世田谷美術館北村民次(1894-1989)回顧展と私の驚愕な共通点
私は北村民次展を訪れて驚いた。キャプションや瀬戸の絵画、メキシコ先住民族の人権保護に関する作品に触れながら、北村と私には多くの共通点があることに気づいた。北村はメキシコの先住民の民主化運動に関わり、私の親類はグアテマラで無形文化財の保護に携わっている。どちらもマヤ族の国でもある。さらに、北村は帰国後に瀬戸を拠点にしていた。瀬戸はせとものの語源の場所であり窯業地帯である。実はミャンマー難民として品野町の粘土鉱山(川村素地)近くにモーン族の農園および農業サークルがある。私の研究フィールドの一つである。元々は地元民であるある東大林業学名誉教授の土地であり又貸ししてもらっている。ほぼ田舎の住宅地といっていい環境であるが猪が荒らすほど山が近い。高蔵寺駅から車ですぐの場所である。悲しいことに彼ら難民になったモーン族はトヨタの自動車工場に働いているもののトヨタという植民地産業に搾取されている。一人のリーダーは自動車工場の大怪我をしたが十分な社会保障がトヨタから与えられていない。時折、足の痺れや痛みで休むことが多く生活が苦しい。身体障害者としての手帳すら貰えていない。本人は私の心配事をお節介だと考えているようだが、先住民族に対する搾取の構造は大日本帝国時代とさほど変わらないと私は確信している。そのような憤りと北村が画面にぶつけてきた作品の魂と重なってくる。
私は彼らの窯業無形文化保護を研究しており、現地の情勢や私の金銭次第では瀬戸の空き工房で文化人類学私営博物館ないし文化人類学系私営美術館を経営したとも考えている。北村と私は陶磁器に対する共通の関心も持っていた。瀬戸の職人の絵画や絵本を北村は制作していた。ただし私は15の時に見た世田谷美術館のメキシコ絵画運動展に強い影響を受けてきた。スペイン人による虐殺を経験した彼らが近代に絵画で民主化運動と先住民の人権を求めて筆先に魂を画面にぶつけて制作してきた。先住民族の存在をモチーフにした絵画がたくさん描かれてきた。近年はメディアの発達により絵画だけではなくドキュメンタリー映画で社会を動かす作品が各国で制作されておりこの中には文化人類学の調査研究の手法になっている。メキシコ絵画運動は私の原点でもある。現在の私は当時のメキシコ絵画運動と検閲の厳しい情勢が似ているタイやミャンマーの芸術からとの交流をインスタグラムなどでしている。
これらの経験から、私は北村のことをしる瀬戸市民の誰かと互いに理解し合い、共創できるのではと考えている。もし瀬戸に住んでいる職人がいましたらコメントください。ご協力をお願いします。
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