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可能性が低いですか、それはすごいことに気づきましたね

こんにちは!MAIです。

久しぶりに映画「マトリックス」を見て、「答えがほしい、答えは望めば見つかる」というモーフィアスの言葉がありました。

流されるままにぼんやり生きていても、自分が生きている"答え"や”意味”みたいなものは見つかりませんが、"答え"がほしいと望み、自分なりの"答え"を書いた目標をたて、それに向かっていくにはどうすればよいか?という問いをもち、その答えを探しつづける人生を生きはじめたなら、答えが見つかる、というイメージが湧いてきました。

モーフィアスさんの言葉から、”自らに問いをたてて生きよ”、そのように聞こえてきました。

どんな人生を生きたいか、どんな目標をもつのか、自分はどんな存在でありたいのか?そんなことを考えてみたことはありますか。

MAIにはどでかい目標があります。恥ずかしいのでここには書けませんが、その目標の大きさから、目標たてた当初は・・・・赤面して布団の上でうねうねしちゃう!!レベルでした。今は刷り込みつづけてその目標を見ることに慣れましたけど。

いやいやいや、ありえへん、ありえへん。現実みよか。みたいな気持ちになることもしばしば。

そんなデカい目標なんて叶わないし、無理だよ、可能性低いよって考えることは、スムーズです。抵抗0で受け入れられます。ある意味で"イマ"の現実を見ている、という捉え方ができると思います。

何の変化も起こさなくていいから楽なんです。早くてらくちんに出る結論。

でも、かすかに、モヤっとする。

本音は、自分を変えていきたい、という気持ちはある気がする。何か目指したいという感情も奥底にある気がする。まだ具体的には言語化できていないし、人に言えないけど。

自分がそんなこと言ったら、周りに迷惑かかるかもしれないって思う。バカにされるかもしれないって思っちゃう。無理だよって言われるかもしれないと想像する。

でも、本当は、ないわけじゃない。

そして、次の瞬間でてくるのは、可能性を計算しちゃう自分だ。可能性低いよねって思う。今の自分を見てみろよって心の声が聞こえてくる。

葛藤感じるのがいい加減イヤになる。

でも、その葛藤は前に進みたいからこそでてくるものでもあるのです。もう素直に前に進みたい、夢を描いてみたい自分を認めて楽になりましょう。

可能性が低いということに気づかれたということは、すごいことに気づけたことではなかろうか、とMAIは思うのです。

それは、”ノビシロ”がでっかいね!ということです。ノビシロがたくさんあることを冷静に分析できてる、ともいえるでしょう。

そんなもんは、捉えかた変えただけじゃんってなるんですが、そうなんです。物事は捉え方次第でどうとでもなります。言葉だけで人生の解釈、自由自在です。

可能性が"低い"ことに着目しちゃいがちなんですが、その上で、それでも、なおなおなおなお、”ノビシロ”のほうに着目したい。

ノビシロに気づけたら、後は、それを淡々と、粛々と、コツコツと、埋めていく、量げいこを積めばいいのです。

60歳でパソコンをさわりはじめて、80歳こえてプログラマーになった方も世の中にはおります。

一生かけて目標に近づこうとする、この成長しつづける生き方が、消化不良感がなくて、燃えてる感があってイイんです。

最後に余談ですが、目標たてると、順番通りに達成していくからコレが不思議なんです。本当に小さいことからですけども^^



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