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花のシキサイ:第三話【冬】その熱と後味と[恋愛小説部門応募/連作短編]

第三話:【冬】 その熱と後味と


 海の側の店は、もうとっくにやる気をなくして閉じている。
 それなのに店の外で虚しく光っている自動販売機はというと、ご丁寧にちゃんと冬仕様になっていた。
 俺は赤く縁どられた帯の上に飾られている、夏よりも甘ったるいミルクティーを選ぶと、出て来た缶はもう何年も温め続けられていたんじゃないかと思う程熱い。

 指先にヒリッとした痛みを覚え、思わず放り投げたくなったそれをパーカーのポケットに押し込むと、一人でいるのに思わず吹き出しそうになる。
 するとそれは手の平を返したように優しく俺を温め始め、なんだか今度は馬鹿にされている気がした。

 季節なんか知らないふりをして纏わりつく砂が跳ねても、それを感じ取ることはできなかった。

 スニーカーの先に波がかかる。

 等分に進む季節なんか、全く必要ないのに。
 ミルクティーは溜めこんでいた熱を簡単に冷ますことができるみたいで、もう掴める程には冷めた缶をポケットから取り出すと、それをしばらく握り締めていた。

…………
……

「ちょっと!転ぶって!」

 違和感だらけの彼女の手首を握り締め、足首にピシピシと当たる砂も気にせずに進んだ。

「っはあ……たくちゃん?急にどうしたの?」

 彼女の歩幅なんて気にせずにここまで来たから、足元を砂に取られない様に走った彼女の息は上がっている。
 サンダルから出た親指に波の先端が少し触れて、俺はやっと安心していた。

「もうっ!海に来るなら先に言ってよ。あーあ。海にはこれ履いて来たくなかったのに」

 掴んでいた手首を開放すると、彼女はサンダルに何の遠慮も無く纏わりついた砂を一生懸命掃おうとしている。しかし、何だかフワフワしたスカートの裾は、彼女の意思に反して足首に絡みついてくるようで、そのせいで彼女がよろける度、素足にはまた砂が無遠慮に絡みついていた。

「そんな服、着てるからだろ?」

 彼女のお洒落に向け、精一杯の嫌味を放つ。すると彼女は不服そうな表情をうかべ、砂と戯れるのを止めた。

「何でよ?可愛くない?あっ、それとも私には似合ってないって言いたいの?」

 彼女はサラサラという音を立てて揺れる髪を指で掬って耳にかける。そのせいで、細いフレームが連なった耳飾りが揺れる。
 本当なら少し癖のある髪だし、ピアスの穴だって開いていないくせに。
 だから今日の彼女は他所の誰かみたいで、俺が彼女の問に素直な意見を述べるとしたら、そのお洒落は彼女に全く似合っていない。けど……

「別に?」
「じゃあ褒めてよ。ってか、急に海に連れて来ないで!」

 サンダルを汚さないことは諦めた様子の彼女は、少しスカートを持ち上げると、波打ち際と戯れ始めている。

「そんな風に言うけど、楽しそうじゃん?」
「別に?」

 彼女は俺の機嫌など気にもとめない。だから彼女はわざと俺の言葉を使って、自分の感情を隠すのだ。

「楽しくは、ないか」
「え?」
「フラれたんでしょ?」
「何それ?」
「ねーちゃんが言ってた。浮気されて荒れてるって」

 彼女は二つ年上。ねーちゃんの友達。
 俺からすると四つ年上の大学生と付き合っているらしいが、そいつに浮気をされたらしい。
 三日前、夕飯の時間になっても自分の部屋から降りてこないねーちゃんを呼びに行くと、「親友が浮気されて荒れてるから、後で食べる」と片手を振りながら追い払われた。だから、俺はこの人がフラれたことを知っていた。

「ほら、失恋したら海を見たくなるんでしょ?」
「えっ?だから拓ちゃん、急にここに連れてきたの?」
「そうだけど?」
「っは!……あはは……っもうっ」
「は?何で笑ってんの?」
「だって……くくっ……それは、海が見えないところに住んでる人の話でしょ?」
「え?そうなの?」
「そうだよ?ウチらみたいに、海から徒歩二分の人達は例外っ!」
「何だよ……」

