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BL小説「吐息だけでも感じます~冷徹社長の秘密の香り~」

【サラリーマン・社長×二年目社員】
【読み切り・短編・読書時間12分程度】

★大手広告代理店の内定を蹴って、新興の広告代理店に入社した逢沢季羅あいざわきら23歳は小さい頃に見た香水のポスターのキャッチコピーに恋をした。そのコピーライターが設立した会社に初めての新入社員として採用された二年目社員。
男性の匂いフェチという特殊な体質のため、好きな匂いに出会うためにワンナイトを繰り返し「男色ビッチ」という異名を持つ。
しかし惚れたキャッチコピーの生み手、コピライターで社長の横峰明日哉よこみねあすや34歳に恋をしてからは仕事に打ち込むが、冷徹な態度で注意されてばかりで上手くいかない。
その冷徹社長がときどき執務室から居なくなる謎を解明すべく後を追う季羅。彼の匂いで居場所を突き止めると、そこにいた冷徹社長は座禅を組んで、深呼吸をしていた。
社長の吐息から放たれる好きな人の香りを嗅ぎたい季羅はそっと近づくと、その行為に気づかれてしまい……!?

全文お読みいただけます
(あとがきが有料ゾーン)


「吐息だけでも感じます~冷徹社長の秘密の香り~」


 「好きな香りはありますか?」
 アロマオイルを扱う店に行くとよく尋ねられる。だけれどその問いにきちんと答えられたことはない。
 なぜかと言えば、ボクの好きな香りはたったひとつ。それはアロマオイルとして抽出できない好きな人が放つ香りだから──。

***

 首都高・谷町ジャンクションを見下ろせる三十階建ての高層ビル。その二十階にある新興の広告会社に勤める二十四歳になったばかりのボク、逢沢季羅あいざわきらは社会人二年目を迎えた。
 大手の広告会社の内定を蹴ってまでこの会社に入ったのは理由がある。それはこの会社を立ち上げた人が憧れのコピーライターだからだ。
 アロマセラピストの母を持つボクは小さいころから香りに敏感だった。自然の香りから香水の人工的な匂い、そして人の体臭まで瞬時に嗅ぎ分けることができるのはもはや特殊能力と言ってもいいかもしれない。母も仕事柄、香りには気を使っているようで、香水の新作が発売されるとたびたびデパートへボクを連れて出かけた。そのときコスメ売場で見かけたハイブランドの香水のキャッチコピーとの出会いが、いまの仕事に就いたきっかけだった。
 シックなカラーで統一された売場に海外のモデルの煌びやかな写真とシンプルなキャッチコピーの入ったポスターは誰もが目を奪われただろう。

 ──吐息まで香る、フレグランス

 どんな香りなのだろうと、子供ながらに胸がドキドキとした記憶が頭のなかに一瞬でこびりついた。
 大学へ入ると広告業界のいろはを学び、このコピーを書いた人がどういう人かということも理解した。彼の著書はすべて読み、携わった広告にはすべて目を通した。もしかするとそのコピーライターのマニアともいうのかもしれない。マニアでファン、そしていまは上司となった。
 ボクの上司で社長の横峰明日哉よこみねあすやは三十歳で最大手の広告代理店を飛び出し、この会社を設立した。それから三年で初めての新卒としてボクを採用。憧れの人が設立した会社へ入社したものの、社長の明日哉さんは想像していていたよりも態度は冷徹で仕事に対して非常に厳しい人だった。それくらいではないと会社は成り立たないのかもしれないけれど、入社当時はこの会社を選んだことを後悔したくらいだ。
 でもいまは違う。毎日、出社することが楽しみで仕方がない。仕事はもちろんのことだけれど、彼に会いたいからと言っても過言ではないだろう。しかしそれは会いたいということ以上に「嗅ぎたい」という行動がそう思わせているというのが正解かもしれない。

「おい、逢沢ぁ、今日までだって言ったよな? 必ず明日までに、ラフでいいから完成させろ」

 ボクのデスクでパソコンを覗き込み、真っ白なデータを見て社長の明日哉さんは溜息をついた。

「……はい、承知です」

 ボクの返事が耳に届いているかすら分からないくらい足早に彼は執務室を出て行ってしまった。

(せっかく明日哉さんに抜擢された案件だというのに……。気負いすぎてぜんぜんアイディアが浮かばない!)

