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花のシキサイ:第二話【秋】空が落ちてくる瞬間[恋愛小説部門応募/連作短編]

第二話:【秋】 空が落ちてくる瞬間



chapter:1『空が落ちてくる瞬間』

 秋空が何処までも続いているように感じさせてくれるのは誰の為なんだろう?
 隣にいるキミとの距離は、肘と肘の間、約三センチ。
 捲りあげた袖から香る柔軟剤の香りと、校庭の砂っぽい空気をここで一緒に吸い込み始めたのは、いつからだったっけか……



「このさ、銀色の柵って何のためにあんの?」
「さぁ?落ちない様にじゃね?」
「誰か落ちたんかな?」
「二階だし、最悪落ちても大丈夫そうだけどな?お前以外は……」
「わかる。あんたはもし落ちても、こう……シュタッて降り立てそうだけどさ?私は絶対アウトだわ」
「んじゃ、お前の為の柵だな」
「んだんだ。あーそっかぁ、私の為の柵だって知ってたら、中学の時落書きなんてしなかったのに」
「落書き?」
「そう。三年C組の柵のここ、この裏側らへんに名前彫ったった」
「っちょ、言ってる側から危ねーな!そんな乗り出したら落ちるって」
「んあー、ありがと。おかげで助かったよ」
「こっちがビビったわ。それにあそこ四階だったろ?そこまでして自分の名前なんて彫ってくんなよ」
「自分のなわけないじゃん?好きな人のだよ!」
「いっちゃん?」
「うわっ?何で覚えてんの?」
「お前散々騒いでたし、高校入ってからもしばらくは『会いたい~』って言ってたし。つか、まだ好きなの?」
「そういや、いつの間にか好きな気持ちどっか行っちゃったな」
「薄情なヤツ……」
「あんたこそ、高校入ってすぐに理沙りさと自然消滅してたじゃんか?」
「あれは……まあ、大人になれば色々あるもんで」
「なに?私へのあてつけ?」
「そんなとこ。お前、彼氏どころか告った事すら無いだろ?」
「自慢じゃないが告られたコトも無い」
「あーあ。そうやって俺の気遣いを無駄にしやがって」
「ふふっ。優しさの無駄遣いしちゃったね」
「まあ、慈善事業だよ」

 少しだけの沈黙が燻った。喋らなくてもずっとこうしていられるのに。
 親からも友達からも得られなくなってしまった程よい安心感が、頬を撫でて空に溶けた。

「あっ、そういえばっ!私この前あんたと付き合ってるっていう夢を見たよ」
「えー!じゃあ……出演料払えよ?」
「三百円で良い?」
「そんなくれんの?っつか、どんな夢?」
「なんかね、私は眠ってるんだけど、あんたがそこに馬乗りになってきて……」
「それって……」
「いやいや、やめて。そういうエロい感じじゃないから。二人で目が合ったら『何この状況~?』ってめっちゃ可笑しくて、大笑いしてたら起きちゃった」
「そんだけ?」
「うん」
「付き合ってる要素ないじゃん?」
「付き合ってるって設定だったの!なんかあるじゃん?夢ってそういう感じ?」
「俺、夢ってほとんど覚えてないからあんま良く分かんねーけど……でも夢ってさ、願望とかが現れるっていうじゃん?」
「そうなの?」
「女子なのに夢占いとか興味ないの?」
「私だよ?」
「そうだった。でもさ……ぶっちゃけホントは、お前、俺と付き合いたいの?」
「えっ?まさか。そんなこと考えたコトも無かったけど……まじか。深層心理ではそうなのかな?」
「やめて。まじで返さないで……ありえ、なくない?」
「だね。あんたの顔全くタイプじゃない」
「ふっ、俺、イケメンなのにね?」
「ホントそれ。イケメンなのにね……不思議と全くときめかない」
「残念なヤツめ……」

 居心地が良いのと、恋愛感情の好きって何が違うんだろう?

