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ショート 早く走る

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このショートは、かなり前に下書きしていたもので、
短編の「温泉」の元ネタです。
温泉を投稿したついでに、このショートも加筆修正して
投稿しました。
設定や展開がよく似ているのはそのせいです。
はい、そのせいなんです。
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なにかが聞こえた気がする。

なんだろうか?

ボクは柔らかく頬を撫でる草の先っぽを感じながら、それが心地よい風のせいなんだなって、ぼんやりと考えていた。

日差しが暖かで、眠ってしまいそうだ。

「・・チ」
また。

「・イチ!」
また聞こえた。

誰かの声だな。
ずいぶん遠くだ。ボクを呼んでるのか?

誰だっけ。

心地いい昼寝の時間を邪魔されたボクは、ちょっとした苛立ちを感じながらうっすら目を開けた。

柔らかく吹く風、暖かい日差し、太陽は中天を過ぎたくらいだろうか。まぶしく輝いている。
柔らかな草の上に寝転びながらボクは頭を少し上げて、あたりを見回した。

遠くには大きな湖と林がある。そしてボクの後ろには高くて険しい山々がそびえている。
その麓から続くなだらかな丘、ここはそこに広がる草原だ。

「誰もいない」

ボクは周りをぐるりと見渡したけど、さっきの声の主を見つけることはできなかった。

ーー誰だったんだろ? いや、そもそも人だったのかな?

その時、先ほどより強い風が吹いた。
暖かく爽やか、というより少し湿り気を含んだ風だ。

「そうか、今は春だけど、もうすぐ夏って頃なんだよな。」
「でもときおりひやりとした風も感じるね、季節の変わり目、冬と夏が綱引きしてるみたいなもんだね」

ボクはつい誰かに語り掛けるようにつぶやいた。
誰もいないのに。

「もうちょっと寝るか」

僕はまた目を閉じた。
だって、気持ちいい風が吹いてるし、まだ日は高い。
帰るには早いさ、まだ。

「・イチ」

まただ。でも今度はさっきより近い。

「タイチ」

「タイチ タイチ!!」

近い近い、なんだやっぱり呼ばれてた。
ずいぶん遠くからボクの名前を呼びながら走ってきたんだなぁ。
相変わらず元気な子だ。

「タイチ!こんなとこでなにしてる!?」

おいおい呼び捨てかよ、でも、ボクをそう呼ぶ声の主は、もうはっきりと分かっていた。

「なんだよイツキ、いつこっちに来たんだ?」

女の子が首をかしげながらボクを見ている。

「タイチ!こんなとこでなにしてる!?」

イツキはボクの質問に答えず、同じことを聞いてきた。

ーーちぇっ!無視すんなよな!
ボクの眠気は一気に覚めた。

「オレは昼寝してんの! 見りゃ分かるだろ? それよりイツキ、いつこっちに来た?」

イツキはボクの姪っ子だ。

ボクは15歳、イツキは9歳、年の離れた姉さんの子供だから、ボクとイツキの歳は近い。
だからイツキはボクにとても懐いてて、姪っていうより妹だ。
イツキにとってボクも同じような存在なんだろな。

「イツキ、いつ来たんだ? 聞いてなかったぞ?」

「遠かったさぁ!もう! でもタイチこそなにしてるの、早く帰らんと!」

何が「遠かったさぁ!」だよ、沖縄からなんだから遠いに決まってる。
大体質問の答えになってないじゃないか。
それにこの沖縄訛り! 有無を言わさない感じなんだよなぁ。
沖縄の人に嫁いだ姉さんもすっかり沖縄訛りだから、聞き慣れてはいるんだけどさ。