 社内の締切が今日だというのにアートディレクターのボクはラフ案すら出来上がっていなかった。明日哉さんが以前から関わりのある大手クライアントから頼まれた清涼飲料水の広告に起用するキャラデザインを任された。入社後、初めて一人でラフから立ち上げるというのに、気負い過ぎて全くアイディアが浮かばない。絶体絶命のピンチだというのに、ボクの鼻孔には数秒前に立ち去った明日哉さんの残り香を嗅ぎ分けようと必死になっている。

(コピーライターとしても社長としても一流なのに、顔も体型もカッコよくて……ましてや香りまで最高なんて……)

 明日哉さんは程よく筋肉がついたいわゆる細マッチョで身長はモデル並みに百八十センチはある。大手広告代理店時代から女性陣の憧れの的だったが、特定の恋人を作らないという噂があった。それはどういうことか気になったボクは新入社員のときの飲み会で社長自らに尋ねるという偉業を成し遂げた。

***

「社長にひとつ質問があります!」

 酔った勢いというフリをして、ずっと気になっていた憧れの人の恋愛事情への質問をぶつけた。

「社長って、特定の恋人を作らず、セフレ百人斬りっていう噂を聞いたんですが、本当ですか?」

「は? 俺って、そんなふうに言われてるのか?」

 ギロリと飲み会の席にいた女性たちを睨む。平然と答えを待つボクに対して「空気を読め」と女上司がボクの太ももを抓った。

「まぁ、別にパートナーが欲しくないわけではないんだ」

 低い声で明日哉さんがそう呟くと女性陣が口元に手をあてて、一気に色めき立った。

「でも仕事で何日も会社に缶詰になったり、自宅で仕事しても何徹もしたりしたら、相手を気遣うことも忘れてしまうから、がっかりさせたくないっつうか」

 パートナーを待たせることが悪いと思い、特定のパートナーを作らないとのことだと彼は言葉少なに語った。そこから派生したセフレ百人斬りについては一切触れなかった。

「うわぁ、社長……かっこよすぎて、好きになりそうです」

 ボクも女性陣と混じって黄色い声をあげると再び女上司に抓られた。さっきよりも強い力で思わず「痛っ!」と叫んだくらいに。
 初めての新入社員ということで社内で腫れ物扱いされていたけれど、この飲み会をきっかけにボクは仲間として徐々に先輩たちに溶け込んだ。ただ本気で社長に恋をしているのか、冗談ばかり言う調子のいい新入社員なのかという真相だけが彼らには理解できず、それからも女上司からは抓られることも多少はあるが、なんとか良好な会社員生活を送れていた。
 その真実はというと、社長こと明日哉さんは仕事ができて容姿も最高峰だというのに、結婚おろか恋人もいないという仕事熱心な人だというエピソードを聞いたら、根っからの恋愛体質のボクが好きになることは確定していた。それにボクの恋愛体質というのも、異性との恋を謳歌してきたわけではない。もっぱら男性との恋に憧れを募らせてきたのだ。

 母の仕事柄、家にはたくさんのアロマオイルが常備されていた。香りを嗅ぐことが大好きなボクにとっては天国なわけで、母の目を盗んではアロマオイルの蓋をあけて香りを嗅ぐことが楽しみのひとつだった。
 そのなかでもイランイランの香りは「催淫作用」という謳い文句どおりに、初めて嗅いだときから性的な気分が高まってしまう現象に見舞われた。
 強い香りだというのに、体験した興奮を味わいたくてクセになり、母が居ないときは何度も嗅いでしまった。そのたびに自分の身体がおかしくなっているような、悪いことをしているような背徳感が余計に気分を高揚させた。
 その感覚が性的に大人になったあとも抜けずに、自分がかっこいいと思う男性が「フェロモン」を放つと似た感覚に陥り、恋に落ちたような錯覚を起こした──。
 明日哉さんに初めて会ったのは職場見学のときだった。そのときにはもう彼から「ボクが好きな香り」が漂っていた。ずっと憧れだった人に会えた悦びも相まったかもしれない。明日哉さんはむかしから憧れだったというアドバンテージがあったとしても、格段に「ボクが好きな香り」を放っていた。既存の香りで例えれば、白檀だろうか。懐かしくて、一緒にいると落ち着く香り。だけど気品があって、またその香りを求めたくなるクセのある匂い。
 彼の香りを嗅げた日は、自宅に帰ってから必ず思い出して、彼の名前を呼びながら自ら果てる行為をしてしまう。
 例えば、仕事で近くに彼がいたときなど、あまりにも香りの供給が多い場合は会社のトイレに駆け込むこともある。
 好きな人が近くにいると、恋愛体質のせいなのか、ボクは性欲が異常数値になってしまうことがあった。高校、大学時代にはもうすでに「男が放つフェロモン」が性癖だということに気づいていたが、恋人はできなかった。フェロモンの香りにも様々な種類があって、なかなかピンとくる匂いには出会えない。だから一晩限りの関係を繰り返しながら、好きな香りを探し続けた。そういうアプリを使っていることが周囲に知られると、陰では「男色ビッチ」と噂されていた。
 いまは特定の好きな人が出来たからワンナイトは止めたけれど、会社でヌイてるからそんな場面を知られたら、何てあだ名がつくか分かったもんじゃない。

