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独身はサステナブルか?

本屋で『「選択的シングル」の時代』という興味深い本を見つけたので、購入して読んでみた。

著者はイスラエルの社会学者エルヤキム・キスレフという人物で、シングル、あるいは独身が現代では世界的潮流になっているとして、その可能性を後押しする著作となっている。

読み始めはそこそこ面白いというかいろいろ触発されて考えるところもあったのだが、ひたすらシングルを礼賛する格好で、イマドキの学者らしくエビデンシャルな話ばかりが続き、しだいに流し読みになっていってしまった。

著者は、結婚を選ぶ根拠の薄弱さやシングルの利点、シングルとして幸福に生きるための技法、さらには独身をサポートする国の施策に至るまでフルコースでシングルの可能性を説くのだが、ひとつ留保しておかなければならないのは、単純なことではあるが、彼がイスラエルの人間だという事実。イスラエルといえば、出生率がわりと高い国であり、その数字は3を超える。OECD加盟国では群を抜いて一番目である。

目下、イスラエルは戦争で子どもたちの犠牲が増え、痛ましい状況にあるのだが、これぐらい出生率が高ければ、放っておいても人口は増える、少なくともある程度維持される見込みにはあるわけで、この著作が戦争前のものであるとはいえ、こうした背景をふまえると、子どもをつくらない独身の生き方や権利を擁護する本書のような言説は、比較的衝突の少ないものであるといえる。著者がたとえば日本のような低出生率の国で学者をしていたら、少なくとも同じような穏やかさではシングルの権利を主張できないかもしれない。

あと、読みながら少し考えていたのは、シングルの欠点というものがあるとすれば、それは、まあたとえば30代後半とか40歳を過ぎたくらいで仕事がしんどくなるところかな、ということ。自分一人しかいないので、何のためにこんなに忙しく働いているのかわからなくなりがち。体もどんどん弱っていく(私はいま独身の29歳なので、半分想像で書いてますが)。

結婚していれば、「家族のため」という理由ができるが、シングルはそれがない。

結婚は人生の墓場というが、独身もやはりある程度はそうなのだと思う。自分のスタイル、やりたい趣味がいくらあるからって、それを一生死ぬまで、今だったら70年とか80年やり続けるのはむしろ難しい。自分のために生きるとはいっても、せいぜい30年もやれれば十分、というかそれくらいで飽きる(飽きてしまえば、あとは死せる生を無為に過ごすしかない)。

30年といえば、ひとはだいたいそれくらいの年齢で結婚をする。結婚をして、いわば「自分のために生きる人生」を卒業するのだ。自分のやりたいことを「制約」されるのではなく、やりたいことを好きにできるそれまでの人生から「解放」される。結婚にはそういう側面もあると思う。

訳者である舩山むつみ氏は、「あとがき」で自身の体験からこんなエピソードを紹介している。

就職してまもない20代の頃、30歳を過ぎた男性の先輩が上司から褒められたときのことだ。その上司は褒め言葉の最後に、「あとはお前も嫁さんをもらうだけだなあ」と言い、その場にいた人の多くが愛想笑いをして嫌な気分になった。その言葉が暗示するのは、男性は結婚して妻子を扶養しなければ一人前ではないということであり、逆に妻子を養ってさえいれば、有能か無能かは関係なく一人前だと職場でいばっていられる。同時に、女性は「嫁にもらわれなければならない」ことも暗示しているわけだ

『「選択的シングル」の時代』p.408

ありがちなエピソードで、今だったらこういうのもパワハラ(セクハラ?)になってしまうのかもしれないが、しかしここは多少穿って深読みしてみたい衝動にもおそわれる。

というのも、この一節を読みながら、この上司の言葉はむしろ優しさでもあるんじゃないかと思ったからだ。

30歳、40歳を超えてくると、会社でもそれなりの仕事を任されるようになるけど、それらは、家族を養うという動機がないと正当化しづらいものばかりかもしれないよと。別様にいえば、独身で、自分一人しか養う人がいない人間がやるにはしんどすぎる仕事ばかりになってくるよと。

もちろん、上司本人やその周囲がそういう機微を自覚したり言語化できていたりしたわけではないだろうし、実際自分も同じ状況で上司にそんなふうに言われたら、内心イラっと反発しかねないと思う。だが、あくまで一般論として、そして一般論だから最も強力なのだが、自分以外の理由を欠いた状態で、サラリーマンとして定年まで勤め上げるには、かなりの無理が必要ではないか。辛いときに家族の「せい」にできないのは、やはりしんどいのではないか。「あとはお前も嫁さんをもらうだけだなあ」という上司の言葉は、仕事大変、責任も増えて大変、でも養うべき家族がいる、安定した職位にもいないといけないよね、だからまあ仕方ない、頑張って乗り切ろうぜ!というノリが含意されているのである。

この長寿社会で、死ぬまでそれこそ70年とか80年自分本位で生きるのって逆に難しくて、どこかで利他とか無私の精神に転回していかないといけないんだと思う。現世とか自分の一生とか、そういう時間スケールを超えた何かに打ち込まないといけない。結婚すれば子育て、あるいは孫育てというかたちで次世代に繋げることができるが、独身は、自分の趣味が大事だからとか(資本主義下で)会社のために生きるとかは無理があると思う。結婚しないなら、哲学や宗教、社会事業、伝統産業など、時間的スコープを拡張した事柄に取り組む。決して「シングルでも自分らしく!」と強がってやっていけるほど生ぬるくはないんじゃないか。自戒を込めてそう思う。

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