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やさしさの種類と効能

土曜日、固定具から解放されました♬
保護100%から放たれた指は、うまく動かなくて、機械じかけの蝋人形みたいです。痛いし恐いし、ね。


ケガをして、世の中のやさしさを満喫しました。

■世の中は捨てたもんじゃない

タリーズコーヒーでは、注文すると「お席にお持ちしましょうか?お水はいりますか?」と聞いてくれる。
席について少しするとパタパタと来て、「お帰りの際は片づけないで、そのままにしておいてください」とペコリとして下さった。
ありがとう。この優しさ、綾波レイに分けたい。


お買いものでは、商品を取ってくれたり荷物を運んでくれたり。電車に乗れば、立っている人の特等ポジション『扉の横』を譲ってくださった。
「大変ですね、お大事にしてください」と見知らぬ人が話しかけてくれる。
ねぇ、アスカ・ラングレー。ここ日本なのに信じられる?

ケガや病気をすると、いつも見知らぬ世間の 優しさに触れる。捨てたもんじゃない。ほどよい距離感のやさしさに満ちている。

■医療関係者は何もしない?

左手指が使えないと、お財布を扱うのもひと苦労。
だけど、病院の看護師さんや窓口のスタッフさんのお手伝いは一切ない。処方箋薬局でも同じ。
おたおたしていても、お薬をかばんに入れるとか、手を出さない。


ゆっくり片付ける私を、急かすことなく、じっと待つ。混んでいても、まるで空気のようなあたり前の気配で。


手を貸してくれる優しさには、いつでもフォローできるように見守ってる、みたいなのを感じる。
医療関係者にはそれがない。もちろん実際は、必要ならフォローするはずだ。

プロの優しさだなぁと思う。

手を貸す、助ける、は親切だと思う。
親切をしない。
自助自立を取り上げない。ペースを押し付けない。そういう優しさ。手を出せば早くて、待つほうがよっぽどたいへんだろう。


■自己管理をサポートする優しさ

そういえば、
兄が緩和病棟に移ったときのこと。
強い痛みに襲われたらボタンを押すと痛み止め(医療用麻薬)が出るシステムだった。
ボタンを押すたび兄は、痛みの度合いとプッシュした時間を、病院から渡された用紙にメモしていた。時には、きつい作業だったと思う。


看護師さんによると、
「自分のことを管理している自覚は、生きる時間の感覚を守ること」だという。
自分の生を自己管理する。
ターミナル患者には、当りまえではないこと。


現に、退院した兄は症状が悪化したこともあり、私たちが管理してしまった。

兄はツラさも相まって、トイレ以外のあらゆる自己管理を投げだした。「麻薬どんどん打っちゃおうぜ」などと連打したり投げやりな行動にも出た。

最後に病院に戻ったとき、看護師さんから、どんなにギリギリでも…と、自己管理の意味を伝えられ、少し後悔した。

■どちらの優しさも大切

話しが飛んでしまったが、
つまり、思いやりだとか優しさというのは、いろんなカタチがあるっていうこと。


手を貸し親切にしてくれる優しさも、
手を出さない、待つ優しさも、
どちらも大切で尊くて必要だと私は思う。


ただ、そこに必要な優しさを見据えられるようでいたい。
完全保護で、蝋人形のようになった左の人差し指に、いま必要なのは、手を出さない優しさよね。自主自立・復活に向けて、少しづつ、リハビリをする。


なんだかいい発見。
これってケガの功名というのかしら。

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