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半年でセミナー約60回したら依存症になった話

セミナーだぁいすき、MAIです^^

セミナー開催しようかな、とか、読書会開催しようかな、とか、勉強会開催しようかな、とか、要は「人前に立つ」のをどうしようかなって思ってるあなたに朗報です。

それ、依存症レベルで気持ちよくなりますよ、って。

MAIは、この半年間で約60回セミナーを開催してました!1ヵ月に10回、つまり3日に1回ペースです。

こんなにしゃべったことは恐らく今までの人生の中でなかったと思います。

何が起こったかって、セミナー依存症、セミナー中毒になったわけです。セミナーしてないと震えだす体になっていたといっても過言ではありません(照)

もっと(話す場所を)ください、と。

もちろん、これはイイ意味でしかありません。MAIのぼぢてぃぶ解釈装置がそう変換しました。

何がいいかって、「逃げられない」点です。逃げられないのがイイんです。たまらないんです。

書くこと、というのは逃げることができます。ブログ書く、SNSで文字を打つって基本的には推敲できます。入れ替えたり、構成変えたり、言い回し修正したり、上から見直して矛盾を潰したり、しっくりくるまで書き続けることができます。

一方で、話すということは、逃げられません。話した瞬間その場で修正できても、しっくりくるまで修正しつづけるということは基本しません。またその場から立ち去ることもできません。話し終わるまではボールをもったままゴールを決めるまで臨場感の中にさらされ続けます。

この臨場感は、指揮棒をもったマエストロみたいな感じでしょうか。マエストロになったことがないのでわからないのですが、ヴァイオリンの発表会や多分マイクにぎったジャイアンみたいな気分です。

気分もそうですが、何がいいって、逃げられないからこそ、気を入れて準備をせざるをえない状態に自分をおくことができます。

誰に話そうかな、何話そうかな、どんな流れで話そうかな、どんな言葉使おうかな、どんな感情をのっけようかな、身振りは入れようかな、わかりやすいかな、説得力あるかな、話し方はどんな風にしようかな、スピードはどうしようかな、どんなトーンにしようかな、間の置き方はどうしようかな、例えば話はどうしようかな、ここで笑ってみようかな、これを聴いたらどんな気持ちになるかな、伝わるかな、

こんなことを考え続ける状態になります。

そのとき必ず通る道が、何を話そうか”言語化する”ということです。

言語化すると、自分が何を知っていて、何がわかっていないのか、改めて気づくことになります。

はたと気づくのです、知っているつもりで自分がいかにわかっていなかったのかということを。

さらに、セミナー後、話した相手に質問されて、うまく答えられなかったとき、

はたと気づくのです、他者の視点で自分がいかにわかっていなかったのかということを。

自分がわかっていなかったところ=ノビシロに気づいてしまうのです。

この状況を強制的に発火させるシステムが”セミナー=人前で話す”ことにはあります。自分一人では真剣になれなかったことも、人がいると真剣になれます。

そんな真剣にならざるをえない状況に自分のことをずっと自分をおきつづけたら…

成長するしかありませんね。

変わるしかありませんね。

つまり、やったらやった分だけ自分を作り変えれるシステムです。

どんなに変わろうと思っても中々変わらなかったのに、人前で話しつづけるだけで変われる(嬉)

そんなことに気づいてしまって以来、MAIの中でセミナーとは、

道楽道場であり、快楽装置であり、強制言語化システムであり、文脈拡張ツールであり、ノビシロ発見機であり、不足インストールボタンであり、依存薬であり、

いいことしかないかないプレイなんです。

開催の仕方からコンテンツづくり、話し方、組み立て方まで、言語化してきたので、こうして発信するに至りました^^


余談ですが、セミナー開催するとき、Zoomであっても立ちながら話をするのですが、上半身の身振り手振りが回数を重ねるごとにアクロバティックになっていっているような気がします。

そのうち画面から飛び出る3Dセミナーできたらいいな。さだこみたい(笑)

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