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病院に行ったら4時間後に内臓一つなくなった話

数年単位で定期的に差し込むような腹痛症状がある方に是非読んで。自覚症状の説明、入院から退院までの体験記(1万文字以上)は全て無料です。

これは長年にわたって続く腹痛を自己診断で逆流性食道炎と決めつけて、医者にも行かずに放置した結果、気腫性胆嚢炎というレア度高めの重症急性胆嚢炎を引き当ててしまい、胆嚢を失うことになってしまった馬鹿ものの物語である。

入院から退院までの体験記は全て無料です。
お金のこととちょっとグロい傷跡などの写真が最後に有料記事となっています。(2022/11/02 手術写真追加)

8時に朝食食べて
9時に腹痛を起こして
10時に病院に行ったら
11時に急性期病院に行けと言われて転院し
13時に入院を宣言されて
14時に緊急手術して胆嚢摘出したけど
一週間後の15時に再手術して、
10日入院した話です

まずはここに至る経緯から説明したい。

始まりは数年前

そもそもの発端は数年前のことである。
わたしは年に数回、なんの前触れもなく突然やってくる、のたうち回るような胃の痛みと戦っていた。
それは慢性的な痛みではなく、ある日いきなりみぞおちあたりがギューーーと痛むのである。まともな思考が出来ず、ただベッドに横になって腹を抱えてうんうん唸って痛みが治まるのを待つくらい。
ものは試しでガスター10を飲んでみたら、大体10分から15分くらいで痛みが嘘のように消えて無くなった。

以前行った伊勢でも一度その発作のような痛みが起こってしまった。長期旅行に備えて常備薬としてガスター10を携行していたから、無事にやり過ごすことができたのだ。

以来常にわたしはどこに行くにも必ずガスター10を持ち歩くようになったのだが、痛みの発作はせいぜい多くて年に二回程度のことだった。

謎の激痛が追加

が、2022年6月、いきなり痛みは変異して襲いかかってきた。

6月の中頃、適当に夕飯を済ませ就寝したのだが、ふと夜中に目を覚ます。
トイレに行きたいわけでもないのに、夜中に目が覚めるとはと不思議に思いながら再び眠ろうと目を閉じたら、みぞおち辺りに鈍い違和感がある。
あぁまたいつもの胃痛が始まるのか。
うんざりしながらガスター10を取りに薬箱があるリビングへ。
早めに飲むべきかとタイミングを計っていたところ、いきなれそれがやってきた
胸痛である。
脇腹から肋骨にかけて大蛇が巻き付いてギリギリと一気に心臓を止めるために絞り上げられているような、今まで感じたことのない激痛である。
痛みのあまり呼吸が出来なくなるということを、始めて体験をした。
そう息が出来ないのだ。息を吸っても吸っても、肺に酸素が行き渡っていないような感じ。痛みが強すぎて、正しい呼吸の仕方がわからなくなっていく。
なんとか痛みを伴わない呼吸法を探ろうとハッハッと短く喘ぎながら、痛みの合間を縫って呼吸を試みるのだが、なんともならない。

心臓が止まるのか?狭心症の発作?なんだこれ?
激痛だと思っていた胃痛の痛みを遙かに凌駕した、キングオブ激痛である。

よろめきながら台所にたどり着いて、コップの水でガスター10を流し込む。
薬が効かなければ、心臓かもと嫌な想像ばかり浮かんでいく。そういえば祖母もよく夜中に心臓発作を起こしていたっけ。

脂汗を流し、歯を食いしばりながら、
肋骨を締め上げる痛みに耐えること15分。
胸痛が収まり出すと同時に胃痛もすーっと何事もなかったかのように引いていった。

ガスター10が効いたなら、やはり逆流性食道炎か胃痙攣とか胃痛かなぁ。

ネットで逆流性食道炎を検索し、以下を注意して生活することにする

・とにかく脂っこい食べ物を控えること。
・お腹いっぱい食べないこと。
・食後はすぐに寝ないこと。
・就寝時は左側を向くこと。
・胃の調子がいまいちだなと感じたら太田胃散を飲むこと。

8月も二回ほど、同じような胸痛を伴う胃痛発作が起きたのだが、
慣れというのは恐ろしい。
ヒッヒッと脂汗を流し、浅い呼吸で激痛に耐えながら、どうせガスター10が効くのだしそのうち痛みは治まるからと、震える手で物は試しで血圧を測ってみることにした。
単なる好奇心である。

そこで私はとんでもない数字を見ることになった。

血圧205

……どういうこっちゃ?

そして激動の9月に突入する

9月28日は私の誕生日である。

誕生日をどう過ごそうかと浮かれたスケジュールを立てる前に、
1日鼻水が出始め
2日喉の痛み
3日発熱からのコロナ陽性判定
といきなりコロナ療養スタートという、悲惨な誕生月の始まりになってしまった。

39度近い熱が3日ほど続き4日目から6日目くらいは喉の痛みに苦しみ、以降は後遺症で嗅覚、味覚を失ってしまったのだ。だが、なんとか重症化せずにコロナ自宅療養期間を終える事が出来た。

味覚嗅覚を失ったら、誕生日ディナーも美味しくないなぁとがっかりしながら、月見バーガーが始まったマックに行ったのが9月15日。

食後、13時、いつもの通り胸痛を伴う胃痛が始まる。もう慣れっこになってきた脂汗を浮かべながら痛みに耐え、ガスター10を飲む。痛みは15分後に引いたのだが、この日はこれまでとは違う事態が起きた。
なんと15時、激痛再来。

