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「子どもとクリスマスをどう迎えるか?」問題

【クリスマスストレス!?】

クリスマスストレス、なんていう言葉があるらしい。家族や親しい友人などに「今年は何を贈ろう」と思い悩むため、読んで字のごとく「クリスマスが近づくとストレスを感じること」なのだ。

【初めてのクリスマスは、、、】

一番初めに私にそれが訪れたのは、長男が生まれた翌年のことである。
クリスマスの3日前に生まれた長男とは、初めてのクリスマスを産院で迎えた。
よって、私が親として実質上初めて迎えるクリスマスは、彼が一歳の誕生日を迎える3日後となり、その際は11月ころからかなりソワソワした。

初めての子供には何かと慎重になりがちである。

わたしもそのうちの一人で、我家にとって一番最初の子どもとなった長男には「物よりも思い出をあげたい。」とか「喜びをたくさん感じられる人間に育ってほしい」などの思いから、クリスマスをどう過ごすか毎年悩んだ。

結果、彼が物心つく3歳頃まで、私はクリスマスプレゼントをあげてこなかった。

【『物』よりもっと温かいもの・・・】

しかし、息子が社会生活を送るようになると、保育園の先生から「◯◯くんはクリスマスになにをもらうのかな?」などと聞かれるようなり、本人もその意味をなんとなくわかり始めてきたので、クリスマスに関する本格的な方針を決めざるを得なくなってきた。

クリスマス=「『物』をあげるだけのイベント」にはしたくない。
一度物がもらえると物欲は止まらなくなると思ったからだ。
一方で、「サンタクロースはいる」と信じるような子供時代を過ごしてほしい。。。
ほとんど「親の憧れ」に近い思いでもある。

苦慮の末に「サンタはお菓子を運んでくる」というシナリオでいくことにした。

【舶来縛りに翻弄される】

お菓子は「物」ではないのか?という意見もあると思う。
ゲームソフトやおもちゃよりはなんとなく健全な気がして、これなら「物そのもの」ではなく「夢と思い出」をあげられるのではないか、と自分を納得させた。

サンタは北極圏からやってくるので、お菓子は当然、舶来物でなければならない。
故に、お菓子の裏書きに日本語が記載されていてはならない。設定にこだわったわたしは、その条件に合う代物を必死で買い集めた。

長男が4歳のときである。

ちなみに、このときには次男も生まれており、1歳であった。

悩みすぎて、何事も直前にならないと着手できない質である。
クリスマスイブの子供が寝静まった頃、夜な夜な起き出しボサボサの頭でお菓子をラッピングした。
仕上げにサンタクロース直筆の手紙を添えてクリスマスツリーの下にセットした。

【サンタを信じる我が子の笑顔、サイコーです♡】

翌朝。

白々しくも迫真の演技で「クリスマスツリーの下にプレゼントが置いてある!!!」と子供たちを起こす。

結果、、、

大成功!!!

目を輝かせて包みを抱きしめる、その可愛いことといったら♡♡♡
来年も、その翌年も、可能な限りこれでいこう!そう思った。

【時は流れ・・・】

あれから6年・・・。

4歳だった長男は10歳になり、小学4年生に。かなり疑いの眼でこの行事を眺めつつも、それでもやはりどこかでサンタを信じているようである。

次男は6歳で小学一年生になった。
更にはその下に娘も生まれ、彼女は現在3歳である。

6年前から変わったことの一つに、木造アパートからオートロックのマンションに引越したこと、があげられる。

そのため、「サンタが家に入れないのでは?」というシナリオ上の懸念事項がもちあがった。
そこでわたしは、「サンタが外にプレゼントを置いていかれるように」と、大きな靴下をベランダに吊るすことにした(もっともこんなことを気にかけているのは家の中でも私だけ、、、)

更にここ数年来の変化がもう一つある。

ベランダにぶら下げた靴下に「念のため、、、」とか小声でいいながら各々が「◯◯をください」というサンタへの嘆願書を貼り付けるようになってきたのだ。

その願いは毎年叶わず終わるのだが、その健気なさまや、プレゼントがお菓子だとわかりちょっぴりがっかりした子どもの顔をみるにつけ、ここ数年はわたしの気持が揺らぎ始めている。

しかし、これまで6年間、「サンタはお菓子を運んでくる」で通してきたのも事実。

「他の家はおもちゃをくれるのに、どうしてうちはいつもおかしだけなの!?」という抗議にも似た子供たちの疑問にも、わたしは頑なに持論を貫いてきたではないか?!

「そうか、かわいそうだけどそれは本物のサンタじゃないんだね。◯◯が言うように、その家のサンタはお父さんかお母さんかもしれない。
だって、本物のサンタはおもちゃなんてくれないんだよ。ましてや日本のおもちゃなんてあり得ない。」

こう言ってきた手前、いざ自分がサンタクロースの体(てい)で本人たちの望むゲームソフトやおもちゃをあげようとすると、辻褄が合わなくなってしまうのだ。

6年前に自分で描いたシナリオに、6年後の自分が苦しめらるとは、、、。

苦し紛れに、「コロナが収束して、サンタクロースも色んなところへ動けるようになったんだね!」などと煙に巻いたような言い訳で切り抜けようかとも考えてみたりする。

迷いに迷い、今年も結局、舶来物のお菓子を必死で集めて夜な夜な靴下に仕込む、という孤独なクリスマス・イブを過ごした。

【で、どうだった?】

翌朝。

長男がいち早く起きてベランダの靴下をチェックする。
その後、手際よくみんなのソックスを取り込み、きょうだいたちに手渡しては喜んでいる。
その上、
「おもちゃより、やっぱりお菓子の方が嬉しいやっ♡」なんて言ったりしている。
「スマッシュブラザーズがほしいです」とか「動物のロボットがほしいです」などと靴下に嘆願書を貼り付けていたのに、だ。

わたし、親として子どもに変な気を使わせている?

うーん、、、

来年あたりは、そろそろ本人たちの望むものをあげようか、、、

【なんだかんだ、やっぱり悩むクリスマス】

「きみたちにこれまで伝えてこななかった大事なことがある。心して聞いてほしい。

サンタクロースから欲しいものをもらうには、実は手紙を出さなければならない。

それには絶対厳守の締切があり、その日を過ぎたら決して届くことはない手紙となってこの世から消えてしまう。

更に恐ろしいことに、サンタに手紙を出したところで、望むものが手に入るとは限らない。

ある者には望んだプレゼントが届き、ある者には望まないプレゼントが届く。
また、ある者には「何も届かない」ということさえ起きるのだ。
どうだい、それでも出してみるかい?」

いや。
まて、まて。

それでは、今までのお菓子はなんだったのか、とならないか?

「それはね、、、。
お前たちのうちの誰か一人の靴下が空っぽだったときのことを思うと、母さんは不憫でならなくて、、、。
親の出した手紙にはサンタは必ずお菓子で答えてくれる。
だから、わたしはお前たちの親としてこれまでずっとサンタに手紙を送ってきたのだよ。」

おっ、完璧!!!

いや、まてよ。
ホントに大丈夫か?

だって、「サンタはお菓子」と決めた6年前の私だって、当時は「完璧!」と思っていたではないか。

もはや思いが強すぎて、もう何年も最適解にたどり着けずにいる。

とはいえ結局のところ、こんな風に誰かのために思案を巡らせ試行錯誤を繰り返せること、それ自体か幸せなのかもしれない。

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