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社会と心は切り離せない あとがき

最近、ある心理学会が開いた講演会に参加した。ゲストスピーカーである登壇者のファンだったので、会員ではないが準備会にまぜてもらった。

その学会は、人々が抱える問題の原因を、その心理的枠組みの中でのみ追求するのはおかしいと明言している。専門家の視点からのみの支援をする傾向に異を唱えている。そんなこともあり、臨床心理士の資格を持たない人でも学会員になれる(でもみんな資格を持っている場合が多い)。


私も、快く受け入れてもらった。準備会に入り、毎週論文を読む会に参加した。そこで日本の臨床心理学の歴史をより深く知ることとなる。


臨床心理学は、学会が歴史の中で分裂し、現在は分かれたまま互いに活動している。ざっくり言うと、片方は「専門性をしっかり獲得し、個人の内面に向き合っていく」ことを究めていった。もう片方は、「心理的問題は、個人に起因するのではなく社会にある。問題を抱える人をどのように社会とつなげていくか。社会を変えていくか。そしてそれができるのは、(自分たちで勝手に枠組みを作った)専門家ではない」と考えている。


今回の講演会は、その2つの学会が混じり合う会だった。登壇者は、片方の学会からアウェイの学会に出向き、一人語った。2つの学会をつなぐ役割をしようとしているのだと思った。


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私はどこを見るべきだろう?と参加しながら考えた。社会なのか?個人に対する専門性なのか?専門性を突き詰めていったら、パターナリズムの渦に巻き込まれるのだろうか?(っていうかもう巻き込まれているのか?)専門性を脱ぎ捨てたら、私は何者として仕事をするのだろうか。


資格を取ることは、国の下で働くということなのか?医師の手足となることなのか?資格がなかったとしたら、私はどうやって自分のスキルを証明するのだろうか。


ソーシャルワーカーとしての私は、社会が人の心と密接につながっていることが痛いほどわかる。人間には共同体が必要だし、居場所は多くの人を救う。社会から孤立しなければ。社会にきちんとしたサポートがあれば。経済がしっかりしていれば。救われる心は多い。


でも同時に、人と一緒にいることが人を病ませることもたくさんある。集団から離れて、一人にならずには回復できないことがある。その時に、一人ではなく専門家と一緒にいることが助けになることを感じる。


社会と心は切り離せない。これはソーシャルワーク実践をやっていて絶対的に思うこと。でも同時に、相談室を始めてから「社会と距離を置いた人たち」が安心した様子もたくさん見てきた。安心して休んで、また社会に戻っていく過程も見た。


私は両方なんだな、と思う。社会を見て、個人を見て。社会とつなげて、社会から離して。でも結果、社会に戻っていくのを見守る。


そんなあとがきを記したいと思った。

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あくまで、これは私の「臨床心理学入門・初めての学会編」である。実際、2つの学会の分裂は大きなことで、資格をつくること、それに反対することはとてもポリティカルなことで、簡単に意見を言えるものでもない。


ただ、歴史を知ることは私の実践を見直す機会となった。学会と登壇者に感謝している。ドラマチックな言葉を使う彼らに、とても魅了された


そう、彼らの言葉はドラマチックだった。聞き手を魅了する、言葉の魔術師だった。私もあんな風に、誰かにドラマチックに実践や理論を伝えたい。


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バオバブやってるよ


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