短時間に2回の胃痛の発作。これは初めての経験だった。
明らかに異常である。ガスター10が効いていないという事になるのだ。
そんな馬鹿な。頼みの綱の無効化に愕然とする。

これはいよいよ心臓か?血圧は相変わらず高く198。
自己診断では不味いレベルに来たのかもと、ここでようやく自覚した。

痛みの波が引いた頃に、バスに乗って、コロナ発熱外来で訪れた病院に向かう。
診療受付終了時間10分前に病院に到着して、白髪のおじいちゃん先生に診察をしてもらう。

心電図検査をしたが、異常なし。症状を説明するとやはりおじいちゃん先生の診断も逆流性食道炎であろうということで最強の胃痛薬のタケキャブを処方してもらう。

最強の胃酸分泌を抑える胃痛薬と思っていた、h2ブロッカーガスター10は、カリウムイオン競合型酸ブロッカータケキャブの前では弱々薬になるらしい。
確かにそんな強力な胃痛薬を市販するわけがないか。
良く効くから大丈夫だよ。1週間は飲み続けるように、その後は痛みを感じそうなら飲んでねと、薬効の太鼓判をもらって帰路につく。

9月18日
コロナ快癒後は毎朝シナモンのスパイス瓶で匂いチェックをしていた。この日は遠くにうっすらとシナモンの匂いを感じることができた。ちょっぴり味覚と嗅覚が戻ってきた気がするので快癒祝いと英気を養うために食べ放題を楽しむことにした。
柿安ダイニング上海ビュッフェである。

野菜メニューが豊富で、味が好みでもあった柿安ダイニングビュッフェレストラン「三尺三寸箸」は残念なことにコロナ禍の間に全店閉店してしまい、現在はららぽーと船橋の上海柿安しか残っていない。

食べ過ぎないように注意しながら、久しぶりのビュッフェを楽しんだ。
食べ過ぎてちょっと胃散がたくさんでても私には最強のタケキャブがある!と謎の自信を持っていたのだ。

だが、そのタケキャブへの信頼は翌日裏切られることになる。

運命の9月19日、さよなら胆嚢

8:00
朝、昨日は食べすぎたからなぁと大さじ3杯のグラノーラにカップヨーグルトを半分かけ食べた。

9:00
いつもの痛みが訪れる。脂汗が浮かんで、呼吸できない激痛も4回目となればいい加減慣れてきた。呼吸が浅かろうが、肋骨が締め付けられようが、胃が痛もうが、薬が効いてしまえば屁でも無い。
大丈夫私にはタケキャブがある。食後に飲んだしすぐに痛みは引くだろう

ところが痛みは引かなかった。いつもなら15分くらいで引いていく痛みが30分、40分過ぎても引かないのである。むしろ症状は悪化している。

タケキャブ効かねーじゃねぇか!

10:00
相変わらずの脂汗。流しすぎてこれもうただの汗じゃないだろうか。よろよろと診察券とバッグを持って家を飛び出して、流しのタクシーを捕まえて乗り込んだ。
バスを待つ余裕がなかったし、バス停から病院まで歩ける自信もなかったからだ。

本日の外来担当医は先週とは違うT医師だった。
T先生は先週のカルテ内容を確認しながら、診察台に横になるようにといった。
腹部の触診だった。

おもむろに右肋骨下辺りを抑えられた時、オェェェェェと痛みとも吐き気ともなんとも言えない感覚に「そこ無理ーー」と口からでた。
みぞおちではない場所が痛んでいることを、この日わたしは知った。
T医師は難しい顔をしながら数度押さえた後に「あぁこれは石が詰まってるねぇ」と呟いた。

石??石……へっ石?腎臓結石?みたいな?

前回診察してくれたO先生が処方したタケキャブが効かないことと、肋骨下あたりの痛みからT先生は胆管結石と診断し、卓上電話の受話器を取りどこかに連絡をはじめた。

「今からそっちに行ってもらうけど、急患です。すぐにエコーできますか?多分胆石。救搬扱いでお願いします」
総合病院への転院連絡だった。

受話器を置いたあとは、救急車はいらないかな?タクシーで行ける?
と矢継ぎ早に尋ねられた。
救急車?!!と聞いて、焦りやら申し訳なさのあまり、いや、歩いて行けますと返事したのだが、先生は苦笑しながらそれは駄目だよタクシーでいきなさい。乗り場はすぐそばにあるからと両手で私の手を握ってくれて諭すように教えてくれた。
私の拳はぎゅっと握られたままだった。
痛みをこらえるために握りしめ続けていたらしい。

大丈夫。もう大丈夫だから。痛くて脂汗が出るのはね。異常なんだよ。それは救急車を呼ぶレベルの痛みなんだ。よくここまで来ることが出来たね。頑張ったね。

ひええええええ、これが、このくらいの痛みが救急車呼ぶ痛みだったのか!