 好きを通り越したこれが、恋愛の愛の部分だったとしても、誰にも教わったことが無い私にはわかるわけないし。

 思わず伸ばした手の先の空はすごい遠くて、私じゃ全然届かなかった。

「何やってんの?」
「いや、空って何で青いんかな?って思って」
「それはさ、人の目の構造上、光の反射を……」
「ストップ。だから、そういうとこ」
「なにが?」
「ときめかない。全然ときめかない」
「関係なくない?空が何で青く見えるか知りたがったのはお前だろ?」
「あーあ。ロマンチストな彼氏が欲しい」
「意味分かんねーよ」
「私がたまにアンニュイな気分になった時にはさ、彼氏にはそれを察して私のテンションに合わせて欲しいわけ。事実を伝えるとか、そんなつまんない男じゃ嫌なの」
「はいはい、つまんない男で悪かったな……でも、そんな奴がいたらきっと、誕プレで自作の歌とか歌ってくるぜ?お前どうせ、それにはドン引きするんだろ?」
「まーね、そうだよね。私ってそういう感じだよね……あー、今世で誰かと付き合うのは無理かあ」
「諦めの規模が大きくない?」
「なんか好きとか、もう大まかに恋とかの感覚?が合ってるのかさえわかんなくなってきたよ。ねぇ……ちょっと、私に恋とか教えてみ?」
「は?つまんない男の意見なんて役に立たないだろ?」
「いじけんなって。こっちは猫の手も借りたくてウズウズなう。経験者の意見、はよ」
「っふ、しょうがねーな。俺の恋は……」

 あー、空って瞳の中にも映るのか。

 睫毛のでは無いこの影は、きっと鱗雲が反転して映り込んでいる。ゆっくりと移ろう空のカタチって、どんなに側に居ても私の目に映るのとは、全く同じものでは無いのかもしれない。
 別々の空を見上げ続ける者同士が一緒に恋を始める瞬間を、死ぬまでには一度見てみたかった。

「んー、そうだな。恋ってさ、落ちるって表現が良く使われるじゃん?俺はやっぱそんな感じなんだよね」
「例えば?」
「相手の存在?みたいなのがストンって自分の中に落ちてきて、もうずっとそこに居座るの。そうすっと全身がそれを察知して、すぐに目が相手のことを探し出すし、耳なんて本人の声だけじゃなくて、誰かの会話の端に聞こえる名前まで拾い出すから……そこらへんで気が付く感じ?」
「好きだなって?」
「そう。どう?まさに恋に落ちたって感じだろ?」
「どっちかっていうと、恋が落ちて来たみたいだけどね」
「そうかも……うまいじゃん」
「いっちゃんのコト『好きだな』って思った時は、そんなんじゃなかった気がするんだよなあ……」
「俺だって毎回同じ始まり方じゃないけど」
「ふーん。そんなもん?」
「そんなもんで良いんじゃね?お前は難しく考えすぎ」

 私の所にもポロっと恋が落ちてこないかな?

 もしも落ちて来ることの無いこの空みたいに、私の恋がずっと届かない場所にあるまんまだったら、私はそのうちに一人ぼっちになっちゃうのかもしれない。

 もう一度手を伸ばして掴もうとした秋空は、私の指の間をすり抜けてしまった。

「今度は何?」
「今、空を掴んどかなきゃいけない気がして」
「アンニュイの再来か?」
「そんなとこ。ってかさ、サッカー部の練習、もう始まってない?ウチの吹部、実は今日オフなんだよね」
「嘘だろ……?やばい」
「こっから見といてあげるよ。怒られてるとこ」
「言ったな?じゃあ、俺が部活終わるまで責任もって見守っとけよ?」
「えー?想定より長いのだけど……」

 どうせもう怒られるのは不可避なんだから、さっさと行けばいいのに。
 教室のドアの側まで走って行ったと思ったら、何故か立ち止まって振り返りやがった。しかも、その表情は状況に全く見合わず余裕に満ちている。

「でもさ、お前はもう、空を掴めてるよ」
「なんで?」
「だって、こっから見えるあの空の端っこは誰かの頭の上なんだから。遠くから見たらココだって空の中なんだよ。それに、空気って漢字に“空”って入ってんだし。お前も俺も、最初から空を吸って生きてんの。掴むどころの話じゃおさまんなくね?むしろ空に満たされてるじゃん?」
「なんだそれ」
「気付いた時には、恋も空ももう落ちて来てるってコトだよ。それだけ。あー、とにかくっ!俺の部活終わるまではここで待機だからね?」
「はいはい。さっさと怒られに行ってきな?」

 何だか教室の空気が少し軽くなっちゃった気がして、物足りなくて窓辺に戻る。

 あれをロマンチストと呼んでいいのだろうか?