ーーそうだな、進学するなら沖縄の大学っていうのもいいな、姉ちゃんいるしな。

ボクはイツキを見上げながら、そんなことを考えていた。

「タイチ!もう行こう、早く帰らんと!」

「イツキ!いつも言ってるだろ? 呼び捨てにすな!! 呼ぶならタイチにいちゃ あ!」
イツキはボクの手を掴むと強く引っ張った。

「あたた! 強いよイツキ、それに人の話は最後ま あ!」

イツキはボクの手を両手で掴むと、すごい力で引っ張った。

「分かった!分かったからちょっと待って! こんなに気持ちいいのに、急がなくていいだろ?」
イツキは初めてボクの質問に答えた。

「タイチ!もう太陽が沈むよ? 沈んだら、まっくらになっちゃうよ? こわいよ?」

そんな時間なのか? 確かに日差しはさっきより傾いたけど、まだ夕方でもないぞ?
ボクはそう考えたけど、イツキがこんなにせがむんだからしょうがない。帰って遊んでやることにしよう。

「しょうがないなぁ、もう」
ボクはイツキに手を引かれるまま立ち上がった。

「はやくはやく!タイチはやく!」
イツキが走り出す。ボクの手を引いたままだ。

速い。

「はやく走らないと、間に合わないよ!」
「なにが? なにが間に合わない?」
「まっくらになるの、こわいよ? タイチは怖くない?」

ーー真っ暗はいやだけど、別に怖かないさ。
そう思ったけど、そりゃイツキは怖いだろうな。

「イツキ、イツキ!! そんな走らなくっても、すぐに着くだろ?」
イツキはボクの言葉に応えない。
「イツキ、イツキ、ちょっと速いって、もっとゆっくりでいいだろ?」
イツキはやっぱり応えない。

それどころかイツキは更に速く走りだした。そしてボクを諫めるように言った。

「タイチ、もうすぐ日が暮れるんだよ? 早く帰らなきゃダメだよタイチ、早く帰らないと!」

日が暮れる?イツキさっきは太陽が沈むって、あれ?
イツキはちょっと大きくなったように見えた。

「タイチ、おじさんやおばさんに心配かけちゃダメじゃん、早く帰って安心させなきゃ」
「心配? 何の心配だよ、オレがなんだって?」
「タイチ、覚えてないの? ホントに覚えてない?」

ボクと交わすイツキの言葉は大人びて、ボクとあんまり変わらないような。

変わらない?

そうだ、イツキはボクの同い年のいとこだ!
なんで忘れてたんだろ? 誰と間違えたんだろ?

「さぁ走ろ!走るのタイチ!! 太陽が沈むよ!」
太陽は確かに沈みかけている。

さっきはまだ夕方にもならないと思っていたのに、ずいぶん早い。

イツキの足は速い、イツキはボクの手をしっかり握って離さない。
ボクもイツキの手を離さないようにしっかりと握った。

心なしか、イツキの手を大きく感じた。

「イツキおまえ、なんでこんなに・・・」

不安を感じた。
イツキの足が速すぎて、ボクは一緒に走るのがやっとだった。
もし今イツキの手を離せば、もう追いつけない。そう思った。

ーーイツキの手を離したら、ボクはきっとひとりぼっちになる。
ーーそして、日が沈む。

ボクはイツキの手をしっかりと握り直して、初めて辺りを見た。
草原は広い、もうずいぶん走ったのに、まだ端が見えない。

この草っぱら、こんなに広かったのか?
おかしいな、どこにも家が見えない。
家どころか、町や道路や、何にも見えない。

なにも、ない。

あるのは山と、湖と、林と、草原。

ーーボクはここに、どうやって来た?
ーーイツキはどうやって、ここに来た?