そりゃね、少しはちらっと思ったのよ。救急車を呼ぼうかなって
痛すぎて、歩けないし、呼吸はできないし。でも死にそうな痛みには思えなかった。
過労で仕事中にぶっ倒れた時も、頭痛があまりにも痛すぎると吐くということを知った髄膜炎発症の時も、幼少期ブランコから落ちて無人のブランコの座板が天から落ちてきて脳天直撃して頭部大出血したときも、救急車は呼ばなかった。
しまったまた救急車に乗るチャンスを失ってしまった!
いや、まぁ自分で病院にたどり着けるのならその方が良いんだけどね。

11:00~
というわけでわたしは急患を受け入れている高度治療可能な総合病院に転院することになった。
ちなみにこの日は台風14号直撃日。土砂降りの雨と小雨を交互に繰り返す天気だった。天候不順日でタクシーはなかなか捕まらないし、道も渋滞気味だ。転院先は昔友人が足を骨折したときにお世話になった病院だったので場所はよく知っていた。歩いて行こうかと本気で考えはじめた頃なんとかタクシーを捕まえた。

事前の連絡と紹介状のおかげで救急搬送扱いの私は病院到着後すぐに医師が待つ診察室に入ることができた。
症状をもう一度当直医師に説明すると、腹部の超音波エコーをし、CT検査をすることに。
徒歩で行けますと訴えたが、途中で倒れたら大変だからと車椅子に乗せられて検査室に移動した。

この頃には痛みのピークは過ぎていて、10を最大値とするのなら、会話が出来るくらいの痛み3くらいに落ち着いていたのだ。倒れることはないだろうと思いつつおとなしく車椅子に収まる。

CTは巨大なドーナツのようなような形をした機材であった。寝台に万歳状態で寝転がり、輪っかをくぐる。
息を吐いて、止めて下さいと機械のアナウンスが流れる。
ドーナツ機材にcanonというロゴを見つけてしまい、精密医療器具も作っているのだと感心した。

検査後は救急外来の待合室に戻り、検査結果を待つことに。
コロナ対策のためか、開放された診察室の扉の向こうから不穏な気配がしてくる。看護師はバタバタと歩き回り、医師らしき人が増えているのだ。真剣な顔で何かを話し合っていた。

不穏な単語が耳に飛び込んでくる。

「外科のK先生いる?…じゃ○○先生と連絡つき次第……入院…ナースステーション…手術…」

……入院???外科?
待合室を見渡す。
私以外に二組の患者がいる。どちらも真剣なまなざしで宙を見つめている。痛みの度合いは外見からはわからない。誰のことだ?
まさかなぁと思っていたら、名前を呼ばれた。

診察室には最初の当直の先生とは別の先生が座っていた。
外科医のKですと自己紹介。さっき聞こえたK先生だ!
トライアスロンでもやっていそうながっしりとした体格の、日に焼けた、ロバート秋山と並んだら体格兄弟として認定されそうな医師だった。
先生は数枚のプリントアウトした書類をわたしに見せながらさわやかに言った。

「ノダさんは今日手術して、そのまま入院です。」

……嘘やろ??

寝耳に水とはまさにこのこと。
ただお腹が痛くて病院に来ただけなのに。
手術して入院とはどういうことだ?

3人の医師と看護師に囲まれて、CTスキャンと超音波エコーの画像を見ながら、わたしの体の中で起っていることを医師が各専門分野の立場から説明をしてくれた。

ノダさんの左腎臓は血栓ができていて機能が著しく低下しているが、恐らくこれはコロナの後遺症です。これはこれから何が起こるか判りません。コロナの後遺症血栓はまだまだわからないことが多いのです。
恐ろしい単語を含んだ、なんとも理解不能な説明が最初にさらっとされる。

血栓…そうか石というのは腎臓結石のことなのかと思ったら
腎臓はこのまま経過観察になりますと、あっさり流された。
腎臓ちゃうんかい!
コントだったら間違い無くツッコミを入れていた。

次は椅子に座るK先生からの説明が始まる。
問題は胆嚢です。空洞があっちこっちに胆嚢内にあって、石があり、炎症を起こしています。話を聞くと何度も炎症を繰り返しているようなので、肝臓に癒着しているかもしれない。
痛みの原因はこれなので石と胆嚢を摘出します。
腹腔鏡手術で行います。穴を三カ所、切除した胆嚢を取り出すため少しお腹も切ります。
癒着具合によっては肝臓の一部を切除する開腹手術になります。そうなるとちょっと痛いです。出血が多い場合は輸血の可能性も出てきます。
輸血大丈夫ですか?

胆嚢摘出、腹腔鏡手術、癒着、開腹手術、輸血、
普通に生活していたら聞くことがない単語のオンパレードだ。
そして医者のちょっとは一般人のちょっとどころじゃない痛みに値する。

休日の今日は、手術スケジュールがないけど、運良く麻酔医師とスタッフが全員揃っていたそうで、明日からは手術スケジュールが埋まっていて、手術は早くともシルバーウィーク明け一週間後になってしまうから、早いほうが良いので今日手術しましょうとのことだった。

痛みのピークが引いたわたしはただ椅子に座って先生の怒濤の説明に頷くしかなかった。
多分、もう少し冷静で、もう少し痛みが弱かったら、ちょっと持ち帰って考えてみますと言えたのかもしれない。
でも、この激痛は薬でどうにかできる段階ではないと自覚があった。
それでも手術になるとは予想だにしなかった。

この時の状況を、同行してくれた友人に後から聞いたところ、先生は破裂の可能性がある状態だから、緊急に手術を行わないと開腹手術になり命の危険があると言っていたらしい。

言われるがままに、数々の手術同意書にサインをしていく。

病状説明同意書
輸血および血漿分画製剤使用同意書
看護計画同意書
手術同意書
手術着のレンタルと各種アメニティレンタル一日分申込書

手術には家族の同意が必要だったような気もしたが、そんな書類はあっただろうか…あまり覚えていないが、とにかくひたすら名前と今日の日付をサインし続けた。
生年月日を書かなければいけないところも全部今日の日付にしてしまった。
書類上0才児のわたしが爆誕していたことを後で教えてもらう。