 ただ、不覚にも欲しい言葉を貰えてしまった気がした。こういうの、何て言うんだっけかな?

 私を上手く丸め込んだ様な顔をしてここから出て行った姿が、砂っぽい校庭を駆けて行くのが見えた。
 価値観が同じってやつか?悔しいけど、もうすでにココロヨマレてる様な気もする。あのたった一言がそれを私に示したせいで、私の手元には、遠くにあったはずの空が近付いて来ていた。

 一人で眺める空の中、視界の隅にチラチラと映り込む姿。それは何故だかたまに、こちらをどや顔で見つめてくる。その表情に自然と口元が弛んだ。「ボール見ろよ」って怒られてるその名前を、私の耳が少しだけ拾い始めている。

「こんなもんか」

 独り言が私の周りの空気を揺らすと、勝手に茜色に染まっていく空が、私に向かって落ちて来た。


chapter:2『あの二人って、まだ付き合ってないらしいよ』

「なあ、海見に行かへん?」
「どうしよう……何からツッコミ入れてほしい?」
「まかせるでえ」
「承知!……っと、今から行くん?お台場の海かな?遠いよ?」
「ちゃうねん。こう、ロマンチックに輝く海に向かって『バカヤロー』って言いたいねんやんか」
「ごめん。大阪弁からツッコミ入れるべきだった」
「それな」
「んで、どうしたん?まさか俺の知らないところで失恋でもしたとか?」
「違う。それに海に向かって叫ぶのが、失恋したからだって決めつけるの、良くないと思う」
「なんでちょっと怒ってんの?」
「すぐ恋愛に絡めるとこキライ」
「あーすいません。で、結局なんなん?」
「私、夢破れたっぽい……」
「えっ?夢?」
「そう。なんかね、聞いたところによると、生まれて初めて『なりたい』と思ったものが、その人の天職なんだってさ」
「まじ?どこ情報?」
「ムーを毎月読んでるって人のブログ」
「それ、全然あてにならなさそうだけど……」
「ねえ、最初の夢ってなんだった?」
「へっ?俺?あれ……なんだったっけかな?うーん、たぶんだけど、サッカー選手とかじゃね?」
「ホント?ちゃんと、よーく思い出して?あんたのお母さんとかが思い出話として、語り部の如くずっと語り続けてる系のやつ」
「えー?……あっ!」
「あった?」
「え、でもこれは入らないと思う」
「決めつけ良くない。男だろ?」
「男だろ?とか言うとこキライ」
「だよね。それはホントに良くなかったとです。すいません」
「急に博多へ向かったね。まあ、じゃあ許す。あのな……笑うなよ?」
「もち」
「俺の生まれて初めての夢は、サッカー……ボール」
「っと……なんかゴメン」
「ちょっ、馬鹿にしてんだろ」
「違う違う。本気でゴメンって思ってるって。だってさ、物理的に無理な夢だったてことでしょ?それが天職だったなんて……」
「ムーを毎月読んでる人の理論でいけばな」
「私的にはさ、人って全く叶わない夢は見ない様にできてると思うんだ」
「じゃあ俺って結構可哀相だね?」
「そうなんだよね……ごめんね、辛いコト思い出させて」
「ホント。知らない方が幸せってコトもあるんだね?」
「んだんだ。でさ、私の夢なんだけど」
「あっと、慰めがもう少し欲しい所でしたが、どうぞ」
「うん。私も辛いで聞いてくれろ?」
「どした?」
「私の天職、魔法使いだった」
「んー?それ絶対叶わんの?」
「だってウチらホグワーツ入ってないじゃん?」
「あっ、その世界観のね?ってか俺も?」
「うん。だって小中高って一緒じゃん?あっ、でね、ホントはサリーちゃんになりたかったんだけどさ……」
「サリーさん?ちょっと存じ上げないのですが」
「うちのママが小さい頃ドはまりしてて、その影響……」
「ほう、では歴史ある魔法使いなんですな。でもさ、それならポッター界隈は通らなくても……」
「違うの。どうせなるならエリートコースが良いの」
「なるほど」
「だから、どうしよう」
「んー。実はさ、俺ホグワーツちょっと通ってた」
「ウソ?抜け駆けじゃん?」
「ごめんて。夜学だから恥ずかしくて」
「じゃあ魔法使えんの?なれるじゃん!サッカーボール!」
「その件は忘れてもらった方が幸せってコトもあるよね?」
「んで、どんな魔法が使えるん?」
「さすが、グイグイくんね」
「はよ」
「ある特定の人を幸せに出来る魔法」
「なんかクサいな」
「いーの?使ってあげないよ?」
「え?私にも有効なの?」
「ってか、まあ。うん」
「どんな魔法なん?はよ教えて?」
「帰りにアイスを奢ってあげれる魔法」
「やば、サーティー?」
「ごめん。ソフトツイスト」
「大魔法使いじゃん!ロンよりすごいよ!」
「使う?」
「使う」