 髪の毛を入念にサラサラにして、普段より背伸びしたようなお洒落をして出ていくのを見かけたのが今朝。
 誰と会うのかはすぐにわかったから、俺は友達との約束をドタキャンして、何時に帰って来るかわからない彼女を待っていた。
 もちろんストーカーの類なんかじゃない。直ぐ側に住んでいる彼女が自分の家へと戻るには、俺の家の前を必ず通らなければならないのを知っていたから待っていただけ。

 そして、俺の予想よりはるかに早く、夕暮れ前に帰ってきた彼女の姿を見て、俺は思わずその手首を掴んだ。
 だって絶対何かで見たんだ。「失恋すると、海が見たくなる」って。

「っはあ……おっかし。でも、ありがとね?拓ちゃん」
「なんだよっ!俺たちは例外なんでしょ?」
「もうっ!ホントに可愛いなぁ。心配してくれたんだよね?」
「別に?」

 本当は心配でたまらなかった。
 ねーちゃんに聞いた情報と、お洒落して出かけた彼女と、ぎゅっと唇を噛みしめながら泣かずに帰ってきた彼女の姿を見て。

「拓ちゃんに心配してもらう程傷ついてないから大丈夫」
「じゃあ、ちょっとは傷ついてんじゃん」
「っう……拓ちゃんのくせにっ」

 何でもない事の様に振る舞う彼女の眉が、普通に笑う時より下がっている。
 それは彼女が自分でも気が付かない程なのだろうけど、俺がどれだけその表情の変化をいつも追っていると思ってるんだ。

「悲しいのに、何でそうやって誤魔化すの?」
「拓ちゃんにはまだわからないよ……」
「俺だって……」
「なになに~?恋バナかい?お姉さんに教えてごらん?」

 僅かに表情を曇らせたのも束の間、彼女は直ぐ普段通りの表情を取り戻すと、いつも通りにふざけてみせる。
 彼女はいつもそうやって俺から距離を取り、その心には俺が入り込めないのだと強く教えてくるんだ。
 もう何年もそれにめげずに何とか食らいついていたけれど、去年の冬からどんどんお洒落で可愛くなっていく彼女を見て、俺はこの距離だけでも保てれば良いと思い込む努力をした。子ども扱いされたままでも、彼女に触れることが許されているままなら、その方が良いのだと。そう自分に何度も言って聞かせたりもした。

 それなのに……

 彼女より年上でも、彼女を少しでも傷つけるような奴と付き合うくらいなら、年下だって少しも傷つけるつもりがない俺の方が、その側に居た方が良いに決まっている。
 だから、俺はもう上から構ってもらうのではなくて、彼女を守ってあげられる隣に並びたい。

「お姉さんって言ったって、いっこしか変わんねーじゃん」
「え?高三と高一だから二個差でしょ?だいぶ違うよ」
「俺……今日誕生日だから。歳、いっこしか変わんない」
「やだっ!誕生日なのに何やってんの?」
「っ、そーじゃなくて」
「あっ!お誕生日おめでとう……おめでたい日に、なんかごめんね?」
「……」
「拓ちゃんイケメンなんだから、こんなオバサンじゃなくて可愛い子がいっぱい祝ってくれるはずだっただろうに」

「ねぇ、いい加減にしてよ?」

 そりゃあ最初こそ、「俺の誕生日なのに、彼女が俺の為じゃないお洒落をして出掛けた」という事実に、全く的外れな苛立ちを覚えていた。
 でも、この苛立ちはそんな類じゃなくて、永遠に埋まらないってわかっている、このごく僅かな年の差を、彼女がより埋まらないものにしようとするからで……
 吐き出す前に気持ちに蓋をされてしまったような、年の差だけで全てが始まるわけがないと釘を刺されたような。そんな気がして思わず大きな声が出た。