摘出か。他に何か方法とか無いのだろうな。せっかくわたしの体の中でわたしと一緒に育ってきたのに、ごめんな胆嚢。こんなところでさよならすることになるなんて。
もっと大事にすればよかったな。
生まれてこの方見たことも、意識したこともない胆嚢くんとの別れが辛くて、サインをしながらこの時一瞬だけ涙が出そうになった。緊急手術への不安もあった。一滴でも涙をこぼしたら、多分号泣するだろう予感があったのだ。だからぐっと堪える。
別れを惜しもうにも1時間後に彼はわたしから永久に離れてしまうのだ。

バイバイ胆嚢くん。いままでありがとね。

そういえばおばあちゃんも胆管破裂して死にかけてたよなぁ。あれ何歳のことだったんだろう。とかそんなことを手術着に着替えながらグルグル考えていた。

手術までは時間があるので、入院生活に必要なものを友人に伝えた。

前開きのパジャマと下着3枚
歯磨きセット
バスタオル
タオル
スマホ充電器
ケーブル
S字フック

まずは当面これだけあればなんとかなるはずだ。
じつはわたしは入院は4回目である。過去三回のうち手術を伴った入院は学生時代の盲腸手術の時のみ。

しつこいぐらいに前開きパジャマを購入することを伝えた。

最近の外科手術は三泊四日くらいの短期間だ。
病院はレンタルを勧めてきたが1日800円~1,000円の費用がかかる。入院が何日になるか判らないのでここは少しでも節約していきたいところ。
パジャマは丁度新調したかったのでユニクロで買ってきてもらうことに。

コロナ対策のため、現在は面会制限されている。
友人と次に会うことができるのは退院した後だ。

荷物の受け渡し方法はナースステーションに預けてもらい、それを受け取るということで、必要な物を入手することが出来る。

13:45
紙パンツ、膝上ガウン風手術着に着替えると、医療用ホワイト着圧ソックスを看護師さん二人がかりで履かせてくれた。
友人に今日来ていた衣類を渡し、一応最後の挨拶をする。
あり得ないとは思うけれど、万が一にも還らぬ人となったとき、実家の母への連絡をお願いした。

手術室がある3階へ、痛みは殆どなかったので看護師さんと一緒に徒歩で向かう。
その頃には救急外来患者は人数が増えていた。待合室には10人以上いた気がする。
防御力が薄いペラペラガウン手術着と紙パンツに白いソックスだけという、若干変態じみた出で立ちで堂々と待合室を通り抜けていく。さすがに恥ずかしかった。おとなしく車椅子に乗れば良かったと後悔。

銀色の手術室の扉の前に来ると、あぁ医療ドラマで見たことがある景色だ!と都会の医療設備に感動した。手術スタッフさんの自己紹介の後、どうぞ、どうぞと奥の部屋へと誘導される。
あぁなんか見たことあるぞこの光景。

メイドインアビスのボンドルド編、祈手たちに解剖台に乗ることを促されるプルシュカの場面だ!

縁起でも無いことを思い出してしまってうんざりしながら手術台に横たわった。

14:10
酸素マスクを付けられる。
息を吸っても吸っても眠くならない。

全身麻酔手術をする患者が必ず思うことがこれだ

麻酔がかからずに手術始まったらどう……

そして、考えている途中に意識が途切れてしまう。

16:40
予定通り、二時間半ほどで手術は終わったらしい。
これは後から知ったことなのだが、通常の胆嚢摘出手術は1時間ほどだ。倍以上の時間がかかったことになる。

手術台の上で何度も呼ばれ、わたしは意識を取り戻した。
「ノダさん、ノダさん、手術は終わりましたよ!ノダさん目を開けて下さい」
看護師と医師の呼びかけに答えて瞳を開ける。

とにかくライトがまぶしかったように感じた。
目を開けてはいるけどまぶしすぎて視界には何も映っていない。大勢の人に囲まれて居るような気もするし、ベッドも移動を始めたのかガタガタうるさい。

全身麻酔手術は本人の体感としては一瞬の出来事だ。
時間の経過がわからないのだ。
術後の傷の痛みはこの時点では感じなかったが、なぜか喉の激痛が辛かった。
だから手術室からの移動中うわごとのように痛い~痛い~と訴えていたのは喉のことだった。
先生は鎮痛剤が効いているから痛くないよと言っていたらしいが、そこじゃないんだ。呼吸をするたびに喉がズキズキと痛むのだ。
コロナ陽性療養時のマキビシを喉に突っ込んだような痛みの再来だった。

なんで喉?!!

そして全身の恐ろしいほどの寒気。歯の根が合わず、ガタガタと震えまくり。寒い寒いと
呟いていた。
手術室でほとんど裸だったから寒かったよね!と声をかけられながらガタガタとベッドが揺れて運ばれていく。

この時何がわたしに起こっていたのか調べてみた。
まず喉の痛みについて
全身麻酔は薬剤の影響で自発呼吸ができなくなるので、人工呼吸器を取り付けることになる。管を口から喉に通すのだ。
そもそもコロナ後遺症で喉が本調子でないところに挿管したのだから激痛に繋がったのである。

次に寒気
これは麻酔の影響で体温調整機能がうまく動いていないという理由らしい。らしいというのは実はこの現象はまだ解明されていないのだ。
冷房が効いた室内で、電気毛布に包まれて眠ることになった。
身動きが全く取れなくなってしまったが手術中に尿管カテーテルを挿管済みなのでトイレの心配は一切無かった。