「お前ら!いつまで残ってんだ?テスト期間中だろ!」

「はーい」
「へーい」

「ほな、行こか?」


chapter:3『花柄の空』

 当たり前のカタチがいつの間にか変わっちゃって、逆に特別って何だったか分からなくなっちゃった。夏の名残りがあるとはいえ、だいぶ冷えている秋空だって、まさか自分に花火が打ち込まれる日が来るとは想像もしていなかったと思う。
 それに、その様子をこの二人で見に来るなんて事態を、私はちっとも想像していなかった。

「花火ってさ、ずっと夏だったじゃん?」
「普通な?」
「空にとってもやっぱ特別なのかな?」
「何が?」
「夏じゃない日の花火」
「だろうね」
「想定外?」
「かもしんないね……」

 ずっと一緒に居たようで、毎日は一緒にいなかった。けど、私たちにはそれが当たり前だった。いつの間にか私の身長を抜かした影は、それでも変わらず結構な頻度で隣に居たし。

「想定外って特別ってこと?」
「んー?どうだろ?」
「当たり前じゃ無いコトって、特別でしょ?」
「想定外には慣れてくから大丈夫だけど、特別はずっと特別のままだよ」
「難しいな」
「例えばさ、急に会えなくなったじゃん?コロナとかで」
「うん」
「あれって完全に想定外で、やっぱ皆にリアルで会いたいなあってなったやん?」
「そうだったね」
「でも、オンラインとか、あとは電話とか?そんなんでなんか、どうにかして、何となく会った気になってさ、ちょい満たされて……」
「ちょっとだけ寂しさ紛れたよね」
「うん。でもその後に残ったのは、どうしても諦めきれない当たり前だった」
「それが、特別?」
「そう。約束したわけでも無いのに隣に並んでさ、教室の窓辺で銀色の柵に寄っ掛かって。俺らの肘と肘の間には三センチしか距離がないの。あん時見上げた空が、俺の特別……」

 少しはにかんだ顔とか、こんなに一緒に居たけど、いま初めて見たかもしれない。

「どうしても戻りたい当たり前のコトを、特別って呼ぶ……のか?」
「おっ?わかる?」
「私の特別が、あんたと同じだったって言ったらさ、それは想定外?」
「えっ?それって……?」

 当たり前が壊れて、想定外に慣れて、特別だけが残るなら、それでいいのかもしれない。
 今までのカタチが壊れようとも、どの季節に花火が上がろうとも。

「手でも繋いでみる?」
「どうしたの?期待しちゃうよ?」
「いいんじゃん?」

 視線を落としたその先で、見慣れた指が私の指に絡んでいるその様子は、何とも見慣れない風景だった。

 それを見ていた夜空は、やっぱり驚きを隠せなかったみたいで、吐息をすぅっと長く吸い込んだ。
 瞬きの間に弾けた音が何故だか足元から響いてくる。何だか体の芯から揺さぶられてるみたいだ。

