見出し画像

レイアウト:最終話【恋愛小説部門応募/連作短編】

【レイアウト】最終話
*******
[Prologue]

 会場の扉を開けると、落ちかけの太陽と夜の混じった匂いがした。昼間の熱を冷ましていく青が、木漏れ日を湿らせ、足元の土が香り立つ。

「さっきね、ほら、あの絵のところで陸人りくとが私に声をかける前……本当は、もう泣く寸前だった」
「知ってる」
「あの時は誤魔化すみたいになっちゃったけど……でも今は、ちゃんとわかるよ」
「うん。そっか。それ、聞かせてくれる?」
「ありがと。あのね、彼のサイン、漢字で書いてあったの。それも本名の漢字じゃなくって、まぼろしって読む方の『ゲン』だった……付き合ってた頃にさ、唯一大ゲンカしたのが彼のサインのことだったんだよね。まだ売れても無い彼が、その印を変えるって言い出したことをどうしても許せなくて、その時は理由も聞かずに無理くり説き伏せた。その頃から彼は、あの漢字で自分を表現したかったんだと思う。それをきっと……凜華りんかさんが許してくれた。あの絵は、そんな事まで私に伝えようとしてきた。だから、私の中で嫉妬が渦巻いたような気分になって泣きそうになってた……かも」
「そっか」
「でも全部、そう、全部。何もかもが私の思い込みなんだって……今ならそう思える。だって、ゲンの感覚に似ていたのはあの頃の私で、しかも、いつも答え合わせが出来る状況だったからこその感覚だった。だから、今の私がどんなに想いを寄せたとしても、今のゲンの気持ちなんて、ぜんぶ私の想像でしかないんだよ」

 美織みおりが自分の恋心を閉じ込めて、無理くり吐き出した「さよなら」はいつの間にか呪縛になり、別れを上手く消化できなくしていた。その所為で美織は知らぬ間に過去に囚われて、いつまで経っても瀬川せがわを自分の分身のように感じてしまっていた。
 そんなことにようやく気が付いた美織が振り返ると、茜色がその姿を優しく包む。

「今日、陸人があの失恋に向き合う勇気をくれて、そしたらあれは、私の中でちゃんと過去になってた。今まで見ないふりをし続けてきた 私だってそうなんだから、向こうだってそうだよね?」

 夕焼けを背負う美織は少し眩しくて、陸人は思わずその目を細めた。

「そうだね……うん。そうであって欲しいと思うよ」
「あれ?どうして今のでそんな弱気になったの?もう、湿っぽいなあ……ほいっ?」

 そんな陸人の眼差しが何故だか凄く照れくさくて、美織は誤魔化すように手を差し出した。陸人はその手を迷うことなくとり、そして徐に指を絡める。そんな二人の表情に差し込む光の彩度は高い。

「ふふっ……私もね、もうなんだっていいや。こうして陸人と手を繋げてる今がある。それだけで、もう十分」
「ああ、いいねそれ。なんかやっと美織自身と付き合い始められた気がする」
「何それ?じゃあ、今までは?」
「うーん、元カレ入りの美織?……って、言わせんなよ」
「ははっ、なんかそれ気持ち悪い。くくっ、でも面白っ……ねぇ、陸人ってさ、けっこう嫉妬深いよね?」
「美織は知ってたはずだよ?俺が嫉妬の塊だってこと。だってさ、美織の元カレの名前を、今までずっと、頑なに口に出さないくらいだし」
「そう言われてみたら、そうかも!」
「そんな、ちっせえ男なんだよ。あー、かっこわる」
「いや、なんかそれ、凄くいいよ」
「そうなの?」
「ああっ!」
「どうした?」
「ちょっと、話の展開が降りてきた……早く、もう帰ろう?」
「え?そんな急に?」
「あのね、私に見えているものが変わったみたい。今ならきっと、満足できるものが私にも描ける」
「なるほど。そういうことなら、急がないと……」

 美織のそんな感覚を陸人が同じように感じることはない。けれど二人が繋いだ手の中では、確かな温度と共に互いの想いが溶け合っている。

「大丈夫?こんな風に私、どんどんワガママになるかもよ?」
「全然大丈夫。そんなの大歓迎」
「陸人の『大丈夫』は、全面的に信じられるんだよな」
「ん?何か言った?」
「……陸人が大好きって言った」
「わお。レアじゃん、嬉しい!」

 足早に歩きだした二人の影を新しい夜が飲み込んでゆく。温度のあるその夜は奥行きのある星空になって、あるべき場所に広がっていた。

*******
【レイアウト:終】
→[to Prequel:ガトーショコラ]

#創作大賞2023


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?