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「あんたは大人になったからね」と母は言った

母からティファニーのネックレスをもらった。

ティファニー。

今までアクセサリーというものにあまり興味がなくて、いつもスリーコインズで調達していた。
生まれて初めてのウン万円するアクセサリーだった。

「ティファニー コーのネックレスなんて初めて!」って喜んだ私に若干不安そうにしていた母だったが。
(本当は、Tiffany& Co. なのでコーではなくコーポレーションらしいし、そもそもCo.の部分は読まない)


三姉妹の長女だった私は、母にとって初めての子どもで、初めてのことが苦手な母は常に不安だったんじゃないかと思う。
しかも私はとにかく体が弱い子どもで、肺炎になって入院したり、喘息になったり、アトピーになったりと心配事は尽きなかった。

小学校に上がって、新潟に引っ越してきてから体は強くなったものの、友達親子なんて言葉とは無縁の反抗的な子どもで。

あまりにも母親に怒られて嫌だったから、リュックに家出道具1式を揃えていたほどだった。家出はしなかったが。

インフルエンザの治りかけに、母が怒っているのを無視して妹と鼻かんだティッシュでキャッチボールして母を泣かせたり、麦茶をこっそり押し入れに半年間も隠して大変なことになったり。

後にも先にも母が泣いたのを見たのはキャッチボール事件の時だけ、とんでもないやんちゃ姉妹だったのだろう。


中学、高校と上がっていくにつれて、やんちゃはなりを潜めていったが、反抗的な態度は変わらなかった。
夜更かしばかりで朝はギリギリ、いくら注意されても直さない。
他にもまだまだあるが、割愛。

ひとつ、印象的な出来事がある。

高校の時は最寄り駅が徒歩一時間半も離れたところにあったので、毎朝駅まで車で送ってもらっていた。
前日に母ときっかけはなんだったか、大喧嘩した私はもう送ってもらうもんか!と朝5時に家を出ようとした。今思えば、帰りにも迎えに来てもらわなきゃいけないのにどうするつもりだったんだろう。

おとなしく謝ればいいのに、意地張って歩いて駅まで行こうとした私。
玄関を開けたら後ろに母が立っていて、

「馬鹿なことはやめなさい、乗せていくから」

正直、ありがたかった。
でも、ありがとう、なんて言えなかった。
高校3年間で素直になれた記憶は全くないので、やっぱり3年間反抗的な態度のままだったんだろうな。


そんな私も高校を卒業して、東京で暮らすことになった。
初めて母と離れて暮らして、バイトをして、就活をして、気づいた。

なんであんなに反抗していたんだろう?

なんであんなに謝れなかったんだろう?感謝を伝えられなかったんだろう?

ただ、ありがとう。とごめんね。を素直に伝えればよかったんだ。


ティファニーのネックレスをくれると言い出したのはなんで?と聞いたら、

「あんたは大人になったからね」

と母は言った。

そっか、私は大人になったのか。


ティファニーのネックレスは私の机に大事に大事にしまった。

私の、大人になった証を。

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