エンド・ゲーム以降のMCU雑感
マーベルの作品はアベンジャーズ・エンドゲームをピークに力を失ってしまった。増えすぎた人口への対策として「指パッチン」でランダムに世界人口の半分を消失させるという、サノスが唯一と信じた解決策は、ヒーロー達の喪失と団結により、消失の回復にはいたった。だがそれは負った傷を処置したにすぎず、結局のところ世界の問題はなにも解決していない。それどころかますます悪化している。パンデミックに戦争。資本主義にあっという間に飲み込まれビジネス化した環境問題、ねじれてどこにいるのか見失われるポリティカル・コレクトネス。MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)はそのどれもうまく描くことはできなかった。サノス以上の悪の解決策も提示されず、頼もしかったヒーローたちは年老いてただ引退した。苦しまぎれに若い女性たちの肩に重荷を引き渡しただけだった。もう科学も信じきれないし、軽薄さを笑うこともできない。紳士さはただ弱く、知恵は老人のたわごとのようであった。唯一描けたのはスパイダーマン・ノーウェイホームで若きスパイダーマンがすべてを失うことを覚悟したことだけだった。若くして失い続ける覚悟。だれもどうしたらいいかわからない。どこを向けばいいかすらわからない。これがMCUの現在地だ。
シン・エヴァンゲリオンでは第3村を描いた。それは失われても、また、やり直せるということだった。一から畑に種を蒔けるということ。これは一部には強烈な拒否反応を引き起こしたが、僕は感動した。だがエヴァンゲリオンは結局のところ日本の話であるので受けとめられたところがある。マーベルが相手にする、アメリカでは、世界では、受け入れられるだろうか。ディズニーという帝国の中でMCUはどうなってしまうのか、もう期待しすぎず、生ぬるく見守りたい。現代に神話を描くのはジョージ・R・R・マーティンにまかせよう。
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