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could be anything #2 なぜ公立の教員になったのか

前回

 2023年度は1年生のクラス担任をしていました。HR通信を書くのが好きで、通算113号発行したのですが、そのなかで、「なぜ教員になったのか?」について2号にわたって書いたことがあります。久しぶりに読み返してみて、自分が目指してきたことを再認識しました。今回は、自己紹介がてら、それを転載します。


なぜ教員になったのか?をめぐる雑文

 先月は、面談やその他の場面で、「なぜ教員になったのか?」と訊かれることが最近時々ありました。そこで、今日はそのことについて書こうと思います。長くなると思うので、適当なところで切って、次号以降に時々続きを書こうと思います。

 私は4年前まで京都の私立の大学系列校で働いていました。大変自由な校風で、まず校則はありません。制服もありません。髪型も髪色も自由で、ピンク色や水色の髪の生徒がその辺にいます。見た目からして、あまりにも全員が違いすぎるので、少々の違いでは目立ちません揃えることで目立たないようにするというのが、日本社会ではよくありますが(そして、私はそういう風潮が非常に苦手ですが)、あの学校は逆で、全員があまりにも尖っているので目立たないという感じでした。どんなに揃えようとしても、“私”と“あなた”は違うので、絶対に何かしらは揃わないのです。揃えようとするから、“揃っていない”という当たり前の状況が異常に見えてしまうのだと思います。

 全員どこかしら“変わっている”ことを前提にする雰囲気は教員も同じで、授業もユニークでした。最初は戸惑いましたが、多くの教科で、教科書を解説する授業はありません。社会科では、当時定期テストもありませんでした(というより私自身が提案したら廃止されました)。教科・科目の枠組み自体もあってないようなもので、例えば中3の公民では、「切実な社会問題を1つ選び、当事者や専門家の声を取材し、感じたことをアートに表現し、その説明を英語でプレゼンする」という授業に取り組んでいました。あるいは生徒の心のケアを目的にスクールドッグ(犬)が職員として所属しており、教室で犬が寝ていたり、生徒と散歩しながら面談をしたりしました。新しいチャレンジへの寛容さがあの学校の最大の魅力です。

 それはそれは自由な学校で、学生時代「学校」というシステムが窮屈で息苦しかった(のに…だからこそ教員になった)私にとって、これ以上ないと思えるような"居場所"でした。ではなぜ、私はそんな私にとっての“居場所”を離れて、滋賀県の公立高校の教員になったのでしょう? これはまた次号以降に…。

なぜ教員になったのか?の話②
"私の社会問題"から将来を考える

 前々回のHR通信で以前勤めていた中学校のことを書きました。自由で新しいチャレンジに寛容。放課後に教員と生徒が一緒になって、これからの教育をコーヒーを片手に語り合い、明日からの授業を設計する。そういう光景が珍しくない学校です。学生時代、教員から生徒への上意下達を基本とする旧来の「学校」というシステムが窮屈だった私にとって、これ以上ないと思える"居場所"でした。ではなぜその後、滋賀県の公立高校の教員になったのか。

 元々いずれ公立高校で働こうと思っていました。その大きな理由は教育の地域格差・経済格差への問題意識です。私は、本人が望む教育を受ける権利が、どんな地域の子どもにも、どんな経済状況の子どもにも、等しく保障されるのが、理想の社会だと思っています(「公共」で学習する憲法26条にもそう書いてありますよね)。私立の学校で、自由でイノベイティブな学びの場づくりにチャレンジできたとして、それを享受できるのは、私立に通える経済状況(もちろん奨学金などの制度はありますが)で、かつそこに通える地域(都市部や便利な公共交通機関の沿線か、他地域からの通学が基本的に想定されない特定の地域など)の子どもだけなのです。それについてずっとモヤモヤしていました。居心地は良いけれど、この子たちとだけ新しい学びへのチャレンジをし続けることが、自分の問題意識に合っているのだろうか?と。そして、そのまま私立の中学校で働き続ける選択もあり得たのですが、地方の公立校の教員になろうと決めたのです。