ボクは初めてこの状況を恐れた。

「タイチ!はやくはやく! もっとはやく走って!!」

イツキがボクを叱るように叫んだ。ずっと年上の人に叱られたみたいだ。

「あれ? イツキ?」

イツキは実際、ボクより年上に見えた。
それどころか、ボクの手はイツキの手にすっぽりと包まれ、一緒に走っていたはずなのに、今はイツキに引っぱってもらっている。

「あれ? ボク、ボクは」
「タイチ、お姉ちゃんが引っ張ってあげる、頑張って走って! 走って!タイチ!」

ボクの前にいるのは、大人の女性、長い髪をなびかせて、ボクの手をしっかりと握ってくれている。

そうだった、イツキは、イツキ姉ちゃんは、ボクのお姉ちゃんだ。いつも優しい、ボクの大好きなお姉ちゃん。
ボクはいつの間にか小さい子供になっていた。
「お姉ちゃん、ボクもう走れない、走れない、走れない!」
「タイチ!もうすぐ暗くなる、暗くなるよ、そしたらもう間に合わない、絶対に!」
「走れない、走れないよ!」
「お姉ちゃんはタイチを置いていかない。絶対に、絶対に!」

イツキ姉ちゃんは叫びながらボクの腕をたぐりよせて、その胸に抱きしめた。

「お姉ちゃん!イツキ姉ちゃん!!」

ボクは泣いた。

怖かった。
この広さが怖かった。
沈む太陽が怖かった。
暗闇が怖かった。
お姉ちゃんがいなくなる。
ひとりになるのが怖かった。
でも、イツキ姉ちゃんの胸に抱かれているのが嬉しくて、

涙があふれて止まらなかった。

イツキ姉ちゃんはボクを抱きしめたまま、すごい速さで走った。

ボクにできることはただ、イツキ姉ちゃんにしがみつくことだけだ。
周りの景色は目にも止まらない速さで流れている。

その中に見覚えのある景色が浮かんでは消え、懐かしい顔、好きな人、嫌いな人、記憶にある人すべてが現れては消えた。
ボクの耳には、その景色の音や、その人たちの声が次々と聞こえて、そして消えた。

太陽はもう沈みかけ、空を真っ赤に染めている。
でも太陽の反対側は真っ暗だ。
星もない、ただ真っ暗な空だ。

草原はもうない。

あるのは赤と黒に色分けされた世界。

その赤と黒の狭間を、イツキ姉ちゃんが駆け抜ける。
ボクを抱きしめたまま。
ボクの体はもう赤ん坊だ。
ボクの目はもう見えない。

ボクは、ただ泣いていた。
でも、ゴウゴウと耳に入る騒音の中で、女性の声がはっきりと聞こえてきた。

「大丈夫、大丈夫よ、助ける、安心して、助ける、ワタシが、ワタシが助ける!」

助ける? 誰を、なぜ助ける? ボクはタイチ

ボクはタイチ

タイチ? それ誰だっけ?

とうさん、かあさん。

お姉ちゃん。

そうだ!お姉ちゃん!!
イツキお姉ちゃん!!

ボクの意識は無に溶ける。
疾風のように駆けるイツキの温もりを感じながら。

光を感じる。

まぶたの裏に鮮やかな色彩を描いている。

目は開かないのに、とても明るいのは分かる。

誰かが泣いている。

男の人? わんわん泣いている。

誰かが笑っている。

女の人? 泣いているようにも聞こえるよ?

ボクはゆっくりと目を開けた。

「意識、戻りました!!」
「大丈夫!もう大丈夫ですよ!!」

女性の声が聞こえた。
聞き覚えがあった。

「か、かあさん」
母さんは顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。
父さんは何か堪えるように天井を見上げている。
「かあさん、イツキ、イツキお姉ちゃんは?」
母さんと父さんは思わず顔を見合わせる。
「タイチ、お前なに言ってるんだ? お前、ひとりっ子だろ?」
目を真っ赤にしながら、父さんが言った。
「それにイツキって、お前」

ベッドにカードが付いている。

榊原太一(サカキバラ・タイチ)
生年月日 ********
血液型  ***

担当医 伊月名々瀬(イツキ・ナナセ)

イツキ先生は、優しい笑顔でボクを見つめていた。

月がにっこり

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