 仕事を進めなければならないというのに、明日哉さんの香りを嗅いだせいで、全く集中ができなかった。こうなったら、もう少し供給してもらい、トイレでスッキリすればアイディアも浮かぶかも、と短絡的な考えで頭の中はいっぱいになった。

(明日哉さん……どこへ行ったのかな)

 彼の体臭から煙草の成分は感じられないので、煙草休憩はない。だけれど明日哉さんはときどき社外での打ち合わせでもないのに、執務室からしばらく帰ってこないことがあった。
 彼が歩いたすぐ後なら、残り香でどこに向かったか分かるから、オフィスの廊下で目を閉じて嗅覚を研ぎ澄ませた。
 たっぷり鼻から息を吸って彼を探す。微かに残る香りを頼りにボクは廊下を突き進んだ。ふっと香りが途絶えた場所で足を止める。ボクは近くのドアのひとつひとつを確認すると小さめの会議室の前で匂いが強くなった。
 そこは高速道路を見下ろせる、まるで都会に自分が浮かんでいるような感覚を得られる場所だ。どちらかというと会議室で使われるよりデスクで仕事が捗らないときに使う社員が多い部屋だった。
 すこしだけドアを開けて見つからないように中を覗くと予想通り、明日哉さんはそこにいた。彼は背をドアの方へ向けており、ボクが覗いていることなど気づいていない。どうやら窓の外を見下ろしているようだ。

(……後ろ姿だけなのに、身体が熱くなる)

 目と鼻の先にいるのに、匂いは漂ってこないもどかしさにボクの身体は悶えてしまった。もう少し近づけば彼の香りを独占できると思うとギュッと胸が締め付けられて、熱が下方へ集まってくる。
 さっき明日哉さんに仕事で注意を受けたときに香りを嗅いだから、もっと欲しいと身体が叫んでいる。音を立てないようにそっと部屋の中へ入り、息を潜めて彼の背中を見つめながら鼻呼吸を続けた。すると明日哉さんは靴と靴下を脱ぐと会議室の椅子の上に胡坐をかいた。ボクは思わず、口を覆う。その座禅スタイルにうっかり声を漏らしてしまいそうだったからだ。
 明日哉さんは深呼吸しているのか肩が微かに上下している。耳を澄ますと腹式呼吸のような長いブレスが聞こえた。

(……瞑想?)

 ボクは生唾を飲み込む。あんなに長く息を吐いている彼の香りを嗅ぎたくて仕方ない衝動に駆られた。どうにか彼の近くへ行ってその隣の椅子に座りたい。声を掛けないまま、突然座っていたら怒られるだろうか。

「逢沢、アイディアはいつもいいんだけど、ツメが甘いんだよな」

 さっきも冷たい表情で彼に言われたばかりだというのに。また罵られたい自分がいる。

「センスがあるんだし、もっと自信もっていいんだぞ? 案を出す段階では百パーセント完成してなくてもいいんだ。まずは約束を守る。そこからみんなで百パーセント以上のものを作るのが、この仕事のキモだ」

 すこしも笑っていない表情だけれど、言葉には優しさと仕事への熱情やヒントが隠されている。ボクは明日哉さんとずっと仕事をしていきたいし、仕事以外でも彼の大切な人になりたいとさえ願っている。
 真っ白なラフ案を見せられないとパソコンでデータを表示できずにいると彼は「マウス貸して」と言った。怒られるかもと、緊張してマウスから手が離せないボクの手のひらに彼の指先の体温が触れた。その部分に見えない沈黙が流れ、明日哉さんの口元から薄く息が零れる──。
 そのとき悦んだ鼻孔のことを思い出しただけで、ボクは下半身が疼いてしまった。