ICUで一泊

17:30
ここから24時間点滴が始まる。合併症予防の抗生物質やら、鎮痛剤やらいろいろな点滴を打つ。
麻酔のおかげで傷の痛みは殆ど感じることがなかった。ただひたすら喉が痛い。寝返りを打てず、上向きの姿勢から見える視界だけが全ての状態が続く。時が経つと寒さは大分マシになり今度は無性に暑くて仕方が無い。

しばらくすると執刀医のK先生が手術の成功報告と摘出した胆石を持ってきてくれた。
高さ7㎝くらいの瓶の中に一杯に黒光りする石が詰まっていた。
いやぁ結構な量の石が取れたよとどこか嬉しそうに先生は見せてくれた。肝臓への癒着は殆どなく綺麗に胆嚢は摘出できたらしい。
胆石は成分によって二種類ある。
黄白色のコレステロール胆石と、茶色黒系のビリルビン胆石だ。
ビリルビン胆石は胆汁色素のビリルビンがカルシウムと一緒に固まってできる。胆道に細菌感染が起るとできやすいとのこと。
わたしの胆石はほぼビリルビン胆石だった。その数なんと48個!!
最大8㎜級の固い48個の石が胆嚢にゴロゴロしていたのだ……どういうこと?
よくもまぁこんなものを作って育てたな胆嚢くんよ。
わたしがアコヤ貝でこれが真珠だったらかなり優秀な貝だったに違いない。

石はベッド横のテーブルに置いてもらった。
処置に訪れる看護師さんは口をそろえて凄い量だねと言っていたので、48個は多いらしい。

意識は大分はっきりしてきたので、暇つぶしと連絡をとれるようにとスマホを渡された。

その間もICUの室内では延々とSpotifyのラジオ放送が流れていた。
令和の時代、病院はICUでラジオを流すのか。

途中何度も看護師さんにラジオはうるさくないかと確認された。集中治療が必要な患者がいるのにあえてそのラジオを流すということは、それを必要とする私以上の重篤な患者がいるのだろう。

仕切りカーテンの向こう、となりのベッドからはコシューコシューッと計測器の音がする。アラームが響く度に慌ただしく数人の看護師が駆けつけてベッドで何かの処置をしていた。
お隣さんはきっと意識が戻らないのだろうな。少しでも脳に刺激を与えるために人の声を流し続けているのだろうか。
LINEで入院したことを友人に報告しつつ、落ち着いた声の女性DJの紹介で1990年代の懐メロを聞いてうとうと、眠ったり起きたりしてICUで過ごした。

ICUのベッドは病院に2台しかないとても高価なものだった。
少しでも体に楽な姿勢を探すため、寝返りをうとうと体に力を入れると荷重センサーが感知して体の動きを助けるように自動でマットレスが一部膨らむのだ。

わたしは盲腸開腹手術経験者だ。術後二日間は少しでも腹筋に力を入れたら呼吸が止まるほどの激痛が走ることを身に染みて理解している。
背中をマットで押し上げながら寝返りをうつと腹筋を使わないから傷に響かない。
なんというハイテク。

エコノミー症候群による血栓防止のため、一晩中膝下をエアバッグで圧迫マッサージをしてもらえたのも気持ちよかった。

天国のようなベッドだった。実際少し天国に近い位置にいるのだが…、本人にはその自覚は一切無く、初めてのICU経験に感動のあまり写真を撮っていた。
身を起こしてしっかり確認することはできなかったが、体中あちこちに計器やチューブが取り付けられドラマで見たことがある集中治療を受けている患者の姿になっていた。
少しでも異常を察知するとアラームがなって看護師が1分待たずに様子を見に来る。

術後の急変リスクにそなえて ICUで一夜を過ごすとの事前説明はあった。
胆嚢摘出手術でICU?と驚いたのだが、実は術後の移動先にはICU(集中治療室)とHCU(高度治療室)の2種類がある。
ICUは生命に危機があり集中治療が必要な患者、HCUはICUほど救急度が高くはないけど急変リスクがある術後患者が入室するという基準がある。

意識もしっかりしているし、どうしてわたしはICUにいるのだ?
(同室だった肺癌の疑いで肺を一部摘出手術した患者さんはHCUだった)。

謎に包まれながら、体の痛みより喉の痛みと闘い続けた夜だった。

私がICUに入っていた理由を知るのはこの三日後のことである。

入院2日目 ICUから六人部屋へ

9月20日朝 カテーテルが外され、ベッドを乗り換えて一般病棟に移動することに。それはつまり自力でトイレに行けということである。
看護師さんが熱々のおしぼりで清拭をしてくれる。
この後、手術着からパジャマに着替えることになるのだが、体を起こして着替えるだけで腹部の傷口から強烈な痛みに息が止まる。

わたしのお腹には3つの穴と、腹腔鏡を通すために切った臍の縫合痕がある。
一番痛かったのはこの4つの傷跡ではなく
体の中、胆嚢くんの跡地だ。
ずきずきと痛むのではなく、前屈みの姿勢で呼吸のために息を吸ったときにいきなり内臓に針100本を一息に突き刺したような痛みが走るのだ。
痛みのレベル10をマックスとするなら、余裕でマックス越えの痛みだ。

座った状態から、傷跡に響かないように腹筋に力が入らないように、前屈みになって息を細く吐いて立ち上がろうとする度にこの鋭い痛みがあるのだから、傷跡の痛みを取るか、内臓跡地の痛みを取るか、毎回トイレで立ち上がる度に痛みの選択を迫られていた。

朝の回診でK先生は「今日の血液検査が良ければ、明日は退院の話をしましょう。もう悪いところは無くなったので、後は良くなるだけですよーー」
と相変わらずの爽やかな笑顔で言った。

明日退院の話が出来ると言うことは、最短明後日退院できる!
もりもり食べて、ちゃんと薬を飲んで
体が痛過ぎるのだけど、回復のためにリハビリがんばるぞ!とやる気になった。
相当体が痛むので1メートルをそろそろと30秒近くかけて歩くスピードだった。
時速0.12キロの速度で、トイレだけではなく、廊下をゆっくりと歩き回った。

夕方からおかゆ食が始まった。
完食して9時消灯。

記念すべき一食目!

