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「大好き」を、思い出した

投稿は1日空きましたが
私的には大満足というか、なんというか……でございます。
「言葉を捏ねたり混ぜたり積んだり引っこ抜いたり崩したり」することが私の求めるところのもので、喜びであり楽しみでもあるのだと再確認しまくりました。

何をしていたのかといえば、とてもシンプルで
「翻訳」です。
英→日の、専門分野外の、翻訳。

私の専門分野は理系になるので、かくほうも読む方も同じ「正確に伝達できること」を考えて書いているのでそんなふうにはならないのですが、通常の読み物とか、今回きちんと翻訳してみようと思ってみたタロットの解説書なんかは、言葉の示す枠の違いを痛感させるような表現に満ち満ちていて、めちゃめちゃ、面白かったのです……あれ、この言葉が言いたいのはきっとこういうことだけど、でもこの単語の意味はこれで、えっとこの中でいい表現は何かな……? 類語辞典を見て、weblioを見てうーーーん???? はああああああ楽しいいいいいい!!!

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もうほんと脳内こんな感じ
嬉しくって楽しくて踊り出したいくらい

私の分野の文章は、言ってしまえば「論文」に準拠した感じになっていて、書くほうもよむ方も、ひとつひとつの言葉に関して、的の真ん中を全て射抜いていくような言葉選びの上で成り立っている文章です。

ひとつひとつの用語に「典型的な像」が与えられていて、皆がほぼ同じと思われるそれを想起しながら読む文章です。そしてそのように皆の見解がずれないように、と作られている文章です。

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かいてあったことは? って読んだ人みんなに聞いたら
みんな同じことを言えないといけないやつ


しかし、こういうタロット解説書みたいなやつは、まず、各人に共通の典型像っていうのが、厳密にコントロールされて共通化されているわけではないのです。むしろ、人によって読める内容が変わってくるのが当然だしそうあるべき文章です。これにおいて描出されているのは、固めた事実ではなく各々が自由に心に絵を描くこと、だったりします。

これ。
こういうやつを、あーでもないこーでもないって、色々試行錯誤しながら当てはめていくのが、とてつもなく、大好きなのです。


昔はこれを、いわゆる「韻文」で味わっていました。
「詩」です。
言葉で、自分の頭の中にあるイメージをできるだけ正確にかつ、受け止めた人が自分の心の中に自分なりの絵をかけるように書く文章のことです。


そうなんですよね。
伝えたいことや、描きたいものが明確にあって
それを伝わる日本語で書き上げること、って
そのまんま、私が詩をかいてゆく作業と2/3くらいは一致していた、のです


意外と盲点でした。


翻訳作業は好きだなって思ってたけど
ほぼほぼ専門のしかしてなかったから気づかなかったんですね。


ああ、私、イメージと言葉に潜っていって宝探しをしていくのが本当に大好きなんだな……なんて「ずっと変わらずに大好きでいたもの」をようやく見つけられた気分でいっぱいになっています。

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なんか、うん
「ここから始めるべき」なんだよな、って
自然にスィッと、思えました。


さて

これからの私は、何を書こうとするのでしょうね。
うぎゃあああと騒ぐくらい時間の取れない日々ですが
その中でもやっぱりこうやって、食らいつくように意地でもで
言葉と思考の海を呼吸することを、ほんの少しだけだとしてもできるだけ
日常に中にそめつけていきたいと、
いや、染め尽くしてやろうと、

改めて、古くて新しい野望を、手に入れた、のでした。


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ヒャッハー!!!楽しいぞおおおお!!!
祝杯だ祝杯だー!!

サポートいただけたらムスメズに美味しいもの食べさせるか、わたしがドトります。 小躍りしながら。