見出し画像

先生の日おめでとうございます

トルコでは11月24日の火曜日は「先生の日」だ。先生に感謝する日。毎年クラスでプレゼントを贈る。

今年はクラスの代表で世話をしてくれていた人(Sınıf annesi(スヌフ アンネシ))が2週間ほど前に移住の為ドイツに行ってしまったのでクラスをまとめてくれる人がいなくなった。

前日になって、プレゼントをどうするかお母さんたちの間で問題になる。二番手のSınıf annesiは医療関係者でコロナ感染者増加のために仕事が忙しく、「先生の日」のために時間が使えない。

「先生の日」、感謝の気持ちを贈りたいお母さんたちは悩んでいた。

今週から学校はオンライン授業だけとなり、子供たちは学校に行かない。先週、再びコロナ感染者増加のために規制の発表があったからだ。

「先生の日」のためにお金を集めることができない。Sınıf annesiがいない。個人、個人でプレゼントを渡すか?

そんな中、今週の金曜日は先生たちが学校に来ていると情報提供するお母さんがいた。その日に行けば先生に会えるので、プレゼントを渡したい人は渡しに行けますよと。

ちょっと待って。なんのために学校に通わず子供たちは再びオンライン授業になったのか。なんのために再び外出規制がされるようになったのか。

個人、個人でプレゼントを購入して、学校に先生に会いに行く。お互いリスクではないのか?

「先生の日は大切です。でも、今年はコロナのためにリスクがあります。子供たちが一人一人、先生のために手紙や詩、絵を描いて先生にWhatsAppから送るだけでは駄目ですか?」と提案してみた。

そうするしかないかしら・・・と同意見もある中、いつもなら意見か飛び交うお母さんグループは今回は静かだった。意見かまとまらないまま終わってしまう。

先生へのプレゼントに高価なものを贈るお母さんたちがいる中、私たちのクラスは、花束または観葉植物にちょっとしたプレゼントを添えて贈っていた。後は子供たちと一緒にケーキを食べる。先生が高価な物を望まなかったからだ。

先生という仕事。とても大変な仕事だと思う。わたしは教師一家に生まれた。一人だけ違う道に進んだが、子供が学校に通いだして先生の立場、親の立場を考えるようになった。

先生も親も、子供たちの事を思って行動している。どちらも行き過ぎることがなく、子供たちを幸せにできる場所へ手を差し伸べれたらよいのにと思うが、みんなの思いがグルグルとまわっていて、間違いが起きることもある。その都度立ち止まって一緒に考えていける親でありたいと思う。

コロナのために、気な毒なほど方針がコロコロ変わり、忙しい子供の担任の先生には心から「大変な中、本当に子供たちのためにありがとうございます。」という言葉だけ伝えたい。


それだけでは駄目なのだろうか?









この記事が参加している募集

オープン学級通信

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?