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ショート 鳥のはなし

「あなた見て!大きな入道雲が真っ赤!!」
「ホント!きれいだね!雲が夕日に染まって、すごい景色だ」
僕は妻と一緒に声を上げた。
「こんな景色初めて見たわ。あなた、今日はありがとう」
「あぁ、今日で僕たちは結婚20周年だからね!僕の方こそこれまでありがとう」
僕たちは今、ふたりの記念日を祝って遊覧飛行を楽しんでいる。
「お客様、今日は結婚記念日ですか、それはおめでとうございます」
AI乗務員が僕たちの話を聞いて声を掛けてきた。
「今日はほどよく雲もあり、空はとてもいい表情です。変化に富んでいてご覧になっていても飽きないと思いますよ?お祝いの日に良い景色になりましたね」
「本当に、いい景色です。雲の上だから晴れてるのは当たり前だけど、やっぱり地上の景色が見えるのはいいですね」
「本当にそうですね。山と海、太陽、そして雲、全てが美しく組み合わされる。そんな日はそれほど多くありませんから」
「ねぇあなた、この飛行機には私たちしか乗ってないのよね」
ふいに妻が話し掛けてきた。
「ん?そうだよ?今話しているのはAIだからね」
「もし、もしもよ?飛行機に何かあったらどうするのかしら」
妻はやはり「全て機械任せ」というのが気に掛かるらしい。
「あぁ、現代の技術はドローンが開発された何十年も前とは違うからね。旅客機にだって操縦士はいないんだから。それにほら、航空機事故って聞いたことある?多分僕らが物心ついて以来無いんじゃないかなぁ」
「お客様、おっしゃるとおりでございます。ドローンと呼ばれるものが開発されたのが2000年代、その後AIの発達と共に自動操縦技術が進歩して、2030年代中盤から2070年代の現在まで、航空機事故は起こっておりません。航空管制はもちろん機材の安全管理や整備、そして運用まで全てAIが管理しておりますから、常にパーフェクトな無人飛行が実現しております。万が一の事態にも何重もの安全機構が働きますから、飛行の安全性は信頼していただいて構いません。どうぞご安心ください。そして私はこの2時間の飛行中、ルートのご案内や見どころのご説明をさせていただきます。それに軽食もございますから、どうぞお申し付けください」
「そうですか、じゃあ早速ですが、冷たいお茶をもらおうかな。君は?」
「う~ん、私もお茶をいただこうかしら。あ、温かいのでお願い」
「かしこまりました」
すぐに配膳ロボットがお茶を運んできた。同時にAI乗務員の声が響く。
「当機はこれから海上に出て、海岸線と山々の景色をお楽しみいただきます。どうぞご覧ください」
AI乗務員の言うとおり、飛行機は海岸線に沿って飛んでいる。美しい山並みと煌めく海、そして夕日に染まる大小の雲の群れ。僕はカメラを持ち出し、それらが織りなす風景に向けて夢中でシャッターを切った。
「あ!あなた、あの雲見て!!すごいっ!!」
「え?どこ?あ、あれ?」
妻の指差す方向に僕が見たのは初めての雲だった。いや、これまでに写真でなら見たことはある。間違いなく、間違いようもなく。
それは、キノコ雲だった。
「あっちは、僕たちの街だ」
僕はわなわなと震える指でシャッターを切る。
「すごい雲ねぇ、私は見たことないわ。あんな雲。私たちの街で大雨でも降ってるのかしら」
雲の周りに同心円の境界線が広がっていくのが見える。円の中は一瞬でもやもやとした煙に包まれていく。
「衝撃波が来る!頭を下げて!!」
僕は妻の頭を抱いてかばう姿勢を取った。
同時にAI乗務員が叫ぶ。
「緊急事態です!衝撃が予想されます!頭を守る姿勢を取ってください!!」
飛行機は迫る衝撃を弱めるため急激に高度を上げた。
速度が上がる、Gが加わる、座席に押しつけられる。これがAIの言う安全機構か。
瞬間、座席が跳ね上がるのを感じた。いや、自分の体が跳ねたのだ。衝撃波が機体を包む。僕は肘掛けを掴み、自分の身を呈して妻を守った。
ほどなくして、機内にアナウンスが響く。
「衝撃は去りました。機体の損傷なし。飛行は安全です。飛行は安全です。ご安心ください」
AIの声に安心したのか、妻が声を上げる。
「あなた、今のは、なに?」
「あぁ、あれはキノコ雲から出た衝撃波だ。信じられないかもしれないけど、核爆発が起きたんだよ。僕たちの街で。いや、街どころじゃない。僕たちが住んでいた地方は、きっと全部灰になってる」
「え!?そんな、だって、子供たちは?おとうさん、おかあさんたちは?今夜はお祝いにってレストラン・・」
僕は妻の問いに答えられなかった。その代わり、窓の外を指差した。
陸地の光景を見た妻は口を覆い、何かが飛び出すのを必死で堪えている。目を見開き、指は震えている。
妻は声を絞り出した。
「あ、あ、あれ、あれも、あれも」
僕たちの街はキノコ雲の下だ。そして見渡せる限りに、数十本のキノコ雲が生えている。
とっくに日は沈み、暗いはずの陸地に更に黒く、キノコの形に切り取られた暗黒がにょきにょきと立ち上がる。
それは禍々しく赤い蛇を纏い、その輪郭を際立たせている。
核の炎だ。
理由は分からないが、起こってしまったんだ。
全面核戦争が。
AIの声が響いた。
「衛星位置情報をロストしました」
「地上からの超短波、極超短波航空管制信号をロストしました」
「短波通信に障害、航空機用信号すべてロストしました」
「全てのネットワークが切断されました」
「当機はネットワーク回復まで、ローカルAIによる自動操縦に切り替えます」
「飛行には問題ありません。どうぞご安心ください」