入院3日目~4日目 帰ってきた地獄

9月21日 再発

復食ということで朝から8枚切り食パンが2枚出た。
都会の病院のパンはサンジェルマンなんだと再び都会の偉大さに感動する。
美味しすぎて二枚完食してしまった。

朝の回診では今日も頑張りましょうと先生は声をかけてくれて
あれ?退院の話は?昨日の採血結果はどうだったんだろう?先生忘れているのかなぁ
とのんきに思っていたが、担当医師が検査結果を見ないわけはないし、告知を忘れるわけがない。言わないということはつまり、退院の話ができないという事なのである。

そうとは気付かず、昼ご飯も無事完食。

シャケの南部焼きがとても美味しかった。


トイレリハビリ散歩を終えてベッドに横になったとき、地獄の扉が再び開いてしまった。

尋常でないみぞおちの張りである。
腹がポンポンになり、吐き気というか痛みというか形容しがたい異常なものを感じる。
思わずナースコールを押して、看護師さんに「これは胆嚢を取ったあと、治る過程で出る症状ですか?」と聞いてしまった。
聴診器を当てて看護師さんは「運動不足で張っているのかも。少し歩いて腸を動かしてみて」との見立てだった。

そうか、これは腸の動きが悪いのかと、フラフラと立ち上がり、張りが治まるようにと祈りながら廊下を歩くことに
ところがである。
胃痛に加えて胸の張りが加わったのだ。なんというかただ苦しい。
手術前の心臓を止めにきているような激しい痛みでは無いけれど、生かさず殺さず、細く呼吸ができる余地を残してゆっくりと締め付けられているような感じなのだ。つまり満足に呼吸ができない。
息の仕方ってどうするんだっけ?
何これ?!
あまりの苦しさに立ち止まって、ぜいぜいと肩で息をする。
呼吸が出来ず、足が踏み出せずに言葉通り立ち往生していると、異変を察した看護師さんが車椅子をもってきて、病室に逆戻り。
そのまま、再び検査のフルコース。
超音波エコー、レントゲン、造影剤を使用したCT検査、血液検査。
明日退院したい一心で車椅子を拒否して歩いて検査室まで行ったのだが、ついに歩けなくなり、帰路は車椅子で運ばれることに。
エコーもCTも異常なし、当直の先生の見立ては『逆流性食道炎』ではないかということに。
逆流性食道炎と胆石症は症状が似ている。
胆石症の原因だった胆嚢がわたしにはもうないのだから、残るのは逆流性食道炎となるわけだ。

結局、わたしは逆流性食道炎だったのか。翌日、内視鏡検査をするために
夕食抜きで絶食となった。

9月22日 まだ胆石詰まってた

本日はお風呂に入りパジャマと下着を替えた。最後にお風呂に入ったのは手術の前日18日だ、実に4日ぶりの風呂である。

差し入れてもらったバスタオルとタオルとパジャマ、シャンプーとコンディショナー、ボディウォッシュタオルを袋に入れてシャワー室に。
点滴の針は腕に刺したままである。点滴から管を外して防水テープで手首に固定しているのだ。
手術三日後、体中あちこちが痛むけれど、湯で汚れを一生懸命洗い流す。

午後は胃カメラの先に超音波エコーがついた特別な内視鏡で検査することが決まった。

外科医局でのミーティングで、医師同士の話し合いの中逆流性食道炎ではなく、まだ胆石が残っている可能性があるのでは?という意見がでたそうだ。

超音波内視鏡検査(EUS)は通常のエコーでも造影剤使用CTでも映らない、胆管内の胆石を見つけることが出来る。

院長宛の超音波内視鏡検査(EUS)の申請同意書にサインすることになった。

超音波内視鏡検査(EUS)は静脈麻酔をした上で行うので、痛くはないとのことだった。

全身麻酔に引き続き、静脈麻酔である。
どんな検査なんだ。検査を受ける身としては寝ているから全然判らないのだけれど。

検査室までは歩いて行き、帰りは車椅子で迎えに来てもらって病室に帰還した。

内科消化器担当のF先生が病室にやってきて検査の結果を教えてくれた。

ノダさんの胆管には結石がまだ詰まっています。これは小さすぎてエコーでもCTでも見つけることが出来ませんでした。胆管の胆汁の出口直径1㎜くらいの場所に3㎜の結石がすっぽりと詰まっています。あとドロドロとしたものも詰まってます。
だから痛かったんですね。

これを週明け、逆行性膵胆管造影(ERCP)を行い、電気メスで内側から腸をちょこっと切開して、出口を広げてバルーンを入れて胆石を胆管から掻き出します。

ノダさんは実は手術直後、通常30の肝臓の数値が900以上と異常数値を出していて、手術翌日も昨日も150を超えていたんです。

原因がわかって良かったですねー!