 今も根幹にある問題意識は変わりません。先日、大学の教授を招いてミニゼミをしました。29日(日)からはJICAとの連携Zoom講座(月1・全5回)を始めます。授業はもちろんのこと、個人では難しい出会いと学びの場を設け、教育の地域格差や経済格差を克服するのが、今の「学校」の役割だと思っています。生徒と教員とが互いにフィードバックをしながら、新しい学びの場をつくっていくことが、自分の仕事だと思っています。

 「何かを教えたい」といった個別具体的な話でなく、「この社会がこうだったらいいな」という“私の社会問題”から逆算して、今の仕事、今の人生を選んできたことは、1つの考え方としてそれなりに有効だと思っています。進路を考える時、そういう視点のおき方をすると、違った見え方、気づきがあるかもしれません。


 この「“私の社会問題”」というフレーズを気に入っていて、よく使います。どこの大学に行くか?とか、偏差値がどうか?とかよりも、そこで自分は何がしたいのか?、自分はこの社会の何に疑問を持っているのか?、どんな社会だったらいいのにと思うか?を大切にしてほしい。それがあれば、正直どこの大学に行っても、学ぶことはできるし、大して変わらないと思うのです。なんなら、それなしに“偏差値”の高い大学に受かったとして、そこで何をするんですか?という話なのです。

大人が押し付けてくる「人生の成功ルート」はその人の自己正当化でしかない

 データを示すと、大学入学者に占める国立大学入学者の割合は15.6%高校生の大学進学率は57・7%です。
 細かくは浪人生とか色々計算しないといけませんが、そもそも大学に行く高校生は6割未満だし、そのうち国公立大学に進学する人は15%程度全体で見ると、国公立大学に進学する高校生は9%程度です。
 “進学校”に通う子どもたちは、「誰もが高3の1月、2月まで受験をして、国公立大学を目指している」「そうでない人は怠けている」「社会的に評価されるには、そうしないといけない」とばかりに強迫観念に取りつかれたようになっている人が、少なくありません。
 しかし、大人たちが君たちに「これが人生の成功ルートだ」と示してくるルートは、実はかなり珍しいのです。10人に1人もいないのです。
 じゃあ、10人に9人以上は、人生失敗なのでしょうか? そんなことはありませんよね。大人たちは、君たちを騙して、それでお金を稼いでいるのです。

 そして僕は、"進学校"が子どもたちの貴重な青春の3年間を身勝手に消費して、そこに勤める教員がそれで飯を食っていることに、果てしない罪悪感を感じ続けてきました。
 本当は大人は、点数で競争して偏差値で進路を決めて、国公立大学に進学することを人生の成功だと捉える人間が、世の中全体では大して多くないことを知ってるのに。なぜ彼らを膨大な課題と試験で追い回して、入学当初の知的好奇心にあふれた表情を、勉強が嫌いで苦悶の表情で小テストに怯える表情に変えることに、僕が加担しないといけないのか。
 毎日毎日、苦しくて、夜眠ろうとしたら、そのことばかり考えて、どんどんふさぎ込んでいきました。

 しかし、そんな珍しいルートとは違う生き方をしたとして、何が問題なのでしょうか。私自身、大学は私立大学ですし、高校から大学の付属校に通っていたので、大学入試は内部推薦です。じゃあ、僕の人生は失敗でしょうか?

 非常にくだらないことです。教員は、教育学部をはじめ、国公立大学に進学して学校に舞い戻ってきた人が確かにたくさんいます。逆にいえば、それ以外のルートは経験したことがない世間知らずなのです。もちろん他のどのような生き方をしていても、自分の人生以外は経験したことがないわけで、皆、n=1のサンプルデータしか知らない世間知らずです。だから、成功かどうか?は自分で決めればよいのです。

信じなくていい。自分の人生のハンドルを人に渡してはいけない。
自分の人生の成否は自分の捉え方が決めるのだから。

 僕の人生が、君の人生が成功かどうか?は、"私"自身がどうとらえるか?次第です。うつ病で仕事を休むことになっても、僕はこの人生は成功だと思っています。それは、自分のとらえ方次第だからです。
 「しんどいときは休んでいい」ということを、子どもたちに伝えられるとしたら、これほどにありがたい経験はありません

 今はそんな風に思っています。


ヘッダー写真は、2024年4月、気分転換に始めたトレッキングで登った小谷山の山頂からの風景。

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