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なぜ登山道整備の事業化を考えたのか【その3・キーパーソンとの出会い】

前回までは私自身が登山道の活動を始めたきっかけや登山道の課題について書きました。
今日は一般社団法人北杜山守隊立ち上げまでのお話です。
つくづく私は出会いに恵まれていると思っています。
最初の構想では、活動を育てて一般社団法人化するのは、活動を始めた3年後、つまり2024年夏頃かなと思っていましたが、まだ2024年の夏は来ていません。
出会いの連鎖によって、3年ぐらい早巻きで事業が進んでいます。


○大雪山・山守隊、岡崎哲三さんとの出会い

北杜山守隊設立を語る上で、なくてはならない人物が、北海道の大雪山国立公園で四半世紀以上に渡って登山道の保全に取り組んでいる岡崎哲三さんです。合同会社北海道山岳整備、そして一般社団法人大雪山・山守隊の代表でもあります。

そう、「北杜山守隊」の名称は、岡崎さんに頼んで「うちも山守隊を名乗らせてほしい!」とお願いしたのです。
それぐらい切っても切り離せない存在です。

そしてこの岡崎さんの出会いを作ってくれたのが、北杜市との包括連携協定を締結したTHE NORTH FACEの担当者さんでした。
THE NORTH FACEを展開する株式会社ゴールドウインさんが、知床国立公園で岡崎さんと登山道の保全活動をすでに始めていたのです。

北杜市でもぜひ一度招待をして学んでみてはどうかというご提案をいただき、THE NORTH FACEさんの費用で招待をしてくださいました。
このあたりが包括連携協定の強みでもあります。

2021年7月。
まだまだ新型コロナウイルスのパンデミックの影響が色濃い状況ではありましたが、マウンテンタクシーの運行開始の直後に、立て続けに登山道整備関連のイベントを組みました。
このときは北杜市役所の観光課の職員を始め、本当に多くの市役所職員の力があって実現できました。関係者の皆さまには感謝の言葉しかありません。

座組としては、地域の有志のグループが、北杜市とTHE NORTH FACEの後援でイベントを実施するというものにしました。やはり地域の理解がなければ何も進みません。北杜市には2つのユネスコエコパークがありますが、このときは南アルプスユネスコエコパーク地域連絡会という、北杜市の住民が主体になったグループを主催にして開催しました。この地域で生まれ育った、いわゆる長老のような方も所属する組織ですが、ありがたいことに全面的に応援をしてくださったのです。七丈小屋の人がやるなら一緒にやろう。この最初の理解がなければ、全く違う展開になっていたでしょう。

北杜市長、株式会社ゴールドウイン事業本部長、エコパーク地域連絡会会長によるあいさつ
岡崎哲三さんの基調講演

岡崎さんの講演はワクワクしました。
そしてこの時初めて、「何のために整備を行うのか」ということについてようやく知ることができたのです。「歩きやすい道にする」、ではなかったのです。今までになかった視点。それが「近自然工法の発想」でした。

翌日はフィールドに出て実際に作業を体験することになりました。
実施した山は北杜市白州町と武川町にまたがる標高888mの中山でした。

岡崎さんの本当にわかりやすい解説
資材は周辺の倒木を活用
70歳を超える地域の皆さまはまだまだ現役!!「かけや」の振り下ろしがカッコいい!!

この時初めて近自然工法の発想で登山道を補修していくことを体験しました。これが事業化の最初のヒントとなりました。
体験した感想は「楽しい!」でした。
そしてすぐに、これはしっかり作り込めば、いわゆる「登山ツアー」と同じように有料開催ができると直感しました。

4ヶ月後の同年11月、早速再び岡崎さんを招待して、今度は北杜市が主催する形で、テストケースの有料イベントとして開催しました。
参加費は2000円。北杜市産のお米で握ったおにぎり付きでした。本当はそれ以上の価値があると思っていましたが、さすがにそこまでの理解はまだ得られませんでした。

結果として20名の枠に、たった2日間で40名を超える参加申し込みがあり、一週間以上あった応募期間は早々に締め切ることになりました。
「有料でも人が集まる」という認識を、このとき初めて行政とも共有ができました。

岡崎さんによる解説
作業を終えて記念撮影

○設立メンバーとの出会い

実はこのイベントに、のちに北杜山守隊を一緒に立ち上げた小林太一が参加していました。
小林は山梨県北杜市白州町生まれで、幼少期から甲斐駒ヶ岳の元で育ちました。生粋の地元っ子です。そして彼の父親はあの「白州」で有名な、サントリーの白州蒸留所で森林管理を担当していました。職歴も都市銀行から農業ベンチャー、地場産業の経営にも参画する典型的な切れ者です。

いい写真がなかったので北杜山守隊ホームページから。太一ごめん!!

その彼が、同級生の山部晋矢を中山の施工現場に連れて行ってくれました。山部も山梨県北杜市白州町生まれ。小林とは保育園からの同級生で、白州中学校時代は、山部がピッチャー、小林がキャッチャーのバッテリーを組んでいました。甲斐駒ヶ岳の麓に本社を置く、有限会社山栄建設の3代目で、公共事業の他、倒木などを活用した薪事業やキャンプ場施工など、地域資源を活用した事業も展開しています。

話はそれますが、この山部は北杜高校時代に、夏の甲子園の山梨県予選であの山梨学院高校に投げ勝った男として地元では有名ですw

大雪山を一緒に視察に行ったときの写真

ある日、この2人が私を訪ねてきてくれて、一緒にこの活動をやりたいと話してくれたのです。

組織作りができる人と技術を持った人。
登山道保全を担う団体を立ち上げる上で、なくてはならないキャラクターが一度に揃ってしまったのです。しかも地元生まれ地元育ち。毎日甲斐駒ヶ岳を見上げて育った2人。私よりも遥かに「自分の山」として地元の山が存在する2人。

当初は一緒に設立する人を探すのに数年かかると思っていました。
しかし何ということでしょう。一度に揃ってしまったのです!
こうなったらやるしかないですよね。
2021年12月に会いに来てくれて、そこから事業構想などを練り上げて2022年4月に一般社団法人として登記し、一般社団法人北杜山守隊が誕生しました。

今回はここまでにします。
最後までお付き合いありがとうございました!
次回は事業化の要である「登山道保全ワークショップ」の造成について書いてみたいと思います。


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