とこれまた爽やかな笑顔の診断だった。

これで合点がいった。K先生がなぜ退院の話をしなかったのか。つまりわたしの炎症はまだ続いていたのだ。胆嚢炎症と胆管炎症を二つ同時に起こしていたのか。

手術直後はAST(GOT)が980くらい、ALT(GPT)が880くらいあった。
この二つは通常は30くらいで、100を超えると異常数値になり肝臓の細胞がこわれたときに爆上がりするとか。あっだからわたしICUに入ったのか。

通常は胆管の胆石を除去した後、胆嚢摘出を行うのだが今回はレアケースで順番が逆になってしまったとのこと。
連続の手術は負担がかかかるため、合併症が起こるかもしれない可能性が少し高いと説明を受けた。

自信たっぷりの先生の説明だったので、手術に対する不安は一切なかったけど、さすがに二回目の手術となると気分が一気に陰鬱になった。

病室で孤独になると本当に駄目だなぁ、
9時の消灯後も中々寝付けず、ベッドヘッドの照明をつけて、手帳を取り出し、人生初の遺書を書いてしまったのだ。
まだ入院手術のことを知らせていない郷里の母に宛てて

書きながらボロボロと泣いて、リアルに枕を涙で濡らしながらこの日は寝た。

入院5日目~7日目 1週間の絶食チャレンジ中

9月23日~25日 トップガンマーヴェリック上映祭開催

一旦泣いてしまえば、すっきりするもので。
この三日間は朝からとても元気だった。
元気すぎて3時に起きてしまって、朝日を見にデイルーム(軽症患者が仕事ができるようにとテーブル設置されたワークルーム)行ってしまったくらい。

入院中はほぼ毎日わたしは2時から3時に起きていた。毎日昼寝無しで大体4時間半睡眠だった。普段は7時間以上寝る子なのに。

最後に食事をしたのは21日の昼。
胆汁が流れなければ痛みがない。
絶食すれば、ほぼ健康なのである。

病院内を再びあちこち探索しまくり、見るべき場所がほぼ無くなってきたので、友人からVRオキュラスゴーを差し入れてもらった。


病室の電動ベッドのヘッドをリクライニング、膝掛け変わりに掛け布団。
サイドテーブルに自販機で購入した午後の紅茶微糖(絶食中でも飲んで良しと許可もらい済み)  を置く。

6人部屋の病室の一角に極上のプライベートシアタールームが出来上がった。

アマゾンプライムでトップガンマーヴェリックを購入し、トム格好良いなと惚れ直しつつ周回鑑賞。6回目を超えるあたりからやんちゃなハングマンが可愛く見えてきて、ハングマン登場シーンのみを繰り返して見るハマりぶり。

病院はキャッシュレス化が進み、院内のコンビニは各種Pay払いが出来るのでスマホ一つで入院生活を送ることが出来たのだが
二つ、現金のみでしか決済できないものがあるので注意だ。
有料のテレビ視聴カードと院内有料Wi-Fiのパスワードカードである。
自動販売機がスマホで決済できるのになぜ?

銀行ATMはあるのだが、肝心のキャッシュカードを持っていなかったから現金を下ろすことが出来ない。

一階の売店はコンビニだったので各種決済が使えた。

人生初の7日間絶食体験

悪いところが見つかったら即日手術とばかり思って。だってここは総合病院よ。
折しも世の中はシルバーウィーク連休に突入。連休になってしまうから、手術もお休み。
再手術が決まったとき、翌週月曜日の手術まで絶食が確定した。
食事を摂らない代わりに点滴で栄養を補給することになる。

5時間かけて摂取する栄養剤のビーフリード輸液を1日3回
15時間点滴ライフの日々だった。

栄養剤でお腹が膨れることはなく、かといって空腹にも慣れずわたしのお腹はいつもぎゅるぎゅると鳴っていた。
そのときのつぶやきがこちら。


入院8日目~9日目 人生初の紙おむつ

前夜に届いた手術着とおむちゅ


9月26日 内視鏡的逆行性胆道膵管造影(ERCP)

絶食+水分摂取禁止令が出る。
午後12時、昼分の薬を飲むための少量の水のみ許された。

14:30 前開きのガウン風手術着に再び着替え、人生初の紙オムツを装着。
布おむつ育ちだったので、本当に初めての紙おむつなのだ。
手術が終わったら一晩ベッド上安静でトイレに行けなくなるのだ。

点滴棒を押しながら徒歩で内視鏡検査室に向かう。
22日の部屋とは別室だった。室内は5人ほどの看護師がせわしなく動いている。
機材が物々しく置かれていた。あっこれ検査室装備じゃない手術室だ。

検査室まで連れ添ってくれた病棟看護師さんは、帰りのストレッチャーと点滴棒を持ってきておいてと指示されていた。
帰りは寝た状態で帰還か決まっているらしい。車椅子で戻った前回の検査とはやはり違う。

うつ伏せになり、点滴が外される。
静脈麻酔開始。

手術時間は1時間ほど
相変わらずの喉の激痛に加え、鼻の奥のツンとした痛みとともに目を覚ます。

鼻から胆管まで、胆汁を排出する管を通して、手術は終わった。
これがまた開腹の傷、喉の痛み、切除した体の内部の痛みとは別の第四の苦痛だった。

術後はベッド上安静となり、トイレに行くこともできなくなった。
うとうとしていると夜遅くに検査医師のF先生がやってきた。

手術は無事に終わった、術後の血液検査も問題無い。
明日の正午鼻から管を抜いたらご飯を食べてよいです。28日は退院できます。

ついに!退院だ!!