「やっぱ、恥ずかしっ」
「なら、見なきゃいいじゃん?」
「それもそうか……」

 夜空には地上から放り出された光の粒で、大輪の花が描かれている。

「お祝いみたいだな」
「誰の?」
「俺の。あー、まじでここまで長かった」
「ふーん。本当は私のお祝いだけどね?」
「なに?負けず嫌い?」
「いんや、私の方が喜んでるってこと」

 花柄にくり抜かれて光る夜空は眩しすぎる位だったけど、視線を落とす方がくすぐったくて、私たちは空を見上げたままでいた。

 二人で何度も見上げた空が初めて、全く同じ柄になっている。

 きっとこの特別は、私達だけのものじゃない。

 この空の先で、数え切れない特別が今この瞬間に生まれている。
 だから、手を繋いだまま見上げた花柄の空に、私はもう慣れてきていた。


chapter:4『運命的不発弾』

「……で、運命を感じないので別れましょう。と?」
「っそ」
「まさか、本人にもそうやって?」
「うん」
「まさかまさか、今まで全部?三人とも?」
「あれ?言ってなかったっけ?」
「……はあ。それは流石に最低だな。幼なじみとして恥ずかしいよ」
「えー?ぴえん」
「ぴえんって歳でもないし、もう流行ってもないし。しかも、そんなに軽い問題でもない気がするのですが?」
「あーね」
「え?もしかして今日はその報告の為に呼ばれたの?俺?」
「違うって、これ、これ。あんた私より器用じゃん?私だけじゃ仕上がんないよ。こんなの……」
「あのさあ、不器用自覚してんなら、手作りのアルバムをプレゼントしようとか……普通、企画もしないぞ?」
「なんでよ?もちろん、あんた込みで企画を立てたんだよ」
「なるほど。流石ですこと……」

 目の前の小さなローテーブルの上には、乱雑にまき散らかされた懐かしい写真たちと、パステルカラーの画用紙、それに、最近はめったにお見掛けすることもなくなった、ファンシーな文房具が大量に用意されていた。

 キッチンもトイレも何もかもが八畳に納められた此奴こやつの部屋は、無理やり入れられたベッドのせいで狭すぎる。だから俺たち二人はベッドとローテーブルの間にできた僅かな溝に、幼なじみとしては不適切なほどの距離感で肩を寄せ合い、ギュウギュウと座っているわけだ。

「でも、まさかさぁ。クルミたちがあのまま結婚するとはねぇ……」
「確かに。でもあの二人、いつから付き合ってたん?」
「さあ?私が気付いた時にはもう三年くらい経ってたらしいし、高校の時からじゃない?」
「まじか。ってかさ、お前、それでも親友?」
「ふふっ。私って、クルミには興味あるんだけどさ、クルミの彼氏には興味ないのさ」
「あー。そうゆう奴だったな。お前……」
「だしょ?あっ!でもさ、これぞ、運命。じゃない?」
「んー、ん?」
「だから、クルミたち。高校ぐらいから付き合い始めてさ、何年?えっと、三年生の時からだとしても一、二……っちょっとわかんないケド……とにかく、その長い期間、ずっと好き同士でいたわけじゃん?そんで、なんとまあ結婚っ……かあっ、羨ましいねぇ」
「あー、なるほどですね」
「私たちもさ、あのまま付き合ってたら……今頃どうなってたのかな?」
「ぶはっ……」

 俺が思わず吹き出したことにより、ハート形に抜かれた画用紙のフレークが舞い上がる。

「あーあ。ちょっと、散らかさないでよ」

 机の下にまで飛び降りたハートの欠片を集めながら、此奴こやつは何故か口を尖らせて不服そうにしている。
 確かに、このハートを散らかしたのは俺の鼻息の所為かもしれない。でも、このハートをせっせと型抜きしていたのは俺だし、なんなら此奴こやつはすぐに飽きて、懐かしい写真を眺めて「あーだこーだ」と思い出を引っ張り出してきているだけだったのに。しかも、その無理やり連れて来られた思い出たちの所為で、俺は今まさに悶々としている。

