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[慶應卒] 私が学歴社会で失ったもの。

こんにちは、浜路まやです。

私は現在外資コンサルで働きつつ、
ハイジのような生活を夢見て、(早期リタイアだ!)
副業を4,5つほど掛け持ちしています。

そんな私は、都内の国立高校から、
慶應義塾大学経済学部に現役合格しました。


慶應といえば、世間ではさまざまなイメージがあるようですが、笑
私自身は、「通ってよかった」と、心から感じています。
でも、と同時に違う自分の人生もあったのかな、なんて思う時もあります。


大学選びは、自分が一番やりたいことができる場所に通うべきだと思いますし、
周りの環境を見ていて、
偏差値の高い学校に行けばいい、と行ったことは決してないと断言できます。
現に、私の友達でも、高校卒業後メキメキと働き、会社を経営している友達もいますし、
勉強はできるんだろうけど、ちょっとな〜勿体無いな〜という友達も大学時代にいました笑

ともあれ、ずっと塾に通って、勉強の競争社会で育った私は、
学生時代は「勉強できること」が何よりも素晴らしいことだ、という価値観の中で生きてきました。
そんな社会ですから、目指すべきは東京大学。
高校三年間を必死に勉強した三年間。
本当にいろんなものを我慢した気がしますが、東京大学には不合格。
浪人する元気もなく、慶應大学に現役進学しました。


少々、不完全燃焼気味で通い始めた慶應大学でしたが、
今では、「逆に私なんぞの凡人が、慶應という学びの最高の環境をゲットできてラッキーだったわ」
と感じております。

学歴社会で生きた人間が、
「ああ、学歴って人間が生きる上で本当に必要なものではない気がするな」
「学歴とトレードオフで失ったものが割とあるな」
と気づくまでの人生観の変化
と、
「とはいえ、学生時代に勉強しておくことはとてもメリットがあるな」
と感じる理由
を綴ります。

いつかもし、自分の子供が産まれたら、
自分の子供はこういう教育方針にしたい、と感じていることです。


慶應卒。いわゆる「高学歴」かもしれない私が思う、学歴の無意味さ。


初めに申し上げますと、私は自分の今までの人生を否定するつもりはありませんし、結果的に第一志望を落ちてしまったけれど、学生時代は自分のできる範囲の努力はやり切ったなあと思います。
また、今からの話でもって自分を卑下して、
謙虚なヒーローを演じたいというわけでもなく。

ただ、なんとなく学歴社会を経験してきた今、
もし自分の子供を教育するなら、
こういう価値観で持って、子供に「勉強」というものに向き合ってほしいな〜と感じるということを綴ります。


私が思うに、
学歴というのは、
受験制度に則ったレールをきちんと歩けたかどうかの結果
だったな、ということ。

そして、それを得た時には、
素晴らしいのは、それを得るための本人のそれまでの努力で、
その結果の学歴はバッジだったな、と感じています。

定められた学習過程をきちんと終え、
求められる問題が解けるように練習をし、
レールを歩けた人がある一定の学歴をゲットする。
まさにゲームの世界です。
攻略本が存在していて、それをうまくクリアできるかという。

それを一生懸命クリアするように頑張るのが、
今の日本での「普通」とされている気がしてしまって、
どうも私は腑に落ちない部分があるのです。

それは、
①学歴社会の波に呑まれすぎてしまうと、失うものの代償が大きい
②天才は確実に存在する。頑張らなくても勉強できちゃう人と比べたらメンタルがもたない。

ということです。


①学歴社会の波に呑まれすぎてしまうと、失うものの代償が大きい


これは、私が社会人になって気がついたことですが、

本当に自分が好きなもの、
本当に自分がやりたいこと、
に気づくまでに時間がかかる人間になってしまった。
そして、自分の好きなことをしている時間=無駄な時間・生産性のない時間
という感性を持つようになってしまった。

ということです。

※私がどうしてその考え方を脱却できたかは別記事で綴ります♪
※記事準備中

勉強をしている時間は、
将来の学歴を得るために必要な時間。
自分の好きな趣味や娯楽を楽しむ時間は、その勉強を阻害する時間だから、
なるたけ少なくしなくてはいけない。

そういう価値観の中で生きてしまうと、
大人になったとき、仕事を探すとき、そして自分の人生をプランニングするときに、
「本当は自分は何がやりたいのだろう」
「どういう時間を過ごすことが、自分にとって幸せなのだろう」

ということがわからなくなってしまうのです。

次に、

②天才は確実に存在する。頑張らなくても勉強できちゃう人と比べたらメンタルがもたない。


ということについて。

これは、中高大学と、本当にたくさんの尊敬できる友人たちに出会ったことで、
確実に感じました。

よく、テスト前に
「俺全然勉強してないからテストやばい」
と言い出す学生が大量発生すると思うのですが、
私の友人たちの中には、
本当に「学生時代いつ勉強したの?」のノリで
東大に現役合格する子達
が一定数いました。

凡人脳を持つ私からしたら、
本当に羨ましい限りでしたが、

そういう頭脳を持って生まれた子達は、
毛頭から勉強は頑張ってやるものだ、という意識がないみたいです。

自分の探究心・興味の赴くままに勉強していたら、
いつの間にか学歴レールを進んでいた、
というパターン。

そんな天才の人たちと同じ土俵に立とうものなら、
劣等感で苛まれてしまいそうです。。。笑

勉強面で天才的な能力を持っていないな〜と思う人でも、
芸術面だったり、
スポーツ面だったり、
経営面だったり、
趣味面だったり、いろんな側面で、
何かしら「他の人から見たら超人的な能力を持っている」と思われる
部分があるはずです。

自分は、
「この土俵で戦うのは無理だ」
と諦めて、自分が得意な分野で勝負すること。
いや、勝負自体しなくてもいい気がしますが、
得意なこと、好きなことに打ち込む。

それが学生時代に必要なことなのかな、と思います。

学生時代に思いっきり勉強しておくことのメリット

少し、自分の人生に対して、ネガティブなコメントをしてしまいましたが、
ここからは、
思いっきり勉強しておいてよかったな
と思うことを紹介します。

これは、先日私の親友と話していた時のこと。
私が、
「学生時代に、勉強、勉強の環境で生きてきたことで、失っちゃったものが多い気がする」
と言うと、
友人は、
「そのときにしかできない遊びも勿論あるんだけど、学ぶ行為を習慣化するってことは、後からつけようと思っても結構難しいというか、あの学生時代に学ぶ経験を積み重ねてきたからこそ、得られた方法論みたいなもんかなと思ってる」
と言ってくれて。
目から鱗が出るほど感動しました。


確かに、
習慣を早いうちに身につければ、
その後苦労なくそれをできるようになるというか。

勉強も同じで、
今まで勉強を全くしてこなかった場合、
「新しいことを学ぼう!」
とするときの障壁が高くなってしまう場合もあると思います。

その点で、
みっちりその習慣をつけることができたこと、
学び方の方法論を得られたこと、
はとっても大きい収穫だったのかな、と思います。


結論、
私は、自分の子供には、
無理をして勉強させよう、とは決して思いませんし、
もし勉強が苦しい、学校が苦しい、と感じてしまう場合には、
その子が本当に一番好きなものを一緒に追求できる親でありたいな、と思います。

ちなみに、私の親も、
私に一切「勉強しろ」とは言いませんでした。

うちの教育方針については、
また別途記事をご参照ください♪
※記事準備中













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