この時点をもってベッド上安静解除
尿意はなかったので、排泄補助を経験することはなかった。

看護師さんは大丈夫ですよ、いつでも呼んで下さいねととても優しかったけどね。


27日 地獄は続くよどこまでも

鼻を通した管が喉のいやな部分に当たって、つねに指を喉奥に突っ込んでいるような、吐き気に襲われる。
オェーオェーと込み上げる吐き気と戦いながら、リハビリ散歩をしていたら流石に看護師さんたちが心配して、通り過ぎる度に何度も声をかけてくれた。

身振りで具合が悪いわけじゃなく、鼻管が辛いのですとジェスチャーで返す。
声も出せないのだ。

午後になってF先生がやっと登院。
鼻の管を抜き、手術内容の説明を、ナースステーションに移動して行った。
内視鏡が喉を通り、胃を過ぎていく。逆流性食道炎の診断は間違っていなくて、胃の中は荒れていて、少し腫れていたけど処置が必要なほどではないと画像を見ながら教えてもらう。電気メスが、胆汁の出口を切開して広げたため、腸から胆管へ逆流による結石ができやすいことも教えてもらう。
今後、病気になったときは必ず胆管の手術していることを説明するようにとのことだった。

入院10日目ついに退院!

9月28日今日は私の誕生日である。おめでとうわたし!ありがとうわたし!。
内視鏡的逆行性胆道膵管造影(ERCP)は術後3日目に血液検査をして問題無ければ4日目に退院となる。もう一泊して様子を見ても良いんだよと担当医のK先生は仰っていたが、退院退院とずっと言い続けてきたのでERCP三日後に退院許可を出してもらった。

ありがとうK先生!!

最後の朝の回診では、10日前の傷がまだ塞がって折らず、白い膿汁を出していた。そしてでべそになっていた。
ベッドの上でへそにグイグイピンセットを押しんで、膿を圧搾する。
腹腔鏡手術後まれに出臍(臍ヘルニア)になってしまうことがあるらしい。
イロイロレアケースを掴んできたけど、なにもここにきてそんなレアも引かんでも
自分の運の無さに悲しくなった。
とはいえ、退院である。

一階の会計課で入院費を精算し、ナースステーションに領収書を渡して、荷物をまとめて引き上げる。
退院おめでとうと看護師さんや病院スタッフに笑顔で見送られエレベーターに乗り込んだ。

こうしてわたしの10日間入院生活は終了を迎えた。

入院生活を快適にする便利なグッズ

タオル、バスタオル、パジャマ、歯ブラシ、コップ、洗顔石鹸
この辺は病院によってはレンタル可能。

パジャマ類は毎日交換できます。男女兼用Lサイズなので、ウェストが細い女性はパンツのゴムを確認して借りましょう。
ゴムが伸びきってて歩いていたらずり下がってくるらしい。
わたしはレンタル代をケチって全部自前で用意した。

  • ヘアブラシ

  • スマホ充電器

  • 延長コード 電源がベッドの裏なので、3メートルの充電ケーブルか電源延長コードがあると良い)

  • シュシュ 使わないときは手首に巻いておくとなくさない。さっと髪の毛を纏めることが出来る。

  • S字フック 収納棚があるのだが、術後は体を動かすのが大変辛いので、必需品を入れたバッグをベッドサイドに引っかけるとに、寝たまますぐに取り出せて便利

  • 百均の折り畳みコンテナボックス 薬袋など細々とした物を纏めて机の上に置ける

  • ノート

  • ボールペン  入院中いろいろな書類にサインすることがある

  • トートバッグ ロンシャン  Sサイズトートが便利だった。なんでも入れてベッドの横にひっかけていた。

入院影の三種の神器と認定してもよいくらい
100均コンテナにまとめてすっきり
S字フックはベッドサイドバーにひっかけて使用


これが入院時、鞄の中に入っていた物(財布と携帯は別)

奇跡的にポメラを持っていたので入院生活レポートこれで打ち込めるぞと意気込んでいたいのですが…

常に手首、手の甲のどちらかに点滴が刺さっていたし、一番酷いときは両手首3本の点滴を刺していたので、入力行為が出来ませんでした。
無理矢理入力をしてみたら、針が血管を傷つけ出血するわ、チューブが曲がって点滴が止まってしまうわと惨事になった。


入院中のお風呂

腹腔鏡手術は体のダメージが少ないので入院4日目から入浴ができた。
お風呂(シャワーのみ浴槽なし)に入る前に点滴等は一旦チューブを外して、防水テープで注射針を手首に固定する。
希望すれば入浴介助してもらえそうですが、基本は自分だけで。
ボディソープとリンスインシャンプードライヤーは備え付けであり。バスタオル、タオルは持参すること。

術後の後遺症について

臍の中の縫った疵だけは、退院後もズキズキとして膿みを出していたが、毎日シャワーで洗い流しているうちに化膿は治まった。ただ直りきらず1週間すぎても血が出ている。

でべそになった……これいつか直るのだろうか。

退院後1週間過ぎた頃、全身が痒くなり、じんましんが出るようになった。
皮膚科に行くべきか悩み中。

胆嚢摘出したら下痢になりやすいとのことなので、天ぷら、生クリーム、脂っこいものを控えるようにしている。

アルコールも飲んでいない。

入院備忘録的なのはここまでです。
いやぁ本当に激動の9月だった。10日間コロナで自宅療養、10日間胆のう手術で入院。そして誕生日に退院と。
忘れられない誕生日になった。
厄をすっきりと落とすことができたのかも。



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さて、ここからは
胆嚢手術の数字の話と、
私の血圧を180まで上げた原因となった入院生活の不安編です。
ついでに、傷跡や後遺症の写真など公開しにくい写真も少し。

赤裸々に語ります。



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