 そして今、この仕打ちだよ。

 散らかったパステルの小さなハートたちが、俺の気持ちそのものを表しているようだった。

…………
……

「ちょっと、どの口が言ってんの?」
「んー?この口?」
「あのさあ、やっぱ付き合うの無しって言ったのそっちだよね?」
「まあねぇ……だってさ、やっぱり恥ずかしかったんだもん。それに、考えてもみなよ?あのまま付き合ったとして、私の初めてのあれやこれや。全部あんたとだよ?うわぁ……ないない」
「あれやこれやって……あー、でも、そういうとこあるよね」
「そう。よく知ってらっしゃること」

 やりきれない俺の視線が、ローテーブルに張り付いたパステルイエローのハートの欠片を拾う。片付けを手伝うフリをしながらそれを掴んだ途端、その黄色いハートは勢い余ってクシャっとなった。諦め半分、でも一応丁寧に、その黄色いハートを広げてみた。だけど、思いっきり皴の入ってしまったハートは、皴に沿って今にも破れそうだ。これはお祝い用なわけだし、もちろん、だからもう、使えない。

 そんな些事が自分の気持ちと絶妙に重なり、地味に傷付いた自分がいる。そして、自分から掘り起こしたくせに、もうすでにこの話に飽きてしまっている此奴こやつに対して、流石に腹を立てている自分もいた。

「ねえ、俺があの日キスした理由って考えたことある?」
「ぶはっ……」

 こうなるコトを予想しなかったわけじゃない。
 今度は此奴こやつが吹き出した鼻息によって、改めて一か所に集められていたハートたちが、思い思いの場所を目指して再び飛散した。

「ちょっと、あーもう、折角片付けたところだったのに。まあ、何というコトでしょう……」
「真面目に。……あの同窓会の日、このアパートの階段の下で、俺とお前はキスしたでしょ。って、さすがに覚えてるだろ?」

 そう問いかけながら、吹き散らかしたハートのフレークを集める此奴こやつの様子を観察してみる。結果、想像していたよりかは慌てているものの、期待していたほどの“ラブ”的な感じはしない。ただ、「俺からの視線に絶対気付いているくせに意地でもこちらを見ない」という点については、「超絶可愛い。」という評価を与えようと思う。

「うっ……あれは、だって……そうだ!お互い酔ってたじゃん?それに、久々に盛り上がって、楽し~。はい、チュッ。みたいなコトでしょ?あんなの、キスって呼ぶほどじゃ……」
「それな。まあ、知ってたけど。でもね、確認だけど、お前、俺が酔っぱらってんの見たことある?」
「えっと……ない。だってほら、あんたお酒めっちゃ強いじゃん!」
「だろ?つまりは?」
「えっ、え?どういう?」

 恋愛とは、先にほだされた方が負けなのか?

「あー、ホント最悪。全部説明させる気?」
「まあ、できるなら?」
「あっそ。じゃあ言わせてもらうけどさ、お前にとって運命って何?」
「え?そこまで戻る系?っと、ですねぇ……」
「あれだろ?前世でもなんちゃらとか、出逢った瞬間にわかるとか。そんなもんだろ?」
「えっ?語らせてくんないの?」
「ってか訊かなくてもわかるんだった」

 俺にとって、とっくの昔から運命の相手だった此奴こやつは、一向にその歯車を回してはくれなかった。

 それどころか、俺がやっとの思いで手を繋いだあの頃は、その後の展開に俺がどんなにやきもきしていてもお構いなし。しかも、数か月後にはふいっと此奴こやつはその手を離し、俺の気持ちごと振り払ってしまったのだった。

