三日間の箱庭(17)久高麻理子(1)
前話までのあらすじ
クロスライトの物語は、世界核大戦を終結させ、世界の神へとなっていくひとりの中学生、黒主来斗の物語だった。
それは起承転結の「起」
そしてひとり、ビルから飛んで自殺する運命を繰り返す女性がいる。
ここからは死の運命に囚われた女性と、彼女を取り巻く人々の物語。
起承転結の「承」開始。
■久高麻理子(1)
3年前、東大を卒業して誰もが知る大企業に就職した私は、誰からもうらやまれたわ。でもホントはね、私の方がうらやましかった。みんなの事が。
会社で良かったのは最初の1年だけ。重要な部署に配置されたし、自分でも誇らしかった。早朝出勤も残業も、時には泊まり込みの激務もこの部署なら当たり前と思えたし、それをこなす体力もあった。
私は小さい頃からずっと空手をやっている。学校で部活に入ったことはないけど、ずっと道場で。大学に入っても続けていたから、体力はもちろん精神力にも自信があったわ。
でも、駄目だった。
東大を出た?空手が強い?そんなものなんの役にも立たないって、思い知らされた。
大好きな友人たち、競い合って認めあったライバルたち、厳しいけど優しい師範、私に好意的な人たちばかり。
そして大事な、大事な両親。
私はずっと、人に恵まれていたんだ。
そのことに気づかされたのは、あの上司が赴任してすぐ。
武田課長。
あの人は私を認めない。いえ、きっと認めているからこそ、あの人は私を否定する。私を妬んでいるんだ。
入社3年目の私は、商品開発チームのチーフに抜擢されていた。でも、私のチームが出す企画はことごとく却下。それなのに、とてもよく似たアイディアの企画が、別のチームから出て通る。
抗議しても、それはあの人の怒りを煽るだけ。そして私はみんなが見ている中、延々と叱られる。
「お前のチームは優秀だ、俺は分かってるんだぞ?お前が足を引っ張っているってことを」
「こんな程度の企画を出して、お前本当に東大か?何かの間違いじゃないのか?それとも東大には、空手推薦とかあるのか?」
「3年目でチームリーダーなんて、無理に決まってるだろ。前の課長はよほど無能なんだな。それともあいつとお前、なんかあるのか?」
「お前のチームだけどうして仕事が遅いんだ?他のチームを見ろ、残業は少ないのに、出てくる企画はいい、お前のチームは、って言うか、お前、頭使ってるのか?」
「女が空手なんかやってるから、いいアイディアが出ないんだよ。脳みそまで筋肉になってんじゃないのか?もしかして、親もそうか?」
「そうなんだよ、チームが停滞してるすべての原因は、無能だからじゃないのか?お前がさ」
「お・ま・え・が・・・だよ」
下品極まりない言葉、私の人格を否定する言葉、私の大切なものを破壊する言葉。ひとつひとつが刃になって、私の心を切り裂いた。
心も切られれば血を流すんだ。
体と同じ、血まみれになるんだ。
そんなことを私は知らなかった。
私はずっと人に恵まれていた。だから私の心は優しい人の優しい言葉にしか触れていない。
だからなんだ、この言葉の暴力に耐えられなかったのは。
「久高チーフ、あんなの気にしちゃいけない。大丈夫!私はあなたより年上なんだから、なんでも相談してください」
私はチームの最年少だった。そんな私を気遣って年長のメンバーが声を掛けてくれる。
でも、そんな優しい言葉も届かないほど、私の心は傷ついている。
ごめんなさい。あなたの言葉はあんなに優しかったのに、私の頭の中にはあの男がいたの。
武田課長。
いつの間にか頭の中を支配した武田の顔が、言葉が、頭の中でぐるぐると回っていたの。
ぐるぐるぐるぐる。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。
そして私は、このビルの屋上に立っていた。
職場のあるフロアからここまで、どうやって来たのか全然覚えていない。
気が付いたときにはここにいて、満天の星空を見上げていた。
東の空はほんの少し白んでいて、もうすぐ太陽が昇るのに。
「こんなに綺麗な星って、東京で見たことあったかな」
涙が溢れそうになった。
そして私は、星空を見上げながら、虚空に足を踏み出した。
間違いなく。
なのに、私の足先がコンクリートの角を離れるその瞬間から、ずっとずっと見ている。私の体が、地面に落ちるまでの光たちを。
もう何回見たの?あと何回見ればいいの?
