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新しい時代と、過去から続く時間軸を重ねた街づくりを目指してー浜松町を見守り続ける地域の拠り所「芝大神宮」

再開発が進み変わり続ける浜松町の街。そんな浜松町を舞台に活動されているさまざまな「人」に着目し、その活動内容や街への想いを紹介していくメディア「Hamamatsucho Life Magazine」。

記念すべき第1回目は、街のシンボルとして古くから愛され、また、街の変化を見守り続ける存在である「芝大神宮」宮司の勝田博之さん。
勝田さんは、神社は「心の拠り所」であり、街に関わる方々のさまざまな意見を集約する場でもあると言います。誰とでも分け隔てなくお話される気さくなお人柄から、地域や企業からの信頼も厚い勝田さんに、「芝大神宮」とその神社が見守ってきた浜松町の魅力、未来への想いについてお話を伺いました。

「志を持って、波のように人が押し寄せる場所」であった芝(志波)地域。

―最初に芝大神宮の発祥についてお伺いできますか?
芝大神宮は元々この大門浜松町にあったわけではなく、最初は麻布や六本木等の飯倉地区にあったようです。当時は伊勢神宮に献上するお米や野菜が関東周辺から全部飯倉に一回集まっていて、そのためそこにはたくさんの蔵があったんです。地名が「飯倉」というのはそのためなんですね。それで、その飯倉で献上する食物を整えて、そこからお伊勢さまに運ばれていました。そして西暦1005年にはお伊勢様から飯倉に御霊が来て、飯倉神明宮となったのですが、それが芝大神宮の発祥と言われています。

―飯倉で生まれた神明宮が、なぜ浜松町に遷ったのでしょうか?
飯倉神明宮は現在のロシア大使館やアメリカンクラブ近辺にあったのですが、1603年江戸で徳川幕府が誕生した際、当時紀尾井町にあった増上寺を幕府の菩提寺にするという事で現在の芝大門に遷しました。それに伴って、飯倉神明宮のある方位が徳川家ゆかりの増上寺に対して良くない方位にあるということで、江戸前期に現在のこの場所に遷ったと言われています。それ以降は芝神明宮と呼ばれるようになり、今では芝大神宮と呼ばれるに至りました。

当時の芝地区は「芝」を「志波」という当て字で呼ぶ方々もいました。これは「志をもった人が波のように押し寄せる場所」ということだったと言われています。当時この辺りは大変な賑わいが見られた場所だったんですね。

-関東のお伊勢様と呼ばれていたんですよね。
そうですね。江戸時代には「一生に一度はお伊勢さま」という考えが大いに流行していました。しかしお伊勢参りの旅賃は今の金額でいうと70~80万円程。誰でも気軽に行ける、というものではなかったんです。当時の人々からすると「一生に一度行けたらいい」という感じの場所だったのではないかと思います。
そうした背景もあって、江戸や関東以北の人々は、伊勢神宮と同じ神様を祀っている当宮を「関東のお伊勢様」として、お伊勢参りの代わりに詣でてくださったようです。それが当宮繁栄の理由の一つとも言われています。

「良いことが太く」。だらだら祭りの御由緒。

-通年様々な神事、行事が行われていますが、その中でも有名な「だらだら祭り」について教えてください。
9月に行われる「だらだら祭り」は年に一度の例大祭を指しています。元々は毎年9月16日に行われる単日のお祭りでしたが、江戸時代に入って参拝客が多くなってきてからは、色気を出したということだと思うのですが…(笑)、16日を中心に前後の5日間、つまり11日から21日までの11日間のお祭りにしよう、ということになりました。

この時期は秋の長雨の時期でもあり、なんとなく「だらだら」しているという事で、通称「だらだら祭り」と呼ばれるようになりました。「良いことが太く」という意味を込めて、江戸の庶民の間では「太良太良」という文字が当てられていたとも言います。

この時期にあたる9月前後に結婚式をあげたり縁起事をすると良いと言うことで、昭和・平成の時代には、当宮と世界貿易センタービルさんとで、挙式会場を提供し合うブライダル事業を展開した歴史もありました。

芝大神宮での挙式の様子

-だらだら祭りは「生姜祭り」とも呼ばれていますが、それはどういう理由なのでしょうか?
飯倉ご鎮座の際、神社周辺で多く作られていた生姜がお供えされ、境内や参道でも生姜が盛んに売られていたためです。江戸時代には、神社の二町四方に生姜の山ができ、それが三日のうちに一茎も残らず売り尽くされたと伝えられています。
古くから、生姜は薬用として重用され、毒消しの効果も知られていました。病災を除き、諸厄を祓い、神明と結びつく生姜は、長寿を願う縁起ものとして大いにもてはやされたようです。

また、伊勢神宮に献上する荷に生姜を挟んだところ、全く傷まなかったという話も伝えられています。現在の飯倉地区、東京タワー周辺にはその昔生姜畑がたくさんあり、その生姜を荷に挟んでいたようなのです。