「それは、そうでしょうね」
「そう。だから、ちょっと黙ってて。んで、俺のターン」
「あ、はい。どぅーぞ」
「どうも。で、ですね、俺たちの出逢いは?」
「あっ、こういう感じ?」
「うん。はよ」
「はい。小学校入学時であります」
「そうですね。では、その後、何回同じクラスになった?」
「えー?小、中、高でしょ……イチ、ニ……あいっ。沢山でありますっ!」
「相変わらず諦めが早いね。まあ、いいでしょう。概ね正解です。じゃあ、次の問題です。たまたま同じ学年に生まれて、学区域も同じ。ってか家も近所でさ、それに加えて何回も三分の一の確率で同じクラスになって、高校なんて示し合わせたわけでも無いのに同じ所に進学して、大学の四年間は全く別の場所で生活していたのにも関わらず、今こうして二人きりでいる。はい。この確率は?」
「ええっ?ちょっと待って、難しっ……」
「五、四……」
「カウントダウン?いきなり?しかも五から?ちょっと、タンマっ!」
「無理でーす。ゼロになった瞬間爆発します」
「ば、爆発?って、何が?」
「教えない。ほら、三、二……」
「あー、どうしよ?えっと、小学校が六年でって?あれ?計算、どこからすれば……」
「イチ、 ゼ……」

 ここまでくると、本日の全ての会話や、その一挙手一投足でさえ、初めからわかっていた様な気がしてくる。これはデジャヴ的な脳のバグなんてもんじゃない。これはもう、未来予知とか超常現象の域。そのくらいには、いま此奴こやつが何を考えているのかがわかる。此奴こやつとの時間はそれほどまでに俺の“これまで”に多く存在していて、何ならその大部分の時間、俺は此奴こやつのコトが好きだったのに。

「ダメだっ……あっ!もしかして……これは、運命的確率。ってことでしょうか?」
「おっ、流石。あーもう、こういう時だけはホント無駄に察しが良いんだから……」
「へへん」

 ちょっともう、限界かもしれない。
 どうにか講じた“なけなし”の策、何でだか此奴こやつを諦めきれなかった健気な俺が、二年前に忍ばせた「キス」というきっかけ。けっこう命運をかけたというか、決死の覚悟で臨んだそれには、今日の今日まで気が付きもしなかったくせに。

「そういうとこ。本当に迷惑」
「え?何?褒めてくれてんじゃないの?」
「逆だよ。嫌味で言ったの」
「うそ……ショックなんだけど」
「俺もね」
「え?いつの間に?」
「うん。だいぶ前からですけど何か?」
「ごめん。まじで、思考が追っつかない。私、馬鹿なのかも……」
「あー、へこまなくてよろしい。お主は馬鹿なのではない。恐ろしく鈍感なだけだ」
「んん……悔しいですっ」
「よ~く、よ~く思い出して。はい、俺たちの関係は?」
「えっと……幼なじみ?」
「どんな?……ヒントは、さっき気が付きました」
「う、運命的な?」
「はい、そうです。正解。だとしたら、もうおわかりですね?あの日、俺が、あなたにキスをした理由」
「え、わかりません」
「うん。だと思った。正解は……わざと、これまでの俺たちの関係を壊すためにキスをしました。です」

 ここぞという時、ちょっとひねくった言い回しをしてしまうのは俺の悪癖だと自認している。だからこれでも、頑張って伝えた方だった。

「えっ?それって、幼なじみの縁を切りたかったってこと?」
「そうじゃない。お前との縁を切りたいとか、微塵も思っちゃいないよ、もちろん。けど、あながち間違いでもない」
「う……ゴメン。感情ぐちゃって、いつもにも増して思考が強制停止した」

 俺好みのちょっとお洒落で気の利いた言い回しと、此奴こやつ好みのロマンチックをかけ合わせた告白がしたい。という理想が叶わない覚悟はしていた。だって相手がこんなだし。でも、折衷案くらいのことは言わせてほしかった。だって、進展しなかった俺たちの関係に期待を持ち続けた日々は、まあまあ辛かったし。その他諸々の事情もありつつ、此奴こやつ以外の女の子とお付き合いをしていた時期にも諦められなかった位には……な恋心の告白なのだから。
 でも結局、相手が此奴こやつである限りは、何の飾り付けもしないままの言葉や行動にして、もっとてらいなく伝えないといけなかったらしい。