あぁ、私は、終わりのない夢に囚われたんだ。
あぁ、いつ終わるの?
この夢は。
それにしても、なんてひどい。
悪夢。
・
・
うんうん、最初の頃はそう思ったわよ。最初の頃だけね。
あ~ぁあ、もう何度目なのか、数えたくもないし、数えたとしても覚えられない。
美しい夜空?瞼をよぎる光たち?もう飽きたわ。
これ、悪夢なんかじゃないわ。
信じられないけど、時間が戻ってるのよ。
私がビルの屋上を蹴った瞬間から地面に落ちるその瞬間まで、約5秒。
そして即座に時間は戻る。
もう何回も何回も落ちたから間違いないわ。
このビルは30階建て、私の会社のフロアは26階。
落下時の加速度を考えるとぉ~
5秒の間に何かできることはある?
時間が戻った瞬間、私のつま先はまだビルの屋上にあるわ。
少しだけ力を入れることはできるはず。
でも、何をするための力?どの方向にどうやって入れればいい?
ほら、ここまでで、もう10回以上落ちたわ。
5秒の間に考えられることなんてほんのちょっとなんだもの。
ほら、もう2回落ちた。
でも、前回は上手くいった。右足の親指に力を入れるのよ。
そして体を捻じる。落ちる方向が、足からになったわ。
後は顔の向き。ビルの方向に向くの。
難しい、どの方向に力を入れればいいの?
こっち?
違う、こっちに捻じればいい?
あぁ、ひねるの?
どうやって?
あ、上手くいった。高飛び込みやトランポリンの要領なのね。
顔がビルの窓を向いた。さっきまで私がいたフロアの窓。
私はちょうど、会社の窓の前を通り過ぎていたのね。
みんな、びっくりしたろうなぁ。
喜屋武さんが見えた!
私に優しい言葉を掛けてくれた先輩。
同郷だからいつも私を気に掛けてくれたのに、もっと頼ればよかった。
喜屋武さんの向かいに、私のデスクがあるの。
今日の仕事は朝まで掛かりそうだったわ。
でも仕事は終わりそうもなくて、もう耐えられなくて。
横を見ると、なぜか武田がいぎたなくいびきをかいていて。
それが私を待ち受ける悪魔のようで、耐えられなくて。
みんなに黙って、席を立ってしまった。
ああ、喜屋武さんごめんなさい。
できればひと言謝りたい。
喜屋武さん、こっち、こっちを向いて!
これからずっと、こんな風に落ちるわ。
そしてずっと、喜屋武さんを見るわ。
だから喜屋武さん、私に気付いて!
気付いて!喜屋武さん!!
・
・
■久高麻理子編、終わり。
予告
繰り返す三日間、その全てで命を落とす久高麻理子。
彼女の同僚たちは、三日間ごと、その姿を否応なしに見なければならなかった。それは諦めなければならない運命なのか?運命とは、変えられないものなのか?
死に囚われた彼女の運命を握るのは、心優しい先輩だった。
喜屋武尚巴編、開始。
おことわり
本作はSF小説「三日間の箱庭」の連載版です。
本編は完結していますから、ご興味のある方は以下のリンクからどうぞ。
字数約14万字、単行本1冊分です。
SF小説 三日間の箱庭
*本作はフィクションです。作中の国、団体、人物など全て実在のものではありません。
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