか、二人の纏う雰囲気が、似通っているように感じることの方が、重い。
 陸人は確かに美織に恋をしていた。けれども、美織たちの関係は未来永劫決して壊れることがなくて、むしろ壊れてはいけない関係なのだと思っていた。だから当時は、美織たちの恋が終わらないことを心の底から願っていたし、その願いが叶うのならば、自分の想いなんてどうでも良かった。 

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【容器に入れ、500wで5分チン。膨らんで、しぼみます。】

「もしかしたら私って天才なのかもしれない」

 レシピに添えられた写真と同じような状態になった“元チョコレート”を見下ろす美織の口元が弛む。レジに持って行くのを躊躇ったクマの柄の紙カップに生地を注ぐと、甘い香りを漂わせているそれが何とも愛おしくて、さっきまでの「恥ずかしさ」と「やましさ」に、別の可愛らしい感情が打ち勝った。

「陸人はきっと、私のことが好きだ」

 薄々、いや、本当はかなり前から気付いていた。「こんな私の何がそんなに」と思いながらも、陸人の想いを感じる瞬間だけは、あの別れの時から纏わりついたままの靄が少しだけ晴れることも事実だった。

 美織にとって瀬川現せがわげんは、唯一無二の、自分の半身のような存在で、現にとっての美織も確かに“そうだった”……はずだった。だから美織は、あの恋の中にしか自分の存在価値を見い出せなかったし、今でもそれは変わらない。現との別れは確かに美織自身が決めたことだったけれど、現と別れた今の自分は何の役にも立たなくて、存在する価値も無いような気がしている。

 現と別れた後、美織の周囲にいる人間は何故だかガラリとかわってしまった。それが偶然なのか、それとも彼らに気を使われたのか、もしくは価値の無くなった自分が嫌われただけなのか、その真相はわからなかったけれど、結果的にそれは、美織にとって良い変化だった。
 現と付き合っていたことを知られていないだけで、消えたくなる回数が減る。本当はすでに価値の無くなった自分だってことを知られずに済む。言葉に出せば虚しいだけだが、美織の気持ちが幾らか軽くなったのは紛れもない事実であって……焼き上がりを知らせる電子レンジの音と共に陸人の満面の笑みが脳裏に浮かぶと、美織は意味のない回顧に沈んでいたことに気付く。

「誰だ?料理をしている間は嫌なことを考えずに済むって言った奴は。全く逆じゃん」

 現と付き合っていた頃を知っているにもかかわらず、いまだに美織の側にいて、しかもきっと想いを寄せてくれている陸人の顔がそうやって頭を過ったせいで、美織はまた「恥ずかしさ」と「やましさ」を思い知らされていた。

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【取り出して……】

 勢いに任せてお願いしてみたものの、陸人は「嫌われたらどうしよう」と「あの言い方は図々しすぎたか?」という、後悔やら、不安やらに今日まで何度も押しつぶされそうになっていた。でも半面、真っ黒な期待が、自分の意志に反してはち切れんばかりに膨らんでもいた。

 午後から降り出したはずの雪は帰る頃にはもうだいぶ積もっていて、朝滅ぼそうとした景色はいとも簡単に白く塗り替えられていた。東京ではなかなか見られないその光景は、陸人の抱える矛盾を嘲笑っているかのようだった。“抗えない何か”は想像通り、確かに車内の一体感を増幅させたようで、温かいこちら側から見る雪景色に満更でもない顔が並んで浮かんでいる。

 不可抗力を受け入れた白い世界はツンと冷えていて煩わしくて、それなのに少し心が弾む。
 そしてそれは、陸人の中にもしんしんと降り積もると、熱く滾っていた黒い想いを許しながら冷やしていく。

「抗おうなんて考え自体が、烏滸がましかったのかもしれないな」

 陸人はマフラーに口元を埋めたままでそう呟くと、無意識のうちに掘り下げ、研究していた「愛とは、恋とは」の答えがそこに突然現れたような気がした。

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【切り分けて完成。】

「結論から言えば成功した」

 あんなに悩んで、躊躇って、やっと買ったクマの柄の紙カップを剥がす瞬間は流石に「二度手間……」という言葉が再び美織の脳裏を過ったが、切り分けた端っこを口に入れた途端、残りをラッピングすることにも抵抗がなくなった。

「そもそも、何かを作るってことは嫌いじゃないから……」

 美織はそう自分に言い聞かせながら、オーロラブルーの袋を手に取った。その中に真ん中の二切れを入れると、焦げ茶色のガトーショコラがオーロラを纏い、なんとも不思議な色合いになった。

 数年ぶりに東京に積もった雪だったけれど、昼にはほとんど溶けきって、日陰に集められ分だけが意固地になって残っている。

「ちょっと……その顔、やめて」
「なんで?失敗したの?それでも良いよ。俺、美織からもらえるならどんな味でも嬉しいし」
「失敗なんてしてないし、どんな味って……チョコはどうやったってチョコ味にしかならないでしょ?」

 顔中に「期待」という文字を貼り付けたような陸人から顔を逸らした美織は、「やっぱ、やめればよかった」と呟きながら鞄を開ける。
 殺風景な鞄の中で、登場を待ちわびていたオーロラブルーの袋を美織が掴むと、クシャっという音が辺りに響く。その音を聞きつけた陸人は「そっとして……そっと」と慌て、美織はいつもの調子で「うるさいなあ」とそれをあしらった。

「レシピ通りにやっただけなの。何の工夫もしてないし、だから失敗もしてない。だから多分……ってか、けっこう美味しいのは確かなんだけど……ホントに良いの?こんなので?」
「こんなの。じゃないよ」
「いやいや、レシピだって……簡単なのを選んじゃったし……」
「だから、美織はそもそも全部違うんだよ」
「え?」
「まあ、それは俺も一緒だから偉そうに言えないけど……」

 そう言いながら陸人は一口それを齧る。チョコレートの香りが鼻に抜け、程よい苦みと一緒に蕩けそうな甘さが口の中にひろがった。もちろんその味は美味しかった。それなのに、陸人の喉の奥はツンと痛み、瞳は潤んでキラリと光る。

「どんなのでもいい。俺には美織ならなんでもいいから」
「本当に陸人って」
「なに?」
「いや、やっぱなんでもない。陸人はなんかずっと……陸人だよ」
「ははっ……よくご存じで。でもさ、きっと美織は知らないだろうけど、裏陸人ってのもいるわけでして……」

 陸人はそう言うと、少し寂しそうに笑いながら美織の瞳を真っ直ぐみつめた。

「何それ?面白そう」
「えっ……まじかあ、そうきちゃう?」
「……?」
 相変わらずコロコロと表情を変える陸人を不思議そうな美織が見つめ返すと、雪を溶かした日差しとはまた違った温かさが、美織を包み込んでいくような気がした。

【コツ・ポイント】

 出来たてよりも、冷蔵庫で冷やして食べたほうが美味しいです。
 出来たてはメレンゲのふわふわ感が残っており、冷やしたものはしっとりして、その濃厚さが際立ちます。

【レイアウトPrequel/ガトーショコラ:終】
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#創作大賞2023

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