「ちょっと、もう、疲れた。俺も思考停止させて……」
「え?え?」
「それ、何の驚きか知らんけど」

 流石の此奴こやつも察したのか、俺の表情を探るみたいに目と口を開いて見つめてきた。だから俺は、理想の告白を諦めて、説明と説得も諦めた。そして一か八かでポカンと開いたままの唇を、あの時みたいに塞いでみた。

「……んっ?んんーーーっ!!」

 格闘技だったら降参を示すダブルタップを両肩にもらい、一か八かのキスをやめる。
 それから、この運命がどう転ぶのかを見極めるために、少し俯いているその顔を覗き込んだ。

「どう?」
「……どうって?ってか、今、キスしました?」

 向き直った此奴こやつは、あまり顔色を変えていない。それどころか真正面からこんな確認をしてきやがる。

 そうだ。何度も言うけど、此奴こやつはこういう奴だった。

「うん。したよ。キス、しましたです。あっ、そういえば、あなた様から初めてのキス認定を頂きました。どうもありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして。って違うっ!何?あん時わざと私にキスして?今もキスして?……ってコトです、か?」
「はい、そうですよ。あれだ。ずっとね、好きだったんですよ。あなたのコト。結構もうね、ずっと前から。でもさ、俺には全然運命感じてくれなかったじゃん?」

 もう今更隠したってしょうがない想いをそのまま伝えてみる。
 流石の此奴こやつの瞳も、今は右往左往しているようにみえた。

「だって……」
「だから、何か壊したら運命も変わるかな?って試した次第です。あの日も、今も。はい……では、どうぞ?」
「へ?」
「あのね、俺、今し方あなたに愛の告白をしました。だから、お返事は?」
「うーん。ちょっと良く分かんない」
「だよね……」
「うん。だから、もっかいしてみる?」
「へ?」
「なんかね、ちょっとだけ来た感あるの」
「何が?」
「……運命。だから、もっかいしてみよ?さっきの……キス」

 此奴こやつはホントに流石だった。

「ははっ……ここまで来て、予想外とか……っつか、改めちゃうと、恥ずかしって……っ!!」

…………
……

 ずっと隣り合っていた此奴こやつと、今更向き合うのは恥ずかしい。
 でも、そんな俺の純情になんてお構いなしとばかりに、ひょいっと全部超えてきた此奴こやつに、今度は俺の言葉を塞がれてしまう。

「どうでしょう?」
「んー?もっかいかな?」
「はい、かしこまりました……」
「そうだね。もうちょっと、こう……」
「くくっ……こう?ですか?」
「あーはい、いい感じかと」
「……終わる?」

 繰り返すキスに、徐々に甘い空気が混じる。
 離れるのを惜しむようになっていく唇が、結局この関係を終わらせた。

「まだ……ってか……」
「ん?何?」
「終わらない」
「え?ずっとこのままキスしてるってコト?」
「馬鹿。違う……始めるってこと」
「何を?」
「運命」
「やっとですか?」
「はい。お待たせしました」
「はい。待ちました」

 唇が僅かに離れる度に、今までと同じような言葉を交わす。
 違うのは、その言葉が溶け合う程、お互いの距離が無いという点だけだった。

「運命もさ、こんなに近くに居たんなら、もっと早く教えておいて欲しいよね?」
「は?どの口が言ってんの?」
「うーん?この口?」
「知ってる。あんま悪口言うと、逃げられちゃうからやめて?」
「え?誰に?」
「運命……」

 待ち構えていた運命の歯車の中に、まんまと二人で飛び込んだ。だいぶ長い間、俺だけが待っていた様な気もするけども。
 まあ、この先ずっと、二人でこの歯車を動かし続けていければいいか。

「あんたってさ、たまにめっちゃロマンチックなコト言うよね?」
「だって、そういう奴が好きなんでしょ?」
「あっ、そうでした。よくご存じで……」
「そりゃあ、もう……」


花のシキサイ:第二話/【秋】空が落ちてくる瞬間
[了]

#創作大賞2023

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