「えっ……と、ごめん?」

 何の悪意も無かったのに、急に俺に怒鳴られた格好になった彼女は、目を見開いたまま固まってしまった。

「違う、ごめん」
「あ~、拓ちゃんの誕生日忘れてたから?」
「別に?……別に、教えてないし」
「そっ……か。でも何かごめん。そうだ、プレゼント!」
「え?」
「だって誕生日今日なんでしょ?それに、心配してくれて嬉しかったし」
「そういうつもりで言ったんじゃないから」
「いーよっ!今日はもう間に合わないけど……そうだ、拓ちゃんの欲しいものは何?お姉さんが買ってあげる!」
「……まただし」
「うーん。何がいいかなあ?」

 俺の小さな呟きは聞こえなかったのか、それとも聞こえないふりをしているのか。彼女はまたサラサラの髪の毛を耳にかけてから、その掌を耳に当て、何故だか自分毎みたいにうずうずしながら俺の答えを待っている。

 でも、俺が欲しいのは物なんかじゃない。

 彼女には、俺との年の差が縮んだ「今」を、喜んで欲しい。
 「一歳しか違わないね」「ほとんど一緒だね」とか言って笑って欲しい。
 それから、自分のことを「お姉さん」と呼ばないで欲しい。

 ああ、知ってるよ。
 彼女の方が年上なのを、誰よりも気にしているのはこの俺だってことくらい。

「むかつく……」

 俺の心の中のそんな葛藤を気にもせず、自分が傷ついて帰ってきたことすらもう忘れたと言わんばかりの彼女にイラつく。

「え、拓ちゃん?何か言った?」
「あーもう。むかつくって言った!」

 俺はもう一度声を張り上げると、今度は彼女の手首をぎゅっと掴んだ。
 それが少しでも痛かったとしたら、その方が良い。
 俺より本当は背が低いくせに、ヒールのあるサンダルなんか履いている。そのせいで、彼女とほぼ同じ高さで俺達の視線が絡むと、いつも丸っこい形の彼女の目元が、更に大きく真ん丸になる。でも、俺はそれらを全部、無視することにした。

 そして、力任せに引き寄せた彼女の唇に、自分の唇を無理やり押し付けた。
 重なり合った唇に灯る小さな熱は、夏の気温よりも些細な温度だったと思う。

 その微細な発熱は、結局、彼女になんの痕跡も残すことはなかった。

…………
……

 身体の中を伝う熱は、口の中の甘みと同じ位の速さでなくなって、指先には冷たさしか感じなくなっていた。
 冷えていく指先がひりつく。熱過ぎても寒過ぎても同じ感覚になるだなんて、俺は痛覚まで馬鹿なんじゃないかと思う。

 あの時の最適解が、もし今出て来ても意味がない。
 あの瞬間、確かに彼女の鼓動の波は跳ねていた。
 でもその後、俺と彼女の鼓動の波は、同じ意味を持って乱れなかった。
 高鳴り、高揚して乱れている俺のとは違って、彼女のそれは、その場を取り繕うための最善を探して乱れていただけだったのだから。

 彼女はあの年上の浮気男とよりを戻した。そして、この冬が終わったら二人は結婚するらしい。

 人の記憶なんて都合良く出来ているもので、彼女があの後焦って並べ立てた言葉は、もう上手く思い出すことができない。
 でも、立ち去る彼女の後ろ姿を見送る時、握り締めた掌に指先が食い込んでくる感触は今でもありありと覚えている。

 飲み終えて冷え切った空き缶を両手で包んでみる。あんなに熱を溜め込んでいたはずなのに、今どんなにこれを握り締めても、もう二度とあの熱は再現されない。きっと俺が捨てた後、他の沢山の缶と共に灼熱で溶かされる瞬間まで、あれだけ帯びていた熱を忘れたままでいるつもりなんだろう。

 夏より甘ったるいミルクティーの後味は、しばらく口の中に残ったままだった。


花のシキサイ:第三話/【冬】その熱と後味と
[了]

#創作大賞2023


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