「飛ぶのは大丈夫だって」
妻がホッとしたようにつぶやく。
「ネットワークの回復って、どれくらい掛かるんだ?」
僕はAIに聞いてみた。
「当面回復の見込みはございません。当機はこれよりネットワークが接続できる地域への飛行を試みます。ネットワークが回復すれば、即座に着陸のルーティーンを実行します」
「これから夜になるぞ?飛行時間は大丈夫なのか?」
「ご安心ください。当機はバッテリーだけで1週間程度の飛行が可能です。また、機体表面は全てソーラーシステムとなっております。雲の上を飛行しますので、昼のうちに充電が可能です。また上空は雨が降りませんから機体の劣化もほとんどありません。つまり、当機は半永久的に飛行が可能です」
「は、半永久的って、僕たちは、僕たちは違うぞ!!どこでもいいから着陸してくれ!家族が心配なんだ!!」
「お客様、当機は安全に着陸できる状況になければ着陸いたしません。飛行の安全とお客様の身体の安全が最優先です。ご安心ください。ただいまネットワークと航空管制電波を探索しています。いずれかの航空管制と情報がなければ着陸はできません。ネットワークを探索しています。ご安心ください」
「エーアイっ!いいから着陸するんだ!僕たちの体は僕たちでなんとか守る!最悪でも妻は僕が守るから!!機体を平らなところに下ろしてくれ!」
「地上情報がありません。ネットワークを探索しています。ご安心ください。飛行の安全とお客様の身体の安全が最優先です。ネットワークが回復次第、着陸のルーティーンを実行します」
「あぁ、エーアイ、着陸してくれよ。頼むよ」
「ネットワークを探索しています。ご安心ください。飛行の安全と・・」
「エーアイ!僕たちの体の安全と僕たちの命と、どっちが大事なんだ!!」
「お客様の身体の安全が最優先です。どうぞご安心ください」

妻は呆然として僕の肩にもたれかかっている。
僕は天井を見上げて、目を瞑った。
ネットワークを探索するAIの声だけが機内に響いた。
いつまでも、いつまでも。


学校の帰り。子供は迎えに来てくれた父親と手を繋ぎ、家路を急いでいた。
--今日は珍しく晴れている。早く帰らなくちゃ。
そんな父親の心配をよそに、ご機嫌な子供はふんふんと鼻歌を歌いながら、道ばたの小石を蹴って父親の顔を見上げた。
その目に、すっと動くものが映った。
「とうさん、あれはなに?」
「ん?なんだ?」
父親も空を見上げる。子供は父親の頭上に広がる青空に、白い筋を引きながら飛ぶものを見ていた。
「あ~あれか、あれは鳥だよ。でもな、降りてこないもんだから、どんな鳥なのか誰も知らないんだ」
「へぇ、あれ一羽しかいないの?」
「いや、色が違うのが何羽かいるみたいなんだけどね。雲のず~っと上を飛んでるだろ?こんな風に晴れてる日しか見ることが出来ないんだよ。父さんも見るのは、う~ん、何回目かなぁ」
「ふぅ~ん」
子供はなんとなく分かったような分からないような、曖昧な顔つきだった。
「あ!あのね、今日学校でね!僕たちよりず~っと前に、すっごい文明があったって習ったよ?」
「うん、父さんも子供の頃に習ったよ。世界中に色んな遺跡があるからね。そんな文明があったのは間違いないようだね」
「じゃあさ!あの鳥って、そのすごい文明のものじゃないの?」
「はっはっは!何十万年か何百万年前かも分からない大昔の文明だよ?そんなこと不可能だよ」
父親は雲の遙か彼方を飛び去る鳥を見つめた。

--ああ、不可能さ。あんなの。

「さぁ、もう帰ろう!!あんまり太陽に当たると、肌が乾いてしまう」
「うん、とうさん。僕も肌が乾くのはキライ。かあさんも怒るしね!!」
親子は空を見上げるのをやめ、家路についた。
4本の腕を互いに絡め、6本の足で軽やかに。
子供は触腕の吸盤に、教科書をくっつけていた。

ーわたしたちの歴史『頭足類の文明を学ぼう』ー

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