ちなみに、東京タワーがなぜあの地に出来たかというのも、実は生姜が絡んでいるんですよ。当時、関東一帯に電波を送ることを考えた人たちは「清浄で綺麗な電波を送りたい、その電波は清潔さを持つ土地から送りたい」という想いがあったようなのです。それで、今申し上げたような効能のある生姜を栽培する土地が選ばれたという事らしいです。面白いですよね。

花の大江戸の一角を成した繁栄の土地。

-芝大神宮が今の地に遷った江戸時代、浜松町はどういった存在の地区だったのでしょうか。
当時「花の大江戸」と呼ばれた地区があったのですが、それはこの芝大神宮と神田神社、深川の富岡八幡宮の三角地帯を指していました。「芝で生まれ、神田で育ち、それが三代続かなきゃ江戸っ子じゃない」という言葉もあったと言われています。

当時から芝と神田は江戸の華があると言われていて、日本橋の旦那衆がたくさんいる神田に対し、芝は商人や職人が多いという特徴がありました。今の言い方をするなら、スポンサーが違うということなんですね。

今考えるとすごい事だけど、神田や日本橋と並んでいたのがこの芝だったということなんです。だから今も、「俺たちは志があるぞ」というプライドのようなものが芝の根底にはあると感じます。

江戸時代の浜松町の繁栄は多くの浮世絵などからも窺い知ることができる。

-江戸の中で考えても賑わっていた地区だったんですね。
江戸には繁栄の土地だと言われる場所が二つあって、それが日本橋の久松町と、ここ浜松町なんです。それくらい賑やかで華やかな場所だったんですね。こうした歴史的な背景を理由に、「ここにオフィスを構えたい」という方が結構たくさんいらっしゃるんですよ。

ちなみに浜松町の街の名の由来も江戸時代にルーツがあります。江戸時代に中京地区の浜松から裸一貫で出てきた権兵衛という人が漁業で大成し、自分の故郷の浜松の畳屋や大工などの職人を連れてきて町を作ったので浜松町となった、と言われています。

地域の心の拠り所としての神社の存在。

―勝田宮司の記憶に残っている浜松町での思い出は何ですか?
小さい頃は、世界貿易センタービルとJR線路向こうの旧芝離宮恩賜庭園までが遊び場でした。この2つの場所がいわゆる「浜松町」エリアです。庭園前の児童公園からこっそり庭園に忍び込んでザリガニ釣りや池の氷割りもしていましたね。駄菓子屋で買った酢イカでザリガニを釣っては庭園の怖いおじさんに見つかって、怒られては追いかけられて、を何度も繰り返していました。

小学生の時、我々は「世界貿易センタービルが見えるところまでは俺たちの陣地だ」と思っていました(笑)。自転車で品川や晴海などに遠出した時は、世界貿易センタービルに向かって帰りました。当時は高いビルはあのビルしかなかったですから。だから世界貿易センタービルが近づいてくると安心したのを覚えています。「あー、我が家に帰ってきたな」と。

あと、学校のテスト成績や通信簿が良いと、両親に世界貿易センタービルの地下商店街の中華料理屋に連れていってもらいました。さらに成績が良いときはビル高層部の東京會舘。母親に革靴を履かせてもらって一張羅で行ったりしていたのを覚えています。

あそこのビルは地元の人間にもウェルカムなビルでしたね。あそこに行けばなんでもありました。けどサンダルやらビーチサンダルやらで行かない。地元住民もそれなりの気遣いをしていたんだなと思います。そういう気質のある街ですからね。歩いて行けるところだけど、ちゃんとあの場をわきまえていました。

-お祭りや氏子等を通して、地域との関わりも深いかと思います。
先ほど申し上げたようなお祭り以外にも、普段の集まりなどを通して、「街をどうやって守っていくか」ということを考えるための「拠り所」として、「芝大神宮」を頼ってくださっている方は多いと思います。ここ以外の、神田や日本橋といった街も同様かと思いますが、長年そこに暮らしている方々や、老舗の店が多い地域では、「みんなで土地を守っていこう」という大きな共通のポリシーが流れていて、その中心に神社があるんですね。

例えば「あそこに新しい何かができるみたいだ」という話が出てきたら、その土地の所有者が「自分だけでやればいい」ということにはならずに、「街に合ったものをつくろう」「街を良くするものをつくろう」ということで、街全体が連携して取り組んでいく風潮があると感じます。

-「地域を守っていこう、良くしていこう」というポリシーが地域に根付いているんですね。
そういうことですね。土地というのはやはり「人ありき」です。人と人のつながりの有無で、地域のありようというのは変わってきます。街の色々な人たちが関わって、皆で考えていくことで、街の雰囲気を壊さず、きれいに開発を進めることができると思います。