「誰かいるのか?」

 悶えているボクの姿は、どうやらガラス窓に映ってしまっていたようだ。

「……逢沢?」

「す、すみません……。さっきの仕事の件を謝ろうと思って……」

 裸足のまま明日哉さんはボクのほうへ歩み寄る。逆光のせいで暗い影に覆われて表情があまり分からなかった。

「その割には、顔も赤いし、立ち方もおかしくないか?」

「いえっ、そんなことは……」

 残念ながら彼の言う通りだった。スラックスの前側はじっくり見れば盛り上がっていることくらいバレてしまうだろう。

「まぁ、ずっと残業が続いていたから、欲求不満なのかもしれないが……。そうだ、心を沈めるためにも一緒に瞑想するか?」

 そう言った明日哉さんに肩を掴まれたボクは「ひぃっ」とおかしな声を出してしまう。いま彼に身体を触れられるのは余計に興奮を増長させるだけだから。

「め、瞑想って……。社長はふだんから瞑想しているんですか?」

「あぁ、まぁな。自分の仕事がうまくいかないときや部下を叱ってしまったときとか。あと……」

「も、もしかして、欲求不満のときも?」

 ボクは調子に乗って明日哉さんに一歩近づいて尋ねる。手のひらを勝手に握りながら。

「お、おい、逢沢?」

「ボク、社長のことずっと好きなんです。白檀のような香りが社長から漂ってて、初めて嗅いだときから、もう……」

 そう言いながらボクはさらに身体を明日哉さんに押し当てて彼の瞳を見上げると明日哉さんは参ったように頬が紅く染まっていた。

「むかし香水の広告へコピーを書いた仕事、覚えてますか?」

 彼の胸に顔を埋めて尋ねた。鼓動が微かに耳に届く。明日哉さんの心臓はすこしも落ち着いていないようだった。

「……吐息まで香る、フレグランス。だっけか」

「そう、それです。そのコピーでボクは横峰明日哉というコピーライターに恋したんです。初恋ですよ?」

「それで、この会社に入ったって、社長面接のときに言ってたよな」

 明日哉さんの両手がボクの背中を抱き締める。密着した身体は熱を帯び、さらに彼が放つ香りは強くなった。

「覚えていてくれたんですか?」

「初めての新入社員に選ぶくらい、印象的だった」

「……それだけですか? ボク、コピーライターとしても社長としても、明日哉さんという人のすべてに恋しているんです。無表情なときも、コンペを勝ち取ったときに見せる笑顔も、そしていま香る吐息さえも──」

 不満をぶちまけるように強く、早口で告げると明日哉さんは溜息をゆっくりついた。

「ったく。人がどれだけ、我慢してきたか分かってんのかよ」

「えっ?」

「だから、どうして俺がこんな場所で瞑想しているのか、分かっているのかって聞いてるんだ」

 その明日哉さんの口調は、仕事で注意するときの冷徹な声よりも熱がこもっている。

「逢沢のまっすぐで、人を巻き込む姿が放っておけないから……。俺が近くで見守っていたいし、誰にも触れさせたくないから……。その気持ちを隠すために、瞑想してんだよ」

「もしかして……社長は、むっつりですか?」

「バカ。そういう発言は慎め」と照れた様子の明日哉さんはボクを抱き締めながら深呼吸をした。

「誘ったのは、逢沢だからな。瞑想の先に辿り着く場所へ連れていってやる」

「えっ、それって……? あ、ボクあとで帰りに寄れるホテル探しますっ!」

「ちゃんとラフ案が終わったらな」

 そう言った明日哉さんの表情はいちども見たことないくらい甘かった。ボクは慌てて彼の腕をすり抜け、「今夜は社長とエッチしたいので、仕事に戻ります!」と部屋を出た。
 もう頭のなかにはアイディアは浮かんでいる。大好きな彼の香りは、ボクにインスピレーションすら与えてくれる。それはいま初めて知った効能のひとつだ。

【吐息だけでも感じます~冷徹社長の秘密の香り~ 終わり】


※ここから先は、小説のあとがきなどです~!

プロットは割とサクッと出来上がったのですが、note創作大賞を先に執筆していたため、本文を書くのが遅くなりました。
もう6月の更新は諦めようかと思った……。

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703字
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最後まで記事を読んでくださってありがとうございます。 読んでくださった方の心に少しでも響いていたら幸いです。