この芝の街の中心に当宮が位置しているのはとても誇らしいことだと思いますし、その分責任もありますから、街の将来を見据えて「街のために何ができるのか」という点も大切に意識しています。そういう点で言うと、芝はうまく開発が進んでいる土地だと感じていて、この土地に住む人と企業の方がしっかりと話し合って、「点」ではなく「面」で関わり合い、お互いの合意のもとに開発を進められていると思っています。

縁起の良い、選ばれる土地。

-勝田宮司ご自身がお考えになる浜松町の魅力とはどういうものだと思われますか?
一つはこの地の歴史に紐づく、土地の縁起の良さかなと思います。
浜松町は江戸時代、「松竹梅」の揃った街とされていました。今の浜松町駅あたりには当時「松」が生えていましたし、竹芝には「竹」が植えられていた。これは今の竹芝地区の海を開拓する際に、「天に向かって清浄なものを植えよう」ということで植えられた経緯があって、それで名前も「竹芝」となったんですね。
また、現在の文化放送裏を北に少し歩くと慶應義塾跡地がありますが、その辺りの大名屋敷には同じ江戸時代に「梅林」がありました。こうやって「松竹梅」が揃った浜松町は大変縁起の良い街とされていたんです。

世界貿易センタービルが建てられたのもこうした街の歴史に関係しているように感じます。
当時世界貿易センタービルをここに建てようとした方々は、この地区が縁起の非常に良いエリアだということをきっと知っていたのだと思いますよ。ご縁もあるのだろうけど、魅力っていうことでいうと、やっぱりこの街は世界貿易センタービルが中心だと感じますね。

芝大神宮の縁起物である「千木筥」。「千木」が「千着」に通じることから、衣服が増え、良縁に恵まれることを願って女性がタンスなどに納める習慣が広まり、女性の幸福守護とされている。

―とても縁起の良い街とされていたんですね。
神戸生田神社の宮司がおっしゃっていましたが、「港が見える道(大門通り)が大きく一本、海から増上寺の山まで通っている。こういう街は東京都心を見渡しても他にない。こういう街は栄えますよ」と。

私の浜松町の印象も、やっぱりこの世界貿易センタービル前の大門通りなんですよね。最近「街」という漢字について考えたんです。あれは「行」の間に「土」が二つありますが、「圭」は道を表していると思うんです。その道を人々が行き交う。それが街なのだろうなと。

-長年この地にお住まいの方の一人としてという目線だと、このまちの魅力はどこにあると思いますか?
そうですね、繰り返すようだけど、浜松町は「松竹梅」の場所で非常に縁起が良い。それにここは「陸海空」の要です。芝大神宮としては結婚式の挙式を執り行っておりますが、挙式事業のみでいうと都内で神社トップなんです。理由の一つとしてはやはり立地。地方から来る参列者も、浜松町であれば空港からアクセスしやすい。そのため会場としてよく選んでいただけます。

港区は「芝区」というものが前身になっていまして、芝区に高輪区と赤坂区が合併して現在の港区になりました。芝大門という場所には、区役所もあるし、東京タワーもあるし、芝公園もあるし、ある意味港区の中心でもあるんですよね。非常に文化的で、将来を見据えた先進の土地であると思っています。暮らしの場所としても、大変いいところです。

おすすめのスポットとしては、まずこの「芝大神宮」と「東京タワー」「増上寺」。それから、「世界貿易センタービル」ですね。

過去から未来へ続く時間軸を意識した街へ。

-今後の浜松町に期待することを教えてください。
1次元と2次元の「面」だけではなく今後は3次元が加わってさらにまちが出来上がってくるのだと思います。3次元の縦は過去から未来への時間軸。そうすると球体になるでしょう。円より球体になるような、成長していく街になってもらいたいですね。

-最後に一言ありましたら是非お願いします!
神社というのは、その土地が荒れることを最も嫌がるんです。
荒れるっていうのは、オフィスビルが多くできるとかそういうことではなくて、近くに風俗店舗ができてしまったりとか、みんなが好き勝手なことをやってしまうようなことです。そういうことが起きないように、街に対して地域の方々の総合力が働くように、神社としても注意深く見守っていきたいと考えています。

これからは新しい時代と時間軸を重ねながらどういう方向に導いていくのか、という事を考えていくのだろうな、と思います。世界貿易センタービルはやはりその中心になるのかな。繋いだバトンは落としちゃいけないですよね。そうやって現在も脈々とまちづくりは良い方向にいっているのだと思っております。軸がちゃんとしていれば問題ない!

終始笑顔で対応くださった勝田宮司。

取材・文:秋本記央(世界貿易センタービルディング)・中塚麻子(玉麻屋)/編集:坂本彩(玉麻屋)/撮影:yOU(河﨑夕子)

芝大神宮
https://www.shibadaijingu.com/
〒105-0012 東京都港区芝大門1-12-7

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